第4話 電話とカレンダー

 家に帰ったハーフィドは、気を紛らわせようと部屋を片付けたり買っておいた雑誌を読んだりしてみた。しかしハーフィドがどう努力しても、頭の中ではムディルとの会話が繰り返される。


 何か他に考えることを探し、ハーフィドはふとラティーファのことを思い出した。連絡先はもらったが、まだ電話をかけたことはない。


(せっかく教えてもらったんだし、一度かけてみようか)


 第一印象しかない仲であり、連絡先をくれたのも所詮戯れなのかもしれない。しかしどことなく惹かれるものを感じてはいたので、電話をしてみることにする。


 ハーフィドは部屋の隅に置いているライティングデスクの引き出しから、電話番号の書かれたメモを取り出した。

 そして黒電話の前に立ち、受話器を持って書かれた番号の通りにダイヤルを回す。ジリジリと呼び出し音が鳴ってしばらくすると、ラティーファが出た。


「もしもし、ラティーファです」

「えっと、俺だ。ハーフィドだ。ガァニィのところで会った」


 ハーフィドは、すでに第一声からテンパってつまずいてしまった。


「あぁ、あの時の。連絡待ってたよ」

 だがラティーファは明るく柔らかな、それでいて凛とした声で応答した。


 今まさに異性に電話しているのだということを実感し、ハーフィドは時間差で恥ずかしくなった。


「それなら、電話して良かった」

「うん。嬉しい」


 ハーフィドが照れをごまかしながら話すと、ラティーファはごく自然に相づちをうった。


「その……今日は……」

 ラティーファの声の甘さに心を乱され、ハーフィドは黙り込んだ。

(そもそも何で俺、ラティーファに電話してるんだっけ)

 電話をかけた側の人間であるのに、その目的がわからない。ハーフィドは受話器を持ったまま、固まった。このまま切って、何もかもなかったことにしたくなる。


 すると、ラティーファが何気なく会話を切り出した。

「……こうやって電話してくれたってことは、お出かけに誘ってくれるとか?」

 ねだるような口調ではあったが、媚びはない。

 しかし、こうしてわざわざ会う方向に話を進めるということは、やはりラティーファもそれなりの好意をもってくれているのだと思った。


「君がいいなら、もちろん。どこか行きたいところとかはある?」

 ハーフィドは、考えるよりも先にその誘いにのった。これが単なる遊びで終わらないことを、ハーフィドは望みはじめていた。

「んーそうだね。灯台とかまだ行ってないし、海の方へ行きたいな。あとルナパークだっけ。遊園地も気になる」

 行き当たりばったりのハーフィドに対して、ラティーファはすらすらと自分の希望を話した。一応はハーフィドが誘った形にはなっているが、ほとんどラティーファが主導しているようなものである。


(灯台も遊園地も、市内西の海岸沿いにある場所だよな。あとは決めるのは、待ち合わせの場所や日時か)


 ハーフィドは部屋の壁に貼ってあるカレンダーを眺めた。そして少しでも自分の方から提案しようと問いかけた。


「それじゃ、海岸の方へ行くということでいいな。日程は今度の土曜日でどうだろう?」


 任務のことを考え、ハーフィドは暗殺の決行予定日の二日後の土曜日を候補に挙げた。

 すると受話器越しに手帳か何かをめくる音がして、ラティーファが答えた。


「私も予定入ってないから、それで大丈夫だよ」

「じゃあ、待ち合わせ場所は……」


 そしてその後、二人は待ち合わせ場所をダウンタウンのカフェに決めた。車を出すのはもちろんハーフィドだ。


「土曜日がすっごく楽しみ。誘ってくれてありがとう」


 すべてが決まると、ラティーファが明るくお礼を言った。本当に楽しみにしているのだと思える声だった。


 ハーフィドは無難に同意して、電話を終えようとした。だがそのとき、ラティーファがただの知り合いの女性ではなく、ハーフィドの任務とも関係している情報屋であることが急に思い出された。


(あのムディルって男のことを調べたのも、ラティーファなんだよな)


 そう考えたときハーフィドは、ムディルについてラティーファに尋ねたくなった。ムディルと言葉を交わしたことによって生まれた疑念を、ラティーファなら晴らしてくれるのではないかと期待した。

 だからあまりこうした話はしない方がいいとは思いつつも、何気なさを装いながらもつい質問してしまった。


「そういえば、この前に君が調べたムディルってやつって……」

「ああ、あの人? 私は日常を調べただけだから事情はよく知らないんだよね。まぁ、スパイっていうのは間違いないと思うけど。何か、変なところあった?」


 ラティーファは少しも動じず、平然とした調子で答えた。怪しいところがないというより、どうでもよいと思っているような態度である。

 そのあっさりした対応に、ハーフィドは追求をやめることにした。自分が考え過ぎであると思うべきだと感じる。


「そういうわけじゃないよ。ちょっと思い出しただけで」

「それなら良かった。じゃあまた土曜日にね」

「あぁ、また今度」


 こうして別れの言葉を述べて、ハーフィドの初めての異性との電話は終わった。

 ハーフィドは受話器を置いて、ため息をついた。ムディルについて尋ねたときのラティーファの言葉の葛藤のなさが、耳に残る。


(たまたま標的と話してしまっただけで、普段と同じはずなんだ。問題は何もないんだ……)


 ハーフィドは自分にそう言い聞かせて、電話台に置いてあるペンを取り、カレンダーに新しく決まった予定を書き込んだ。そして、黒インクで書かれた「海岸へ、十一時にダウンタウンで待ち合わせ」という文字が、くっきりとカレンダーのコマに収まる。


(俺はいつも通り任務を実行して、その二日後にはラティーファと出掛ける)


 カレンダーを見つめ、ハーフィドは思った。それが自分の日常なんだと強く信じた。

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