第5話 暗殺決行日

 数日後、暗殺の決行日がやって来た。からりと晴れわたった空が目に痛い、暑い朝だ。


 ハーフィドとシャクールはシトロエンGSに乗り、ムディルが通勤途中に通る場所へと向かった。一日が始まったばかりの街は、人々の活気あるエネルギーに満ちていた。


 だがハーフィドは、決行寸前になっても迷いを振り払えないでいた。冷静さを装ってはいても鼓動はいつもと違う調子であるし、銃の準備をする手も震えた。


 それはシャクールも同じらしく、いつもよりも無口で表情に生気がなかった。信号が変わったことに気付かなかったりウィンカーを出し忘れたり、運転も普段よりも数段下手である。

 そして発進時のエンストを繰り返しその数が三回目を超えたころ、シャクールは何も言わずに大通りの路肩に一時停止した。


「何だよ。早めに行かないとまずいだろ」

 ハーフィドは不機嫌に腕を組んで尋ねた。これ以上普通を乱されるのはうんざりだった。


 だがシャクールの方は、ハーフィドの望みとは違って異変に向き合う決心をつけたらしい。ハンドルを握ったまま、じっとフロントガラスの向こうを見つめていてぽつりとつぶやく。


「ハーフィド。俺たちこのまま行って、本当に大丈夫なのか?」

「どうしてそんなこと聞くんだ」

「今回は雰囲気が、違う気がしたから」


 いらいらと聞き返すハーフィドに、シャクールが不安げに答える。黒縁眼鏡の奥の瞳は、いつもと違う何かを秘めいた。


「一体、何の雰囲気だよ」


 ハーフィドはシャクールの言わんとしていることがよくわかったが、それでもまだ認めたくなくて気付かないふりをした。

 しらをきろうとするハーフィドに、シャクールが我慢の限界だというような調子で言い返す。


「今俺たちが感じてる全部に決まってるだろ。俺もお前も、あの日からずっと恐れてる。俺たちはこれから、無実の人を殺そうとしてるんじゃないかって」


 シャクールの言葉が指し示す、心の奥では気付いてはいたがずっと見なかったことにしてきたある一つの側面。それは、ハーフィドが心の中でさえ明言化せずにずっと避けてきた本質的な問題であった。


 出会った直感に従うなら、ムディルは殺されるべき人間ではない。だがしかし、この理由でこれからやろうとすることが否定されるなら、ハーフィドは今まで行ってきた暗殺も否定しなくてはならなくなる。それは絶対に受け入れられないし、可能性を考えることすら嫌だった。

 ハーフィドは正当化できる理由があるからこそ人を殺すことができたのであり、敵を敵とみなしてもよいという保証が揺らげば今までの姿勢は成立しない。そのためにハーフィドは、自らの心に生じた疑念に向き合うことができなかった。


 シャクールはそんなハーフィドに、むりやり現実を突きつけていた。シャクールもハーフィドも、今までのような考え方をするのが不可能なのは確実だ。撃って殺せたとしても、完全に忘れることはできない。シャクールの言うことは正しくて、ごまかしているのはハーフィドの方である。


 だがハーフィドは、破綻しても目をそらしなお続けることを選んだ。


「そんなことはない。今までと同じだ、こんなこと。待ち伏せして、撃って終わり。それだけの話だ」

 軽い言葉で強がり、迷いを打ち消そうとする。何もなかったことにしておこうと、ハーフィドはあがいた。

「だけど……」

 シャクールは心配そうにハーフィドを見つめた。恐らくその心配はシャクール自身だけでなく、ハーフィドにも向けられているのだろう。


 自分が心配されていることに気付いたハーフィドは、声を荒げて言い返した。


「うるさいな! 殺すのは俺だ。俺が大丈夫だって言ってるんだ。だからお前もいつも通り運転しろよ」


 これ以上の議論はしたくなかった。たとえシャクールの言葉に耳を傾けることが正しいのだとしても無理だった。


 ハーフィドは、引き返すという選択ができない。進み続けることしかできないなら、余計な思考はしてはならなかった。


 ハーフィドの大声が響いて、車内が静まりかえる。

 あきらめた顔をして、シャクールはそっとハーフィドから目をそらした。


「……わかった。もう何も言わない」

 シャクールはギアを一速に入れ、車を発進させた。


 それから二人は何も言わず、目的に向かった。

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