今の私は、友人の無事を祈るしかない。

江戸川ばた散歩

執着の強さとは

「あらお久しぶり!」

「まあマルタ、元気だった!?」


 ここは百貨店の帽子売り場。

 夫は喫煙室で時間を潰しているから幾らでも見てこい、と言ってくれたので、最近流行の大きなつばの帽子をあれでもないこれでもないと選んでいたところ、近くに居た客が女学校時代の友人と気付いた。


「まあまあまあまあ」


と、手を合わせて私達は再会を喜ぶ。


「貴女も帽子を新調しに?」

「新調は新調なんだけど、子供用ね」

「あら貴女結婚なさったの!?」

「ええ。さすがにもうこの歳だと縁談も少ないかな、と思っていたのだけど、どうしても私を、というひとが居たので」

「そう! よかった」


 ん? ちょっと今の言い方は馬鹿にしている感じかな?

 ただ彼女は昔から引っ込み思案だったので、自分からこんな殿方がいい、ああいう家柄がいい、ということを両親には言わなかったと思う。

 ご両親も確か、娘が嫌なら結婚しなくとも…… という雰囲気の人々だったし。


「じゃあ今日は旦那様とご一緒に?」

「ええ! 彼には子供が前々から欲しがっていた望遠鏡を見繕ってもらってるの」

「そう! じゃあせっかくだから、一緒に今日はお昼をいただきましょうよ」


 では、とエレベーターの前でそれぞれの家族を連れてくることなった。



 ちん、という音と共に矢印が階の数字を指し、格子の扉が開く。

 そこから彼女の夫と息子が出てきたので、私はこっちよ、と手招きした。


「やあこんにちは。初めまして、ええと」

「アデリーンよ! ヘルマン・アルステ夫人の」

「ああ…… 自分はルドルフ・コンドルと申します。妻のマルタとは昔馴染みだそうで」

「ええ、女学校の時はそれはもう! ねえ貴方、前々から言ってた親友とその旦那様よ。ぼけっとしないでご挨拶して」

「あ、ああ……」


 夫は挨拶したけど、その様子がどうもおかしい。

 とは言え、それをそのまま口にも顔にも出すのも何だし。

 私達はそれから軽めの昼食を共にし、また機会があったらいらっしゃい、ということを話した。



 帰宅後、私は夫の表情があまりに暗いので、着替えた後お茶を持って来させ、隣で少しじゃれついてみた。

 髪をくしゃくしゃとかき回し、額をぐりぐりと擦り付け。

 そうすると大概は。


「うるさいって払いもしないってのはどうしたの、ヘルマン、貴方」

「え」


 彼はやっと気付いた、とばかりに抱きつかれている現状を把握したらしい。


「何なの貴方、昼間からずっとおかしいわよ」

「あ、ああ……」

「私の旧友にあれじゃ失礼だわ」


 うん、と彼はうなづく。

 そして運ばれてきた茶を淹れ、一口含む。


「なあ、俺、実は、君の友達の旦那を知ってるんだ」

「え?」

「向こうは知らないかもしれない。遠縁だからな。ただちょっと訳ありだったんで、知ってしまった羽目というか」

「歯切れが悪いわね。きりきり白状なさい」


 私はそう言って夫の首をこちらに向ける。

 顔色が悪い。


「……ううん、別に言いたくないならいいわ。何か、私の友達にもあまりいい話ではなさげだし」

「いや、あの夫人が君の親友だというなら、是非心に留めておいて欲しいんだ」


 そして彼は話し出した。


「俺の遠縁に、双子の姉妹が居てね。

 一卵性双生児って言うのかな。本当にそっくりで、よく色違いのリボンを変えたり何だり、入れ替わりとかやって、親戚連中とかをからかって遊ぶ明るい子達だったんだ。

 そのうちの姉のリリーと、あのルドルフ・コンドルが結婚したんだ。

 コンドルは元々さほどの家柄じゃなかったから、配偶者候補には当初入れられていなかったんだが、リリーと結婚するために、専門である建築技師としての仕事に力を入れまくり。

 ほら、今度また博覧会あるだろ? あれの前の奴の、メインの建物の設計公募で、最優秀賞をもらって、一躍有名になったんだ。

 さすがにそこまでやれば、と家の方も満足して、彼女を嫁に出したんだ。

 だがそのリリーが妊娠中に身体を悪くして、産み月近い頃に亡くなってしまった。

 ルドルフはもう嘆きに嘆いたよ。

 何せ最愛の奥方と、子供両方が駄目になってしまったのだからね。

 ただあまりにもその思いが強かったのか、そこで彼は双子の妹のローズの方にこう持ちかけたんだ。

 子供だけでも産んでくれないか、って」

「何ですって!」


 さすがにそれは無いだろう。

 そっくりな双子だとしても、別人には違いない。


「しかも彼女は姉と同時期に別の男とちゃんと結婚している。つまり人妻だ」

「……無理よね」

「だろう? だから無理ならそっちの子供だけでもって」

「でも、どうしても、って騒いだって訳? 親戚筋がそうやって知ってしまったってことは」

「そう」


 夫はうなづいた。


「ローズがもう怖がってしばらく神経を病んでしまったくらいでね。

 それで彼女を連れて夫婦は別の地へ転属。

 それを知ると、ルドルフ・コンドルもせっかくこれから、という時に姿をくらましてしまったんだ」

「そうなの……」

「ところが、あれからもう七~八年がところ経ってるんだが、……戻ってきてるとは思わなかったよ。

 と言うか、君の友達」

「マルタがどうしたの?」

「……他人の空似にしては、リリーに似すぎていてね……」


 えっ、と私は息を呑んだ。


「君の友達に何事も無ければいいんだけど……」



 それからすぐ、私はマルタに手紙を出した。

 先日は楽しかった。また会いましょう。あの頃は楽しかったわね、等々。

 ところが、一週間程経って、その手紙は宛先不明で戻ってきた。


 それ以来私はマルタと、その夫君と子供の消息を知らない。

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今の私は、友人の無事を祈るしかない。 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo

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