第20話 特別な夜に



決起集会と称したディナーにゆかりさんに連れられて来たのは、鉄板焼きのカウンターだった。

初めて来る店ということもあり、僕は少し緊張していた。


「良さげな店ですね。初めて来ました」

「2回くらい来たことがあるんだけど、お肉もお魚もおいしいよ。」

「へー。楽しみです。」

「コースで予約してあるから、楽しみにしといて。」


自分が作るわけでもないのに何だか誇らしげなゆかりさんが可笑しくて、頬が緩んだ。



「いらっしゃいませ。2名でご予約の尾根様ですね。こちらのお席へどうぞ」

案内された席に着くと、カウンターの目の前では、店主が両手のヘラを自在に操り、熱々の鉄板に踊る食材を手際よく調理していた。


飲み物に僕はジンジャーエールを、ゆかりさんは白ワインを頼んだ。


前菜のスープとサラダだけでも十分美味しいと思っていたところに、店主が先ほどヘラで裏返していた白身魚が出された。


「本当に美味しいですね。」

「うん。何回食べても良いね。身がフワフワで皮がパリパリなのよ。」

「いやー、こういうの自分では作れないな。」

「良いのよ。特別な日に一緒に食べれば。」


これは、ゆかりさんも僕とこれからもいたいと捉えて良いのだろうか?



などと考えている間に、店主は高そうな肉を焼き始めた。

ナイフがスッと通って肉が綺麗に切れるさまは、見ているだけで気持ちがいい。


「なんか私、最近気づいたんだけど、人が料理してるのを見るのが好きみたい」

「あー。確かにこういうプロの技みたいなのは見てて飽きないですよね。」

「翔太くんの料理も見てるだけで楽しいよ。」

「そうですか?そんな特別なことはしてないですよ」

「じゃあ、私だけの特別。」


酔いのせいか少し甘えるようにそんなことを言うゆかりさんを、僕だけの特別にしたいと思った。



僕たちはステーキをペロリと平らげ、ジェラートまで美味しくいただいて、素敵な時間はあっという間に過ぎた。


自分が年下で尚且つゆかりさんに雇われているとはいえ、こう言う時にスッと財布を出せないのはカッコ悪い気がしてしまう。


「奢ってもらうのはちょっと申し訳ないですよ」

「いいの、今日はわたしが連れてきたから。」

「まあ、そうですか。」

「じゃあ今度、翔太くんが私をどこかに連れてってくれた時にはお願いね。」

「はい!」


納得できただけでなく、次に僕からどこかに誘う口実までできてしまった。

ゆかりさんは、いつもこうやって楽しい形で心のモヤモヤを消してくれる。





地下鉄で最寄駅に降り、いつもと同じ帰り道につく。

夢のような時間がもうすぐ終わる。


「今日はすごく良い1日でした。」

「私も。」

「買い物もちゃんとできましたし、これで明日は恋人っぽくできそうですね。」

「恋人っぽくするなら、こうだよ!」


そう言ってゆかりさんは僕の手を握った。


「ジャーン。恋人繋ぎ」

「初めてしました。」

「ベタっちゃベタだけど、良いでしょ。」

「いいですね。明日はこれで行きましょう。」


恥ずかしいけど、嬉しい。ドキドキするけど、安心する。

これはもう認めなくてはならない。恋をしていると。




そんなことを考えているうちに、アパートの3階に着いていた。

「今日はありがとう!楽しかったよ。」

「こちらこそありがとうございました。」

「楽しかった?」

「はい。今日はきっと忘れられないような、特別な一日でした。」


「大袈裟だよ。」

ゆかりさんはそうやって笑うけど、本当にそんな気がしているのだ。


「じゃあ、また明日ですね。」

「うん。協力させちゃって悪いけど、よろしくね。」

「いえいえ。じゃあ、おやすみなさい。」

「うん、おやすみー」


自分の部屋に帰るのがこんなに名残惜しいのは、初めてのことだった。

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