第17話 悪夢と炎上

 その日、俺は夢を見た。過去の記憶。その再現。ただそれだけ。それだけなのに、胸を締め付けるような痛みと嫌な汗が止まらなくなる。


「……っ!」


 悪夢から目覚めた時、時刻は深夜3時。寝たのが12時過ぎたぐらいだから、3時間ぐらいしか眠れなかったことになる。


 悪夢のせいで寝直そうという気にならない。何も考えずにスマホをいじり、動画を見たりネット記事を見たりする。そうして気がつけば朝日が登っていた。


「……眠れなかったな」


 重たい体を起こし、机に向かう。気晴らしに漫画を描き進めよう、そう思ったが全く描けなかった。


「あー、くそっ」


 ペンを雑に投げ捨て、部屋を出た。


「わっ、た、拓巳さん。おはよう……ございます」

「……あぁ、おはよう」


 部屋の前にリリアがいた。部屋の前で待ち構えていた、という感じではなく、おそらく偶然通りがかったのだろう。


「あの……大丈夫ですか?」

「……何が?」

「その、顔色がとても悪いので……」

「……気のせいだろ」


 今は誰とも話したくない。特に、女とは。


「……じゃ」

「あ、はい……」



 洗面所で鏡を見て、リリアの言ったことが嘘では無いことが分かった。


「うわ……」


 顔色はメチャクチャ悪かった。白く、血が通っていないような顔色だ。


「はぁ……」


 朝からため息ばかりだ。俺は食事を取るべく居間に向かった。



「あ、おはよう。拓、巳……」

「あぁ、おはよう」


 居間には聖也がいた。この家では一番気楽に話せる奴でよかった。


「ひどい顔してるね……」

「元からだろ」

「いやいや。それを差し引いてもひどいよ」

「顔がひどいことは否定はしてくれないのか……」

「もちろん冗談だよ。でも、本当に大丈夫? 何かあった?」

「……別に、何も」

「……うん。分かった。無理には聞かない」


 人に話せるようなものでもない。聖也も俺の様子を見て何かを察したようだった。


「そういえば、楓さんは?」

「今日は町内会の集まりとかで、朝早くから出てるよ。ご飯ならキッチンにあるから勝手に食べてくれってさ」

「そっか」


 ぶっちゃけ食欲もあまりない。しかし何か腹に入れておかないと体が動かなくなりそうだった。


「おっはよー!」


 突如として響き渡るリリイの声にびっくりしてしまった。


「あ、おにーさんとセーヤくん。おはよっ」

「う、うん。おはようリリイちゃん」

「にひひ……おにーさん、今ビクってしたでしょ? ビビっちゃったんだぁ〜」

「……うるせーよ」

「……? おにーさん、なんか元気なさそー」

「あー、リリイちゃん。拓巳、今ちょっと体調悪いみたいでさ。できればそっとしといてもらえると……」

「えー! おにーさん風邪? やっぱり人間ってよわよわだね♡」

「……部屋戻るわ」

「あ、拓巳。朝ごはんは……」

「いらね」

「……おにーさん?」


 まともにリリイの顔を見ることができなかった。俺は自分の部屋へと逃げ込んだ。


「……変なおにーさん」



「拓巳? ご飯、置いとくよ?」

「あぁ。助かる」


 その後、聖也が気を利かせて部屋の前に食事を置いてくれた。こんな時までイケメン特有の気遣いを発揮してくれる聖也には頭が上がらない。


「……ふぅ」


 時間をかけて何とか食事を済ませる。これでひとまず倒れるということはない、はずだ。


「さて、描くか」


 リリアが昨日教えてくれたシチュエーション。すでにシナリオはメモに描き起こしている。後は描き進めるだけだ。


「……」


 描けない。空腹のせいでも寝不足のせいでもなく、筆が進まないのだ。


「……気晴らしにこっちを進めるか」


 本家の陵辱モノのイラストを描くことにした。いつもはデジタルだが、気分を一新するべくアナログで描くことにした。最近あまり描いていなかったので、感覚を忘れてなければいいが。


「ペンが驚くほどに進むなぁ」


 次々と頭の中にはシナリオが思い浮かび、ペンに走らせてあっという間に1枚完成できた。


 まだまだ描き足りない。気分を紛らわすためにも、もっと、もっと……。



「……はっ」


 気づいたら寝落ちしていたようだ。おかげで肩や首が痛いが、悪夢を見ずに寝れたことの喜びの方が大きかった。


「うわ……」


 起きて目に入ったのは、陵辱モノのイラストがあちこちに散らばっている。こんなに描いたのはいつぶりだろうか。


 コンコン。


「は、はいっ」


 扉がノックされ、無意識に声をあげた。


「タクミさん、大丈夫ですか?」


 この声は、リリアだ。今の時間は19時。いつもなら夕食を居間でご馳走になっている時間だ。


「ご飯、食べられそうですか?」

「……いや、ちょっと食欲なくて」

「そう……ですか。あの、何かあったんですか?」


 何もない、なんて言って納得されるはずがない。かといって嫌な夢を見たから体調最悪、なんて言いたくもなかった。


「……」

「タクミさん、今朝も顔色悪かったですし……具合が悪いんですか? 私でよければお話を聞きます」

「……」

「タクミさん? どうかしたんですか? あ、開けますよ──」


「やめろっ!!!」


「……っ」

「あ……」

「ご、ごめんなさい」


 部屋の前から去っていく足音が虚しくも聞こえてきた。


「……」


 無気力にベッドへと倒れ込む。寝たばかりなので眠気は襲ってこない。天井を見つめながら自責の念に駆られる。


「描かなきゃ」


 気分を紛らわすには、やはり絵を描くことしかなかった。ただひたすらに、思いついたことを描き起こす。見る人によっては胸糞悪い描写ばかり。しかし、それでも気分が紛れるのだから、描いて、描いて、描いて、描きまくる。



「拓巳、まだ体調は良くなさそうかな」


 聖也の声がする。無我夢中で絵を描いていたので空腹など感じていなかったが、聖也の声で空腹感が湧き上がってきた。


「……あぁ、悪い。まだ本調子じゃない」

「……そっか。本当にヤバそうだったらすぐに言ってくれよ」

「あぁ」


 部屋の外に出ると、女性陣と顔を合わせそうで嫌だ。


 ふと思い出した。確か机の中に……あった。カロリーメイトだ。これで空腹感は紛れるだろう。エナドリも潜ませてあったから、水分も摂ることはできそうだ。



「どうでしたか? 拓巳さんの様子は」

「ダメっぽいです。部屋からも出てきてはくれませんでした」


 居間では聖也、楓さん、リリア、リリイの4人が集まっていた。


「おにーさん、風邪でも引いたの?」

「ただの風邪ならいいんだけどね……あれはどちらかというと精神面な気がする」

「……ひとまず様子を見ましょう。明日には元気になっているかもしれませんし」

「……」

「おねーちゃん?」

「へっ? あ、あぁ。大丈夫、大丈夫です」

「……おねーちゃんまで変になっちゃった」



 次の日、また次の日も夢を見た。過去の再現。人物や出来事だけでなく、その時の景色、雰囲気、匂い、感情、全てが再現されたよくできた夢。過去は色褪せることなく、ただただ俺の精神を蝕んでいった。



「──はぁっ……!」


 意識が覚醒する。呼吸が荒く、息も絶え絶え。深呼吸をし、何とか呼吸を整える。まるで潜水でもしていたかのような疲労感。汗で服はずぶ濡れだった。


「くそっ……! 何なんだよ……!」


 忘れられたと思っていたのに。こうもはっきりと見せられては嫌でも思い出してしまう。


「はぁ……」


 朝から最悪な気分だ。気分を変えるためにもスマホでSNSを見る。


「……あぁ」


 自分のあげた漫画にまた反響がいくつもついていた。


 続きが気になります!

 アニメ化はよ!

 尊い作品に感謝……!


 ありがたいことに作品は支持の声が大きかったが、今の体調では自分が描いた漫画とは到底思えない。今の自分では、絶対に描けっこない。


 その中で気になる返信があった。


 更新遅くね?

 このクオリティでこの更新速度は先が心配だわ。

 こいつ元々エロ漫画家だぞ。こっち方面行っちゃったのかよガッカリだわ。

 嫌々描いてそう。描かされてそう。

 これ絶対編集とかに指示されて描いてるわ。こいつがこんな純愛モノ描けるわけないし。


 以前からこういった反面的なコメントはあったが、特に気にしていないようにしていた。しかし、今の精神状態だと批判的なコメントが嫌でも目についてしまう。


「うっせーなぁ……」


 肯定的な意見よりも圧倒的に少ない批判的な意見ばかり目に入ってしまう。


「そんな言うんだったら描いてやるよ……」


 苛立ちを抱えた状態でペンを握った。そこからの記憶は、あまり覚えていない。



 勢いに任せて描いた漫画を投稿してから数分後、俺のアカウントは燃え上がっていた。そう、炎上したのである。


 冷静になって考えてみれば当たり前だ。少年少女の純粋無垢なイチャイチャを描いていたのに、先ほど投稿した漫画はヒロインが見知らぬ男に怒鳴られて、手を引かれ、目に涙を浮かべながらどこかに連れていかれる様子を描いた不穏なシーンだった。まるでエロ漫画の導入だ。


 通知の嵐。肯定的な意見はほとんどなく、妙な考察をするヤツが『この作者のことだから胸糞展開待ったなしだぞ』という返信が連鎖的にバズり、ジャンルが純愛漫画から胸糞漫画に変化しつつあった。


「……あ、れ。もしかして俺……とんでもないことしたんじゃ……」


 部屋の扉がノックされる。


「ちょ、ちょちょちょ拓巳!? た、体調が悪いのは分かってるけど……こ、この展開は流石にまずいんじゃないか!?」

「あんた何考えてんのよ!? 別アカならまだしも、この投稿で今まで積み上げてきた人気が一気に無くなるかもしれないのよ!? 聞いてんの!?」


 聖也と恭子だ。投稿した漫画を見たのだろう。2人とも狼狽している。


「い、いや……俺は……」


 スマホが鳴る。画面を見ると編集の中山さんからだった。無視は流石にまずいと思い、電話に出る。


「も、もしもし──」

「先生……」


 その声からはいつものヘラヘラした様子はなく、静かに怒ってるような印象を受けた。


「一旦純愛モノで描き始めた以上、こっちの方向で描くのだけは止めてくれ、中途半端はダメだって一応言ったはずですけどね。こんなこと言わなくても先生なら純愛を突き通してくれるものだと思っていたんですが」

「す、すみません……」

「いえ、すみません。相談もされず投稿されてしまったので、自分もまだ動揺して理解が追い付いてないのですが。……いや、自分だけならよかったんですが」

「な、何か……」

「自分、言いましたよね? お偉いさんが先生の漫画を気に入ってるって。うまくいけば書籍化、メディア化にも漕ぎ着けるかも、そう思ってましたけど、その人たちの反応がかなり良くないっす」

「……」

「先方も漫画をご覧になってすぐに自分に電話をかけてきましてね。……その」

「……何て、言ってましたか?」


 中山さんが言い淀み、言葉に詰まるなんてことは滅多にない。それほどキツいお言葉をいただいたのだろう。


「まるで作者の自慰行為を見せられているようだ、と」


「……」

「正直に言うとですね。自分もそう思いました。読者のこと、本当に考えてんのかなって」


 こうして言葉に出されると、精神的にかなりキツい。心臓を鷲掴みにされているかのように、胸が締め付けられた。


「先生、少し、頭を冷やした方がいいかもですね」


 そう言って電話が切れてしまった。


 それと同時に、俺の意識も途切れてしまった。

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