第三話 青い蝴蝶と黒豹

「あんたがキームンさんかい?」


 後ろに手を回され、ぐるぐるにロープで縛られてから、被せられていた麻袋が取り外された。


 見回すと、ざっと五十人ほどの男たちに、周りをずらりと取り囲まれていた。


 腕や首に黒いバンダナを巻いている、黒いスーツ姿の男たちが、一見して倉庫であるその場所で、ニヤニヤと彼女を見ていた。


 上海マフィア「黒豹幇ヘイバオ・パン」。

 今、上海で勢力を拡大している最も知られている集団だ。


「ジジババやら若い女を助けて、うちの構成員をボコしてくれたそうだな?」

「けっ! 俺たちよりデカいからって!」

「西洋の女が、でしゃばってんじゃねぇ!」


 彼女をにらみつけ、周囲の手下たちが口々にののしる。


 中央に足を組んで座る、人相の悪い、傷だらけのスキンヘッドの男が、肉まんの二倍はある豚まんを頬張り、口の周りと手を肉汁で汚した。

 隣に立つ男が、サッと布で口とその手を拭いた。


「二つとも食べたの? あたしの豚まん……商店街一美味しいあの店のはそれで最後だったのよ。せっかく並んで買ったのに、食べ損ったじゃない」


「ほう! こんな状況でも、あんた、食い意地張ってんなぁ! 西洋人にも豚まんのおいしさがわかるとは意外だぜ!」


 ボスのセリフに続き、意地悪く、男たちがさげすんで笑った。


「さて、あんた、どうも妙な技を使うらしいな。うちの奴らが見張ってたところ、あんたが煙管をくわえると頭がボーッとしちまうとか。そんで、よく覚えてないとか」


「ストーキングしてたのね」


 眉根を寄せて、キームンは目の前でボスらしきスキンヘッドの男を見据えた。


「そんな話を聞くと、この煙管に秘密があるのかと思わねぇでもねぇよなぁ!」


 男の呼びかけに、男たちは、そうだそうだ! と馬鹿にしたように笑う。


「やめて、なにをする気? その煙管に触らないで!」


 立ち上がろうとする彼女を、両脇から男たちが押さえつけた。


「ほほう? やはり、この煙管に秘密があるんだな?」


 にんまりと笑うボスに続き、手下たちもひやかすような声を上げる。


「こいつを叩き割ってから、たっぷりとお前の相手をしてやろう、西洋女」


 ドスの効いた声で静かにそう言うと、ボスは青い蝶の絵柄の煙管を、コンクリートの地面に落とし、踏みつけた。


 バリンと煙管が割れた。

 ボスの後から手下たちがさらに踏む。

 金色の吸い口や火皿が外れて飛び散った。


 下を向いたキームンの目から、涙が一筋流れた。


「なんてことを……! せっかく特注で作ってくれたのに……可哀想に……」


「おっ? 悲しいか? 泣いてやがるぜ!」


 彼女を押さえつけていた男のひとりが笑う。


「煙管がなけりゃ何も出来ねぇってかぁ?」

「お前の妙な術は、煙管に何か仕込んでたからだったんだな!」

「種明かしは簡単だったな!」


「さあ、今度はお嬢さんの番だぜ。西洋女のカラダはどうなってんのか、開拓してやろう」


 ボスの掛け声に応える手下たちが騒ぎ立て、抑えていた男たちが、彼女の顔を上に向かせた。


 涙の通った跡が薄暗い裸電球の光でもわずかに反射し、高い鼻筋の通った、アジア人からすると彫刻にも見える彫りの深い白い顔を、欲望を丸出しのにやけ顔で男たちはのぞきこんだ。


 すっと、冷静にまぶたが開かれた。


 恐ろしさで打ち震えているはずの予想は、裏切られた。


 彼女の顔には、笑みさえ浮かんでいた。


「ふっ……、あたしが可哀想って言ったのは、煙管のことでもあり、それを作ってくださった職人さんのことでもあり……お前たちのことでもあるのよ」


 ぴたっと静まり返ると、再びマフィアの男たちが笑い声を上げた。


「ほう? 負け惜しみか?」

「俺らのどこが可哀想ってんだい?」

「あんた、職人がどうとか言ってねぇで、少しは自分の身を案じたほうがいいんじゃねぇのかよ」


 スキンヘッドのボスが歩き出す。


 凶悪な人相に威圧的な態度。それだけでも十分人に恐怖感を与える。

 そんな男が、さらに銃を手に彼女に触れられるほど近づいた。


 その時——

 

 「うぎゃっ!」とボスの男は叫び、いきなり後ろに吹っ飛んだ。


 手下数人を巻き添えにして3メートルほど飛んでいき、黄金色をしたボスの胸像に激突した。


「ボスー!」


 跳ね返って地面に転がった彼らは、ピクリとも動かなかった。


 ボスの胸像の金メッキが剥がれ、顔の部分が欠けている。


 倒れているボスに駆け寄った手下が呼びかけると、かろうじて唸り声がする。

 残った手下たちは顔を見合わせてざわめいた。


「……何があった!?」


「見えなかったようだね」


 途端に、金髪西洋女性の口からは男の声が発せられ、いつの間にか片足が突き出されていた。


「……ってことは、この中にはの敵になるほどの者はいないってことだね」


 言い終わらないうちに、キームンの足が地面のすぐ上を水平に回し蹴りし、押さえつけていた男たちが足元をすくわれ、噴水のように放射状に天井近くまで舞い上がってから、背面から地面に落ちた。


 そのままの勢いで足から身体を回転させて立ち上がる。常人ではあり得ない。そのキームンの背後では、男のひとりが指を差して叫んだ。


「蝶だ! どこから入ってきやがった!?」


 後ろ手に縛っていたロープには、青い蝶が数匹止まっている。

 ロープは噛み切られたかのように切れて外れ、自由になった腕は拳を作り、そばに立つ男たちを殴り倒し、蹴り飛ばしていった。


「こ、こいつはいったい……!?」


 白い斑点に黒い縁取りと模様の青い蝶たちが、キームンの周りに渦を巻くようにどこからともなく集まった。


 すうっと、目を閉じて一呼吸してから、長い金髪の男性となった西洋人は、にっこり笑った。


「煙は僕が女性に変装するためのものでもあったんだよ。上海マフィア『黒豹幇ヘイバオ・パン』、僕の目的は、お前たちの破滅!」


 爽やかな笑顔でそう言うと、低い体勢で地面を蹴り、先ほど吹っ飛んだスキンヘッドを片手で掴み、ぶん! と横投げした。


 ボウリングのピンのようにぶつかり合い、手下たちが声を上げて吹っ飛びながらバタバタと倒れていく。


 髪に差してあるかんざしを引き抜いた。


「なっ! そんなところにも煙管が!?」


 手下たちが気づいたときには、キームンの吐き出した煙が青く、勢いよく倉庫内を埋め尽くしていく。


 ガガーン!


 彼に向けられて発砲されたはずが、弾丸は明後日の方向へと逸れていった。


「無駄だよ。僕の煙は、光を屈折させて水面のように見えている方向を変える。お前たちは、僕を銃では撃てない」


 その反対側では、金色の髪をストールのようになびかせながら、アオザイとクワンがひらめき、まるで青い蝶たちとともに戯れているかのように優雅に舞う。


「銃が!」

「なんだ、このキラキラ光る粉は!?」


 マフィアたちが手にした拳銃には、青く輝く蝶の鱗粉りんぷんが振りかけられたかのようだ。


「構わねぇ! 数撃ちゃ当たんだろ!」


「おっと! それはやめた方が身のため……」


 気づいたキームンが言い終わらないうちに、彼らが引き金を引いた銃が、次々と暴発した。


 悲痛な叫び声を上げながら傷付いた利き手を抑えて倒れていく。

 そんな同胞を見て銃をあきらめ、鉄パイプや斧、ナイフなどを手に襲いかかった黒スーツの男たちだったが、叫び声を上げ、次々と蹴散らされていき、壁やシャッター、積まれた土管、資材などに衝突していく。


 ボスをかたどった黄金色の象も砕け、もはや原形をとどめていなかった。


 倉庫の中では、むごたらしい阿鼻叫喚の惨劇が起きていることなど、人気ひとけのないその周辺では、誰にも知られることはなかった。

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