人魚の国の魚人

花果唯

とある醜い人魚のおはなし

 幻の国、アクアラグーン。深い海の底にある美しい人魚達の王国。

 光の届かない深海にも関わらず、国は光に溢れている。

 国中を色とりどりの灯り海月が遊泳。虹色貝が光を放ち、蛍珊瑚が光の粒子を振りまく。

 場所も、生き物も、全てが美しい。


 ――此処で美しくないものは『私』だけ。


 私が泳ぐと皆が離れ、灯り海月も去っていく。それが私、『魚人』の日常。


 魚人というのは私のあだ名で、見た目からそうつけられた。

 私は美しい人魚達とは違い、魚のような上半身に、下半身は鱗に覆われた二つの足。

 人間、人魚――、両方から『化け物』だと言われる。


 父と母は、人魚の中でも美しいと評判だ。

 一緒に生まれた双子の妹も、身体は弱いけれど二人の血を感じる美しい人魚だ。

 どうして私だけ、化け物なのだろう。


『身籠っている時に 呪われたんじゃないかい? あんな化け物を生んで気持ち悪かっただろう?』


 母がそう言われていたのを聞いたことがある。

 私も母は哀れだと思う。


 両親は身体の弱い妹に時間を割いているが、私のことも大事にしてくれた。

 私と妹の誕生日には、いつも同じものをくれる。

 去年は真珠の首飾りだった。


『お姉ちゃんと同じものを貰って嬉しい!』


 首飾りをつけた妹は、人魚姫のように輝いて綺麗だった。

 一方の私は、いくら着飾っても所詮は魚人。滑稽なだけなのでつけたことはない。


 妹と同じものをくれる両親、そしてそれを喜ぶ妹。

 どちらも好意だと分かっているが……。


『どんなに着飾っても、私はあなたと同じにはなれないの』


 鱗に覆われた胸が痛む。

 周りの人達は冷たいけれど、家族は優しい。

 私は恵まれているのに……辛い。

 家族の優しさが苦しい。私はなんて心まで醜いのだろう。


 ※


 ある日のこと。

 私はいつもの『隠れ家』にいた。

 ここは人が来ないところにある空洞で、薄暗さが心地よくて気に入っている。

 家にいても息苦しいから、最近は一日の殆どをここで過ごす。

 

 私はこの醜い魚人のまま一生を終えるのだろうか。

 いつも通りに、そんなことを考えていると、突然周囲が明るくなり始めた。


「な、何?」


 身構えていると、大きな丸い光が現れた。


「成功だ。…………っ! お前は、魔物か?」


 光が消えると現れた水のない球体。その中にいたのは人間――黒衣の若い男だった。

 陽の光に似た黄金の髪に、晴れの海のような青の瞳。

 美しい者を見慣れている私が見ても驚くような美しい人間だった。


 人間は魔法の杖をこちらに向けていた。


「魔物だなんて……あんまりです」


 攻撃されるかもしれない状況に恐怖を感じたが、それ以上に悲しかった。


「なんと。少女の声、それも美しい清廉な声だ。これは失礼をしました」


 人間は杖を下ろし、私に謝った。

 安堵以上に驚いた。

 この人間は、私に対して「美しい」と言ったのだ。

 こんな私にも「美しいもの」があった……?


「お嬢さん。お伺いしたいのですが、ここは人魚の国、アクアラグーンで間違いないでしょうか」

「は、はい」

「よかった! 実は特殊な病を治すために必要な素材――『幼人魚の鱗』を探しております。どうか、お力をお貸しいただけませんか?」

「幼人魚……私の鱗では駄目ですか」

「はい。人魚は未性別で生まれ、成長して性分化しますよね? 僕はまだ未性別の人魚の鱗が欲しいのです」

「そう……なんですね」


 力になりたがった、私では力になれそうにない。


「申し訳ないですが、私の知り合いに幼い人魚はいません。家族以外には、私は忌み嫌われているので頼むこともできません」

「そうですか……。こんなことを聞いて失礼かと思いますが、どうして、貴方は忌み嫌われているのです?」

「それは……私が醜い魚人だからです」


 私の言葉を聞いて、人間は眉を顰めた。


「あなた一人、種族が違うということですか?」

「いいえ。私も人魚ですが、このように貴方様が魔物と見間違えてしまうほど、醜い容姿なのは私だけです」

「……先程は本当に失礼致しました。貴方の心を深く傷つけてしまったようで、申し訳ありませんでした」

「あ、いえ……! 嫌味を言ったつもりはないのです。こちらこそ、ごめんなさい」


 慌てて謝ると、人間は微笑んだ。


「嫌味とは思っていません。あなたが優しい方だということは、この少しの時間でも分かりましたから。あなたの容姿は他と異なっているかもしれません。ですが、僕はあなたのその声、そして心根は、とても美しいものだと感じました」


 人間の優しい言葉に、私の胸は熱くなった。涙が込み上げる。

 ……やっぱり力になりたい。

 気づけば私は口を開いていた。


「私、幼人魚の鱗を探してみます。直接貰えなくても、何処かに落ちているかもしれません」

「それはありがたいですが、お言葉に甘えてよいものか……」

「アクアラグーンは外部の侵入を許しません。私以外の人魚に見つかると大変なことになります。私に任せてください。明日また、来て頂けますか」


 私がそう言うと、人間は頷いた後、深々と頭を下げて姿を消した。

 今まで人間がいたところに手を伸ばすと、仄かに暖かくなっていた。


「夢じゃないわ。明日また会える」


 私は今まで感じたことのない高揚を覚えたのだった。


 ※


 洞窟を出ると、私は早速幼人魚の鱗を探し始めた。

 目指した場所は、子供がよく遊んでいる深海竜巻の公園。 

 あそこなら鱗が落ちていそうだ。

 公園では数人の子供達が楽しそうに遊んでいた。


「うわああっ! 魚人がきたぞ!」

「本当だ! 逃げろ!」


 私を見つけた子供達が逃げて行く。

 いつもは胸が苦しくなるが、今日は不思議と落ち込まなかった。


「誰もいなくなったから探しやすいわね。さあ、がんばるわよ」


 海底を這うように泳ぎ、鱗を捜す。

 小さな貝や光るものがたくさん落ちているので、探すのには骨が折れそうです。


「おい、魚人! こんなところで何してるんだ!」


 夢中になっていたから気づかなかったが、私の近くに三人の子供がいた。

 刃貝を投げつけてきたり、何かと嫌がらせをしてくる子供達だ。


「下向いて何やってんだ? とうとう頭の中まで魚になっちまったのか」


 冷たい言葉と共に無邪気な笑い声をあげる子供達。

 邪魔をされるだろうから、これ以上の捜索は無理だろう。


「お、魚が帰るぜ! 餌の時間か?」

「ははっ!」


 再び耳を塞ぎたくなるような笑い声が響いてきたが、私はそれを振り払うように離れた。


「よし! 凍竜巻の穴に行こうぜ!」


 凍竜巻の穴?

 危険な場所だが私が注意しても聞かないだろう。


 一旦洞窟に戻ったあとに再開した捜索で、私は幼人魚の鱗を見つけることができた。

 あの人間も喜んでくれるだろう。

 久しぶりに胸を高ぶらせながら、私は一日を追えたのだった。


 ※


 翌日。私は朝から洞窟であの人間を待った。

 みっともなくはしゃがないようにと胸を落ち着かせていると、昨日と同じように光が現れ、あの人間がやってきた。。


「ありました。これがそうだと思います。ご確認ください!」


 嬉しくなった私は挨拶もせず、鱗を差し出しました。

 人間は私の勢いに少し驚いていたが、鱗を受け取り喜んでくれた。


「間違いなく『小さな人魚の鱗』です! ありがとうございます!」

「お役に立てて良かったです」


 普段笑顔になることはなく、笑い方も忘れてしまっていた私だが、今は自然と顔が綻んだ。


「お礼に。これを」


 人間から何かを受け取った。それは、丸い石だった。


「これは『審判の石』というものです。何か貴方の力になれないかと思い、帰ってから貴方について調べてみました。どうやらあなたは特別な運命を背負っているようです。選ばれた者と言ってもいい。この先、貴方の姿は変化します」

「え?」


 人間の言葉に衝撃が走った

 私のこの醜い姿が変わる?


「ほ、本当ですか!? それはどのように!?」

「それは貴方次第です」

「どういうことですか?」

「貴方の一族について記していた書には、『美しき者』にも『恐ろしき者』にもなりえる、とありました」

「恐ろしい……?」


 それは今の『醜い』よりも悪いものなのだろうか。

 これ以上の絶望を味わえと?


「私はどうすれば美しき者にはどうすればなれるのでしょう!」


 私は人間に縋り、答えを求めた。

 すると人間は、私の鱗に覆われた手を握りながらこう言いました。


「今の貴方のままでいれば、美しき者になれると思います。時が来れば、その石が貴方変えてくれるでしょう」


 具体的な方法を聞けず、納得はできなかったが、これ以上は何も話してくれそうにない。


「……分かりました」


 とにかくこの人間を信じよう、そう思った。


「私、これを肌身離さず持っています」

「では、こうしましょう」


 人間が魔法の杖を振ると、石に綺麗なチェーンがつき、ネックレスになった。


「貴方が美しき者となった時、僕はまた会いに来ます」

「…………っ」


 黒衣の人の言葉を聞いた瞬間、涙が込み上げてきた。

 この人間は、私が美しき者になると信じてくれた。

 それに「また会おう」と言ってくれた。


「はい。必ず美しくなって、あなたが来てくれるのを待っています」

「楽しみにしています。……では、ありがとうございました」


 穏やかな声を残して、人間は去った。

 人間の「美しき者になれる」というあの言葉で、私の未来は輝いたものになったような気がした。


「私はどんな姿になるのだろう」


 妹のようになれるだろうか。

 そうなれば、きっと両親は喜んでくれるはずだ。

 私のせいで白い目で見られ、肩身の狭い思いをさせてしまっているので、早く楽にしてあげたい。

 そしてなにより、美しくなった姿を人間に見て貰いたい。


 ※


 洞窟から帰ると、何か起こったようで周囲がざわついていた。

 人魚達が焦った様子で行き交っている。

 誰かに尋ねても答えて貰えない私は、話声に聞き耳をたてた。

 すると、あの意地悪な三人の子供達がまだ帰っていないということが分かった。


「あっ」


 昨日、彼らが言っていた言葉を思い出した。


『凍竜巻の穴に行こう』


 凍竜巻の穴は、触れると凍ってしまう竜巻が度々発生する危険な場所だ。

 そこで何かあったに違いない。


「あ、あの!」

「なんだ!? 今は魚人に構っている暇はないんだよ!」


 子供達を捜索している人魚達に声を掛けたが、やはり相手にされない。

 だからといって、放っておくわけにはいかない。

 私は単身で凍竜巻の穴に向かった。


 ※


「ああ……やっぱり」


 凍竜巻の穴に着いた私は、目の前に広がる光景を見て顔を顰めた。

 凍竜巻が発生していたようで、いたるところが凍っている。

 無事だといいが……。


「ううっ……」

「いた!」


 微かに聞こえてきた呻き声を辿ると、子供達を発見した。

 子供達は洞窟にできた氷の塊に尾鰭が張り付き、動けない状態になっていた。

 尾鰭が痛まないよう、慎重に氷をくだいて救出した。


「大丈夫?」


 尋ねても返事がない。彼らの身体はすっかり冷たくなっていた。

 自分で泳ぐことはできないようだが、また凍竜巻が起こるかもしれない。


「急がなきゃ」


 私は必死に三人を抱え込み、泳いで戻ったのだった。


 ※


「お前達! 大丈夫か!?」


 子供立ちを抱え、無我夢中で進んでいると、捜索隊や子供達の親と合流することが出来た。

 私は胸を撫で下ろしたのだが……。


「魚人! どうして子供達にこんなひどいことをした!」


 一人の親が私に怒鳴った。


「こんなに冷たくなって、殺すつもりだったのかい!?」


 他の親も追随して私を怒鳴る。

 私は訳が分からず、呆然とした。 


「見ろ! お前に抱えられて、こんなに傷だらけになっているじゃないか!」


 そう言われて子供達の肌を見ると、彼らの白い肌にたくさんの傷が出来ていた。

 もちろん凍竜巻でついたものもあるが、たくさんの細かい傷は、私の鱗によって出来たものだと分かった。

 それは、彼らを救うために仕方なかったことだが、私の鱗が傷つけてしまったのは事実だ。


「……すみません」

「子供達を攫ったのもお前だな!」

「! 攫ったりしていません!」

「嘘をつくな! 子供に聞けばわかるぞ!」


 そう言うと、親達は自分の子供に問いかけ始めた。


「お前達は魚人に連れて行かれたのだな?」

「う、うん……」


 目を反らしながら首を縦に降った子供達を見て、私は愕然とした。


「そんな……」

「子供を攫い、痛めつけるとは! この魚人……いや、魔物を捕らえよ!」

「私は何もしていません! 助けに行っただけです!」


 必死に弁明しましたが、私の言葉は誰にも届かなかった。

 連行される間も、みんなは私を見て嫌な顔をするだけだった。

 そして私は、罪人が入れられる檻に放り込まれた。


 ※


「どうしてこんなことに……」


 私は冷たい檻の中で一夜を過ごした。

 人間に会って、生きる勇気を持ったばかりでこんなことになるなんて、私は希望を持つことも許されないのだろうか。

 子供達を見捨てれば、こんな所に放り込まれず、いつか美しき者になれたのか。

 ……もう、何が正しいのか分からない。


「何度見ても醜いな」


 顔を上げると、檻の前に壮年の人魚がいた。

 多くの人魚から信頼されている者――裁判官だ。


「お前の公開処刑が決まった」

「?」


 一瞬、意味が分からなかった。


 ――処刑


 もうすぐ私は死ぬ。それも『公開処刑』。

 私の命が終わる瞬間が見世物になる。

 一瞬で喉がカラカラになった。


「私が何をしたというのです!? 私は……何もしていません!」

「はっ! お前の親も今回のことは庇えなかったようだ。処刑に同意したぞ」

「そんな………」


 両親まで私を見捨てた?

 あの優しかった家族にさえ、私は見放されたの?


 裁判官が去り、取り残された私の前に二つの影が現れました。

 影だけで両親だと分かった。

 でも、顔を上げる気にはなれなかった。


「すまない。どうすることもできなかった。……許してくれ」

「私を恨んで。あの子のためなの……ごめんね」


 母の泣声が響きました。


 『あの子のため』


 その言葉で納得しました。

 両親は優しい人でした。簡単には私を見捨てなかったはずです。

 でも、妹のためなら――。

 二人はきっと、周囲に迫られて選ぶしかなかったのです。

 私か、妹かを。

 それならば仕方ない。


「……私の最後は見ないでね」


 父が声を上げて泣き出した母の背中を押しながら、二人は去っていった。

 私の目にも涙が溢れました。


「いつも私に謝ってばかりいた、母さんの『ごめん』も聞き納めね」


 くすりと笑いながら零した涙を拭い、私は終わりを迎え入れる決心をしました。


 ※


 私は公開処刑が行われる広場に連行された。

 広場には沢山の観衆が押し寄せていた。

 皆美しい人魚ばかりなのに、美しい景色には見えないのが不思議だ。


 広場を見渡して思う――。

 ここで私は処刑される。後ろから槍で貫かれて絶命するのだ。

 でも、不思議と恐怖はない。あるのは絶望だけ。

 私も美しい人魚に生まれたかった。


 そんなことを考えていると、胸にかけていたあの石が、微かに熱を持った気がした。


「お姉ちゃん!」

「?」


 観衆の中から一際大きな声が聞こえた。

 声の元を辿るとそこには私の妹がいた。


「どうしてここに……」

「お姉ちゃんが子供を傷つけるわけないわよ! こんなことやめて!」


 身体の弱い妹が暴れだした。

 美しい妹の叫びを聞いて、周囲に戸惑いが広がったが、私の処刑は迫ってきた。


「この『魚人』に罰を与える! 死をもって償うべし!」


 いつの間にか私の前方に立っていた裁判官が高らかに叫んだ。

 観衆は裁判官の声に続いて声をあげました。

 『償うべし』という言葉が木霊している。


「お姉ちゃんは何もやってないってば!」

「やめなさい! あなたは身体が弱いのよ! 暴れないで!」

「どうして止めるの!?」

「お前のためなんだ!」

「私のためってなに!? たとえ何があったとしても、親が子供の命を選んでいいの!?」


 妹の言葉を聞いて、両親は俯いた。


「お姉ちゃん! あなたも大人しく捕まってないで、なんとかしなさいよっ!」


 勇ましい妹の姿に思わず笑みが零れた。


 私は……本当は、妹のことを妬んでいた。

 一緒に生まれたのに、私が手に入れることができない『欲しいもの』をすべて持っていて羨ましかった。


 妹も本当は、醜い私のことを嫌っていると思っていた。

 私といつもお揃いにしたがるのは、本当は嫌がらせなのではないかと疑ったこともあった。

 でも、私が間違っていたようだ。

 ごめんなさい、大好きよ。


 両親のことも大好きだ。

 最後はこんな別れ方になったが、二人が精一杯私のことを守ろうとしてくれていたのを知っている。

 こんな身体に生まれたのは、両親のせいではない。

 二人とも自分を責めないで欲しい。

 恨むなんて、絶対しないよ。


 家族には愛されていたと再認識できたからもう十分だ。

 笑って逝ける。


 処刑人が槍を構えているのが分かった。


「罪には罰を!」


 次の瞬間、私の視界に槍の先端が見えました。


「――――!」


 泣き叫ぶ妹と両親の姿が見えました。

 ありがとう……さようなら。


 ※


「やめて! お願い! 娘を殺さないで!」

「この子は私達の大切な娘なんだ!」

「お姉ちゃん!」


 その声に、周りの人魚は戸惑った。


『人魚の尊厳を傷つけるような醜い魚人は死すべし!』


 誰もがそんな思いを抱き、この処刑を見守っていた。


『この処刑は正しいのか?』


 仲間である美しい人魚達が泣き叫ぶ姿を見て、狂気のような熱気に包まれていた広場には、明らかに迷いが生まれていた。


 ――だが、時は待たない。


 答えを考える猶予などなかった。

 有罪の鐘が鳴り、構えられる槍。目を閉じ、断罪を受け入れる人魚。

 見守る無数の瞳。

 そして、槍は音もなく、鱗に覆われた小さな胸を貫いた。


「いやああああっ!!」


 彼女の母の悲鳴が木霊した。

 その傍らには、妹が母に寄り添うようにして涙を流していた。

 父は拳を握り締め、歯を食いしばり涙していた。

 その光景に、広場の静寂はより深さを増した。


 本当は、みんな彼女は『罪なき者』だと知っていた。

 被害者とされている子供達が真実を告白したのだ。

 だが、醜い少女の存在を否定したかった美しい人魚達は、無実の者を裁くことに目を瞑った。


 しかし今、彼女を愛する『家族』がいたことを、目の当たりにして思い知った。

 ――罪人は自分達の方だと。


「あれ? おい、死体が光っているぞ!」


 叫び声を聞いた観衆の視線が魚人と呼ばれ人魚の死体に集まった。

 彼女の亡骸が虹色の光に包まれている。

 光は徐々に小さくなり、光が消えると――その姿は全く『別のもの』になっていた。


「なんて美しい人魚なの!」


 魚人にはなかった、人の上半身、そして艶やかな鱗が光る魚の下半身。

 真っ赤な髪が海原のよう広がり、波打っていた。

 肌は透き通るように白く、鱗は深海を思わせる濃い碧から、海から見上げた空を思わせる薄い碧のグラデーションになっていて美しい。

 開いたままの瞼から見える紫の瞳は、どんな真珠よりも輝いていた。


 そして、未だに無機質な槍は、彼女の胸を貫いたまま――。

 それは、『美しい人魚の死体』だった。


 処刑人は思わず後退った。

 とても恐ろしいことをしてしまったと悟ったからだ。

 観衆も同じだった。

 彼女は『特別で尊い人魚』だった、我々はとんでもないことをしてしまった、と青ざめた。


「『醜い人魚は呪いの成れの果て』というが……もう一つ話がある」


 観衆の誰かが話し始めた。


「醜い人魚は、誰よりも美しい高貴な血をひいた『上に立つ者』であったという。未来を切り開くことで本来の姿を取り戻し、一族を繁栄に導いたと……」


「そんな話、聞いたことがないが」

「今は廃れた、とてもとても古い話だよ」

「じゃあ、あの子がその高貴な血をひいた人魚だったっていうのか!? その話を知っていたなら……!」


 ――彼女を魚人だと迫害することはなかった?


 いや、その話を知っていてもきっと同じ結末だっただろう。

 問題は『古い話を知っていたか』ではない。

 人魚達の心だ。

 たとえ姿が醜くても、思いやりの心さえあればこんなことにはならなかった。


「あ!」


 誰もが罪の意識に苛まれている中、特別な人魚の死体に変化が起こった。

 彼女の体が泡となり、消えていく……。

 彼女の家族も観衆も、ただそれを見守ることしかできなかった。


 そして彼女のすべてが泡となったその時、辺りに黒い靄のようなものが立ち込め始めた。

 灯り海月は姿を消し、アクアラグーンはどんどん光を失っていく。

 そして黒い霧は、国中を覆い包んでしまった。


「これはなんなんだ!?」

「きっと海の神が、我々の罪にお怒りなのだ!」

「ごめんなさい!! 許して!!」


 許しを請う叫び声。混乱と恐怖が生み出す絶叫、怒声。

 幼い人魚の涙。逃げ惑う人魚達――。

 人魚の国は、黒い靄と共に混沌に包まれた。


 ※


「あれ? 私は死んだはずじゃ……」


 槍が胸を貫いたはずなの、私は生きていた。

 そして広場にいたはずなのに、隠れ家の洞窟にいる。


「出過ぎた真似をしてしまったかもしれません。まずは謝罪させてください」


 目を開けてすぐに見えたのは、あの人間の心配そうな顔だった。


「貴方のことが心配でこっそりと様子を見ていたら、あのようなことが行われていたので、つい……」

「あなたが助けてくれたのですか?」

「はい。そのネックレスは貴方の危険も察知します。監視するようで失礼だとは思いましたが、貴方の過酷な状況が気がかりだったので……」


 人の方に目を向けると、彼は黒衣を脱いで私に羽織らせました。


「失礼。今の貴方の姿は、僕には刺激が強すぎますので」


 そう言い、微笑みました。


「まさか昨日の今日でこうなるとは思っていませんでしたが、約束通りに美しくなった貴方に会いにきました」


 そう言われ、私は自分の姿を確認しました。

 人魚達と同じ白い手、そして尾びれのある下半身!


 感動する私に、人間は魔法で大きな鏡を出してくれました。

 鏡の中にいたのは、間違いなく美しい人魚でした。


「貴方が私を変えてくれたのですか……?」

「それは貴方の力です。貴方の心に石が反応し、貴方を『始祖人魚』の姿に変えたのでしょう」

「始祖人魚?」

「はい。悪しき心を抱いて育てば海を呪う『深海魔女』に、清き心を抱いていれば『始祖人魚』になる、と古い書物にありました。貴方は見事、始祖人魚になりましたね。始祖人魚は海の寵愛を一身に集める存在です。貴方には輝かしい未来が待っています」


 そう言われても実感がなく、私は戸惑うばかりだ。


「あの、私は処刑されたのでは?」

「槍が貴方を貫く直前に、僕がここにお連れしました。あの広場の死体は、私が見せている幻影です。人魚達に罪を分からせるため、黒い霧と共に演出しました」

「演出?」


 私は首を傾げると、人間は鏡に現在の広場の様子を映してくれた。

 国中が黒い霧に覆われていて、みんなが怯えている。

 泣きながら逃げ惑う子供達の姿もあった。


「……もう、十分です。終わらせてください」

「貴方はやはりお優しい。僕などはもっと酷いことをしてやろうかと思ったのに」


 彼はそう笑いしながら魔法の杖を振った。

 すると、黒い靄はたちまち消えた。

 一瞬で元に戻り、鏡に映っている人達はみんなきょとんとしている。

 呆然と立ち尽くす妹と両親の姿も見えた。


 人魚達はしばらく戸惑っていたが、次第に神に祈りを捧げたり、懺悔をするようになった。


「彼らも少しは反省したようですね。どうしますか? 皆、貴方は死んでしまったと思っていますが……戻りますか?」


 彼に優しく問われ、考えた。

 この姿で戻ったら、家族は喜ぶだろう。

 人魚達の罪悪感も和らぐはずだ。

 でも私は、戻ることに躊躇した。


「申し訳ありません。僕がやったことで戻りづらくなってしまいましたか?」

「いえ! そうではなく……貴方と出会って、私は世界が広いことを知りました。だから、このままこの国を出て色んな世界を見て見たい、と思ってしまったのです」

「なるほど! では、僕が貴方に世界を見せてあげましょう」


 その言葉はあまりにも気軽に放たれ――すぐには理解できませんでした。


「え? それは……あなたが私を連れて行ってくれるということですか?」

「ええ」

「本当に?」

「もちろん!」


 彼のとびきりの笑顔を見て、私の胸は一気に高鳴った。


「嘘ではないのですね! ありがとうございます!」


 思わず彼に飛びついた。

 すると、かけてくれた黒衣が落ちてしまった。


「……困りましたね。貴方にはまず、服を着ていただかなければ」

「すみません! 服、ですか。人が身につけているものですね! 着たいです、服!」


 まるで夢のようだ。幸せすぎて怖い。


「そんなに僕をじっと見て、どうしたんですか?」

「いえ、あまりにも良いこと続きで怖くなって……。本当は、あなたは悪党なのではないかと……」


 正直にそう答えると、人間は大きな声で笑い出した。


「確かに、今の貴方は連れ去りたいほどに美しい」


 そんなことを言われたのは初めてで、顔が熱くなった。

 そんな私を見て、人間がくすくすと笑っている。

 とても恥ずかしいです。


「では、参りましょうか」

「はい!」


 これから私は、世界を見る人魚になる。

 長かった闇を抜け、私の未来は光り輝いているに違いない。




 大陸一の魔法使いが、世界一美しい始祖人魚を連れて世界を駆け巡る話は、また別のお話――。







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人魚の国の魚人 花果唯 @ohana

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