第2話 始まりは順を追って

「……」


朝起きて拓巳はいつものルーティンをこなす。布団の中でSNS、匿名掲示板を開き、1時間ほど情報収集。


「ふむ……今日も平和だな」


特に面白いニュースはない。のそのそと布団から起き上がり、窓を開けて外の空気を吸う。


今住んでいる江口荘えぐちそうの2階の部屋から見る景色。特に代わり映えのしない景色だが、目の前にいつもの日常が広がっているのを見るのは嫌いではなかった。


「いい天気だ」


清々しいほどの朝。こんな日は何か良いことが起こりそう、そう思った次の瞬間だった。


「あーーーーーーーーー! ムショクが早起きしてるぞーーーーーーーーーー!」


「来やがった……」


清々しい朝を掻き消すクソガキの声が聞こえてきた。清々しい朝が一瞬にして台無しである。窓から下を見るとクソガキ2人組がこっちを見て腹立つ顔をしていた。


「「早く仕事行けーーーーーーーー!」」


「うるせえええええええええええええ!!! テメェらこそ早く学校行けコラァ!」


「「うわーーーーーーーー! エロニートがキレたーーーーーーーーー!」」


「ニートじゃないが!?!? 収入あるんだが!?!?」


騒ぐだけ騒いでクソガキどもは去っていった。


「あんのクソガキども……親の顔が見てみたいぜ全く」


「タクミさ〜ん」


うんざりしているところに落ち着いた声が聞こえてきた。下を見るとこのアパートの管理人である江口楓えぐちかえでさんがいた。


おっとりとした雰囲気で日頃からお世話になっている人だ。優しげな瞳と背中まで伸びた茶髪が朝日に照らされてまるで女神のようだ。


「楓さん、おはようございます」

「おはようございます。大きな声が聞こえてきましたけど、何かありましたか?」

「またいつものクソガキですよ」

「あぁ。あの子達ですか。うふふ、元気があっていいですねぇ」


口元に手を当てて上品に笑っている姿はとても可愛らしく、こちらまで癒される可愛さだが、毎朝のように煽られる俺からすれば全く笑い事ではない。


「楓さん、そろそろ表札を直しましょうよ」

「うーん、そうですねぇ」


このアパートの表札。敷地に入るところにあるのだが、”江口荘”と書かれていた表札は経年劣化で文字が掠れていた。結果、”江”のさんずいが消えてしまい、”エロ荘”となっているのだ。


「あの表札。エロ荘になってるからガキどもが面白がってるんですよ」

「ふふ、いいじゃないですか。そのおかげで子供たちからは面白いって評判何ですよ? この前もtiktokにあげられてましたし」

「晒されてますやん。絶対直してください、今すぐに」


呑気なものである。確かにさんずいだけが消えるなんて偶然にしてはすごいけれども。こんなバズり方はしたくなかった。


「俺たちこのままじゃ煽られっぱなしですよ?」


「煽られてるのはタクミっちだけでしょー?」


隣の窓からひょこっと顔を覗かせたのは成瀬由梨なるせゆりさんだ。寝起きだからか髪はボサボサ。相変わらず胸元が見えまくっている刺激的な格好をしている。もう少し上の角度から見たら乳首見えますよねその服。


「由梨ちゃん、おはようございます。今日はお仕事お休みなんですね」

「おはよー。そだよー」


由梨さんはガールズバーで働いている。今日のように由梨さんが休みをとっている時は別として、彼女の勤務時間は夜なので普段はこの時間に挨拶を交わすことはない。


「おはようございます。それと煽られてるのは俺だけって話は聞き捨てなりませんね」

「マジマジ。だってこの前アタシが声かけたら目も合わしてくれなかったよ?」

「私も同じような感じでしたね。なぜでしょう……?」

「モジモジしてて可愛かったー♡」

「あぁ……そういうことですか」


推測するに、楓さんや由梨さんみたいな色気ムンムンの人に話しかけらて恥ずかしかったのだろう。まさかこんな身近でおねショタ展開が繰り広げられていたとは。今度ネタにしてやろうかな、色々と。


「さて、それじゃあ朝ごはんにしましょうか」

「わーい、食べる食べるー」


いつもなら俺はもう一眠りするところだが、今日は外に出る用があるため寝間着から普段着に着替えて下へと降りていった。



下へ降りると既にテーブルに由梨さんは待機していた。朝ごはんを今か今かと待ち侘びている。


「あれ、タクミっち今日出かけんの?」

「えぇ。今日は出版社で打ち合わせがありますんで」

「おぉー、漫画家っぽいね」

「ぽいじゃなくて漫画家なんですけどね」


そう、俺は漫画家なのである。一応言っておくと超有名な漫画家ではない。稼ぎもサラリーマンの平均年収とさほど変わりは……いや、平均年収よりちょっと低かったりする。世間への認知度は知る人ぞ知る、といったぐらいだ。


それに描いている漫画は主に18禁。つまりはエロ漫画だ。大っぴらに人に言えるようなジャンルではない。


「ちぇー、せっかく暇つぶしにタクミっちと遊ぼうと思ってたのになー」


口を尖らせる由梨さん。子供っぽい仕草なのに格好のせいで色っぽい……というか着替えてこなかったのかよ。めちゃくちゃ乳首見せそうですがな。


「……気になる?」

「……え、何が?」

「あっはっは! 声震えてるじゃん! 童貞くせー!笑」

「ぐ……」


この女……俺がキョドるのを楽しんでやがる……。これだからビッチは嫌なんだ。


「いやー、やっぱタクミっちを揶揄うのは面白いね。まだまだ童貞を卒業するのは先の話になりそうだね」

「ふっ。卒業するにも相手がいないんでね。まぁ、卒業するつもりもないんですけどね」

「……したげよっか?」


由梨さんの手で輪っかを作り上へ下へと卑猥な動きを描き出す。それどころか舌まで出しちゃってる。とことん下品な人である。


「……由梨さん、俺、は……」


俺は言葉を失った。由梨さんの後ろに立っている人影がすごい顔をしているからだ。


「え? なになに? 本当にしたくなっちゃったとか──」


「由梨ちゃん?」


ビクゥ! と由梨さんの肩が跳ねる。恐る恐る後ろを見る由梨さん。そこにはニッコリと笑っているけど笑っていない楓さんがいた。


「あ……カエデ、サン……」

「不純な関係はめっ、ですよ?」

「あっハイ……」

「うふ♡ さぁご飯にしましょうか」


そして何事もなかったかのように料理を運んできた。

この家の抑止力である楓さんの圧は強力だ。俺も怒らせないようにしなくては。



俺、楓さん、由梨さんの3人で朝食をとる。


「この3人で朝食って珍しくない?」

「そうですねぇ。いつもは私と聖也さん、あとは恭子ちゃんのパターンが多いわね」

「ほえ〜そうなんだ~」


確かに、俺もお世辞にも規則正しい生活を送っているとは言い難い。朝食を取るときの面子は様々だ。


「私としては皆さん一緒に朝食をとってもらいたんですけどね」

「でも夜はみんないること多くない?」

「朝ごはんも大事なのっ」


頬をぷくっと膨らませる楓さん、かわいい。結婚したい──いや、ダメだダメだ。


「ごちそうさまでした」


「あら。もういいんですか? おかわりもありますよ? 久しぶりの外出なんですからもっと食べたほうが……」


楓さんのご飯は美味しいが、量が多い。ご飯、焼き魚、卵焼き、サラダ、果物盛り合わせなどなど。ホテルの朝食かっ、と突っ込みたくなるぐらいだ。全て食べ切るのは到底無理だった。


「だ、大丈夫です。あまり食べすぎてお腹壊したらいけないんで……」

「そう……」

「あー、タクミっちが楓さん泣かしたー」

「あー、おにぎりとか作ってくれたら時間ある時食べられるかもなー」


ぱぁ……! と楓さんの顔がみるみる明るくなる。本当にかわいい。


「すぐ作りますっ!」


ダダダダダっ!!! とんでもない速さで台所へと駆けていった。


「むふふ、やるねぇタクミっち」

「あんまり楓さんを困らせたらダメですよ」


その後、両手に抱えるぐらいのおにぎりを持たされる事になるとはこの時は知るよしもなかった。



出版社の入り口を通り、会議室へと通される。さっそく担当の編集者さんにおにぎりをお裾分けする。


「なるほど、それでおにぎりいっぱい持ってたんですねぇ」

「えぇ、まだまだありますんでどうぞ」

「ありがたくいただきます。いやー、昨日の夜から何も食べてなくて」


編集者である中山さんはおにぎりを頬張りながら、目の下のクマを強調させるような真面目な顔をた。


「田中さん、ちょっと重めな話していいです?」


やはり、いい話ではないらしい。というのも出版社に呼ばれた時点で少し嫌な予感はしていた。今の時代、わざわざ出向かずともビデオ通話や電話で会話は可能だ。そうせずに直接会って話すということは、相当おめでたい話か、その逆かだ。


「僕からこんなこと口にするのは……心苦しいんですけど……」


これはこちらから言ってあげたほうが、中山さんも気が楽だろう。


「……クビですか」


「いや、全然違いますよ」


ズコーッ、と一昔前の漫画みたくこけそうになった。


「はっはっは。エロ漫画界の期待の星、貞王ていおう先生を解雇するわけないじゃないですか」


貞王、というのは俺のペンネームだ。大学時代に童貞の王だと自称してネットで暴れまくっていた時につけられたあだ名をそのままペンネームにしたのだ。


「じゃあ何で俺を呼んだんですか!?」


「ちょっと新しい企画を考えてたら行き詰まってしまいまして。それに、たまにはこうして顔を合わせて話したほうがいいじゃないですか」


一理あるが、前置きが重かっただけに肩透かしもいいところだ。無駄に構えてしまったせいでどっと疲れた。今すぐ帰りたい。


「……それで、目にクマまで作って何を考えてたんですか?」

「先生、新しいジャンルに手を付ける気は無いですか?」

「新しいジャンル、ですか?」


ゆっくりと中山さんは頷く。


「先生の凌辱モノは確かに素晴らしいですよ。ハードすぎるわけでもなくかといって中途半端でもない。凌辱モノが好きな人はもちろん、苦手な人も楽しめてるという意見をよくいただきます。完全な黄金比のようで実に素晴らしい」

「そ、それはどうも」


中山さんのいう通り、俺は凌辱モノのエロ漫画を描いている。強気な女が屈強な男に堕とされる姿は描いていて心地良ささえ感じてしまう。色々なジャンルを手にかけた結果、凌辱モノが一番筆が早く、アイデアに困ることも無かったのでここ最近は凌辱モノばかりを描いていた。


「でもですね、読者からの意見でよく見かけるんですが、純愛とかイチャラブを見てみたいっていう意見が結構多いんですよこれが」

「純愛……イチャラブ……ですか」

「露骨に嫌そうな顔をしないでください」


無意識に嫌な顔をしていたらしい。ぶっちゃけ一番苦手なジャンルかもしれない。まだリョナ描いてくださいと言われたほうがマシだったかも。


「後ですね、ちょっと目立つ意見がもう一つあってですね」

「何ですか?」

「『リアリティがない』とか『作者絶対童貞だろw』みたいな意見ですね」


出たよ。漫画にリアリティを求めるクソ批評家もどきが。いいじゃねーか漫画なんだしよ、リアリティ求めるならドラマでも見てろやボケ。


「先生、顔が歪んでます」

「すみません。あまりにクソみたいな意見だと思って」

「まぁ気にすることはないですよ」

「中山さん……」

「今時20代後半で童貞でも珍しくないって言いますし、自信持ってください」

「そっちか」


てっきり面白い漫画だと褒めてくれるもんだと思っていたが、童貞であることを慰めてくれたらしい。


「言っておきますがね、俺は童貞だからこそ漫画が描けると思ってるんですよ」

「というと?」

「まとめサイトとかでよくみるじゃないですか。セックスはそんなに気持ちよくない、自慰行為のほうがマシみたいな。つまり、俺は妄想をこの世の真実と定義して漫画に落とし込むことができるんです」


「はえー。あ、おにぎり美味しいっすね」


この野郎、2度と対面で会ってやるものか。その後は他愛ない会話をして出版社を後にした。



家に帰る途中、中山さんに言われた言葉をずっと考えていた。


「純愛……イチャラブねぇ……」


どうすれば描けるか、そもそも描くべきか。中山さんは口には出していなかったが、ここ最近の収入は上がることもなく下がることもなく。以前までは上り調子だったのに。


「新規層を取り込むためには描くべきか」


このままでは俺の漫画を読む読者層は一部の信仰的なファンばかりになっていく未来が見える。ファン層は広くて悪いことはないはずだ。


「……よし」


俺は帰りに本屋に寄り、色々と参考資料を買い漁るのだった。



「ただいまです」


夢中で参考資料を本屋で探していたらすっかり遅くなってしまった。帰って自分の部屋に戻ろうとした時だった。


「あれ、拓巳。今日は外に出てたんだ」


茶髪のイケメンに声をかけられた。この家の住人である桜井聖也さくらいせいやだ。身長は175cm前後に中性的な顔立ちで道ゆく女性は必ずこいつを見て一瞬で見惚れてしまう。それぐらいイケメンだ。


「神は残酷だ」


「え、何の話?」


「何でもない。そっちは今日引きこもりか?」


「うん。在宅勤務って素晴らしいよね。毎日したいよ」


聖也はIT系の企業に勤めている。最近は在宅勤務でも全然OKらしく、出社せずとも自分の部屋で仕事をしているらしい。


「拓巳は買い物でもしてたの? 随分豪遊してるね」


少し買いすぎてしまった。両手に紙袋を持っているせいで怪しさが隠し切れていない。


「ん、まぁそんなところだ」


買ったものが本であることは全然良い。しかし、今日はたまたまジャンルがよろしくない。少しだけ紙袋を遠ざけるようにしたが、それがよくなかった。


「……なるほど」


ぽん、と肩に手を置かれる。


「するときは部屋の鍵、閉めておくんだぞ」


「待て、絶対勘違いしてるだろ」


「エロ本だろ?」


「違うわ」


こういった場合下手に隠す方が疑われて面倒なことになることが多い。俺は紙袋の中身を大雑把にみせた。


「まぁそうだよね。今は電子版が主流だし」


まぁ聖也なら別に見られても揶揄われたりすることはないだろう。もっと厄介な奴がやってくる前にこの場を早く離れなくては──。


「ちょっと、通路塞がれると邪魔なんだけど」


「げっ……!」


一番会いたくない奴がよりにもよって、このタイミングで来やがった。


「人の顔を見るなりげっ、て……とことん失礼ね」

「あ、恭子ちゃんお疲れー」

「お疲れ聖也くん」


イケメン相手でも怯むことなく、普通に挨拶を交わしているのは木山恭子きやまきょうこだ。ショートボブをさらりとかきあげ、聖也に対抗するかのように整った顔を見せつけてきやがる。


二人を見ていつも思う。年齢は近いのにここまで容姿や仕事に差があるのはおかしくないか? と。


「こんなところで一体何をしてるの?」


「何でもねーよ」


聖也に見せていた紙袋の中身を咄嗟に隠す。


「ちょ……何であんたが超王道少女漫画ラブコメ『君に届けたい』を買ってるのよ……ま、まさかそういうので発散するつもり……!? キモっ……!」


「こわっ! 何で今の一瞬で分かったんだよ!?」


「今一番アツい少女漫画だもの。同じ漫画家として、流行りを知っておくのは当然だわ」


そう、こいつも漫画家だ。ちなみに俺より売れている。見られたのは表紙の一部ぐらいだったと思うのだが……。こいつ千里眼でも持ってるんじゃないか。


「それにしても……あんたが純愛を……なに、新規層取り入れたいから新しいジャンル描こうっていうの?」


うん、千里眼持ってるねこれ。


「いや、描くと決まったわけじゃないぞ」

「ふーん。ま、凌辱モノのエロ漫画ばかり描いて脳が破壊されてる貞王先生が描けるとは思わないけどね」


んだとぉ……? 描けらぁ! と言ってやりたいところだが、今のところ全く描ける気はしないので、ぐうの音も出ない。


「……でもコイツの絵柄で純愛か……。もしかしたら……」

「あ、何か言ったか?」

「何でもない。期待しないで待ってるわ」


ひらひらと手を振りながら去って行った。


「ぐぬぬ……今に見てろよ……!」

「拓巳が純愛をねぇ」

「何だよ。お前もできないって思ってるのか?」

「いやいや。ぜひ見てみたいと思っただけだよ」


そうは言いつつも聖也もあまり期待していないに違いない。純愛がなんだ。今に見てろよ、圧倒的純愛漫画を描き上げてみせる……!



結論から言おう。無理でした。


「う……あ、甘ったるぃ……胃がもたれるぅ……」


普段読まないジャンルだったこともあるが、あからさまなイケメンと顔立ちがそこそこいい自虐気味な少女とのやりとりを見続けたせいでお腹いっぱいだった。


「いつも竿役を汚いおっさんとかクズなチャラ男にしてるからな……これが王道ラブコメか……」


ロジックは理解した。どういったシチュエーションで女がときめくのか、どのような言葉で女が喜ぶのか、それら全てがこの『君に届けたい』には詰まっていた、ように思う。


しかし、実際に筆を取って描こうとしても、描けない。ロジックは分かっているのに。ちなみに電子版でイチャラブ系の成人誌や同人誌を買って読んでみたが、それでもダメだった


「……ふわぁ」


ダメだ。慣れないことをしたせいで疲れてしまった。少し横になると、すぐに睡魔はやってきた。


「やっぱ……無理……か……」


意識はすぐに落ちていった。




『気持ち悪い』


俺を見て女の子がそう言ったことを、今でも覚えている。こうして何度も夢で再現され、その出来事は脳に焼き付いている。


純愛の漫画が描けない理由が、夢の中で分かった気がする。俺は、誰かに好かれるイメージが持てないし、好きになってはいけない気がしているからだ。


この女を汚したい。そのイメージは湯水のように湧き出る。しかし、誰かを愛したいというイメージは、どうあっても持てない。


思い出というのは、これほどまでに厄介だとは思いもしなかった。




「う……」


嫌な夢だった。時折見るが未だに慣れることはない。昔の思い出の再現。起きた時の気分といったら最悪だ。


「くそっ……やっぱ純愛漫画なんかやめだ」


恋愛なぞくそくらえ。女は汚してなんぼのもんじゃい。甘ったるい世界はいらない。新規の読者もいらない。分かってくれる人が1人でもいれば、それでいい。


「俺は、一生童貞であり続けるぞぉっ!」


そう口に出したことで創作意欲が湧いてきた。まだまだ夜は明ける気配はない。完全に深夜テンションだが、この勢いで筆を取って──。


「えぇ!? は、はやまらないでっ!?」


「え?」


「あ」


突如として聞こえた声。ゆっくりと窓の方を見ると、そこにいたのは月夜に照らされた女の子がいた。


しかし、それは幻想的な光景などではなく、ただただ不思議な光景だった。だってこの部屋は2階。女の子があんな風に窓枠に手をかけて、顔を覗かせるなんてできるはずが──。


「さ、騒がないでぇっ!」


「!?」


「きゃぁ!?」


スマートに体を持ち上げて部屋に入ろうとしたんだろうが、失敗。窓枠に足が引っかかり無様に転けていた。


「は……羽……!?」


部屋の明かりに照らされて少女の全貌が明らかになった。肩まで伸びた美しい髪。吸い込まれそうな赤みを帯びた綺麗な瞳。


そして極め付けは背中から生えた羽、頭から生えている角、臀部から伸びている尻尾。コスプレだとすれば完成度が高すぎる。あと格好が体のラインぴったり浮き出ててえっちすぎる。


「だ、誰だ……? それにその羽とか角……ほ、本物か……?」


「わ、私のことはどうでもよくて! はやまっちゃダメです!」


「は?」


「ど、童貞であり続けるなんて、考え直しましょう! 今はまだ卒業できないかもしれないですけど、きっと卒業できる日は来ます! 生きてさえいれば!」


何だこの痴女は……。自殺を止めるような勢いで急に諭してきやがった……。


「そ、そこで……なんですけどぉ……」


と思ったら急にモジモジし出した。両手の指を合わせたり離したり。落ち着かない様子だ。


「わ、私で童貞卒業してみたり……しません?」


「いや、しないが」


「何で!?」


「何でと言われても……見ず知らずの女の子に童貞捧げる気にはならんだろ。美人局とかだったら怖いし」


「じゃ、じゃあ自己紹介しますっ!」


ビシッと手を挙げた。見た目に反してめちゃくちゃ真面目な子だ。


「わ、私はリリアと言います! サキュバスですっ!」


「あ、田中拓巳です。人間で──え!? サキュバス!?」


まさかの異種族。格好から普通の人間ではないと思っていたが、流石に別の種族だとまでは思わなかった。


「……寝すぎたか」


「あ、夢だと思ってますねこれは……ほら! この角! 羽! 尻尾! 人間にはないでしょう!?」


「いや、今のコスプレはレベル高いからな」


見た感じは爬虫類の鱗のような光沢が見られるが、所詮は創作物だろう、と角を触ってみた。


「ひゃぅ……!?」


「う……!? 何だこの感触……!?」


艶かしい声とともに手から伝わる感触。触った時に人肌のような温もりを感じた。人工物でないことは明らかだった。


「い、いきなり角を触るなんてぇ……!」


「す、すまん。え、じゃあマジで本物のサキュバス?」


「そう言ってるじゃないですか!」


ぷんぷんと怒るサキュバス。俺が思い描いていたサキュバスのイメージとだいぶ違うようだが……。


「ではこれでお知り合いになりましたね。というわけで精液を……」


「うおおおおお!? 待て待てぇ!」


ずいぶん真面目な子だなと思ったら急にパンツに手をかけられた!?


「じ、自己紹介は済ませたはずですよね!?」


「自己紹介済ませたからってセックスできるか!」


「ど、童貞卒業できるチャンスじゃないですか……さぁ、いっちょ卒業しちゃいましょうよ……!」


「だ、誰がするか……うおお……! 力強えぇ……!」


か弱そうな腕からは信じられないぐらいの力強さだ。恐るべしサキュバス。


「お、お願いです……! ちょっとでいいですから! 先っちょだけですからぁ!」


「うぐぐ……こ、断るぅ……!」


「私に、精液くださいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


「ああああああああ!! 誰か来てええええええええええええええええええええ!」


こうして、今に至るのだった。

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