第5話 お嬢様

「調査の程度にもよってお暇する時間が異なるのですが……」

 そう娘が切り出すとスキナーさんは「構いません。今夜は泊っていってください」と快活に笑った。娘は腰を折り「ありがとうございます」と丁寧に礼を言った。

「エノーラさんですよね? ソーウェルさんのところの」

 スキナー氏がエノーラさんを見て微笑む。嬢はすぐに挨拶をした。

「はい。その節はお世話になりました」

「いえいえ、こちらこそおたくの由緒正しきお屋敷をこのようにしてしまって」

 あらあら。悪びれもせずにそんなことが言える方なのね。

「娘の病気の治療にこの土地はうってつけでして。まぁ、機械に囲まれてばかりなのは都会と変わりませんが、何せ空気と風がいい」

 と、気になったので私はカバンの姿のまま訊ねる。

「お嬢様はどのようなご病気で?」

 スキナー氏は一瞬びっくりしたが、しかしすぐに声の主が私だと分かったらしい。

「そのカバンに変身されているのはお母様ですか? ええ、娘の病気は、ちょっとしたノイローゼのようなものでして。譫言うわごと譫妄せんもうがあるのですよ。医師によるとリフレッシュが大事だとのことでね。自然豊かなこの地に、居を構えました」

 あら。ちょっと言いにくい話だったかしら。でも素直に全部お話しするということは、娘さんのことを心から愛していらっしゃるのね。

「そのお嬢さんが、『ベッドが浮く』とおっしゃっているのですね」

 気づけば娘は仕事モードに入っていた。例のメモ帳を取り出し開いたページに疑問符を書き込んでいる。

「ええ、困ったものです」

 スキナーさんは眉を少しだけ歪ませた。

「今まで通りただの譫言ならそれでいいんですが、実際にその言い訳を使って約束の時間に遅れたりしているのです。まぁ、娘は体調のこともあってほとんど誰かと約束をすることはありませんが、それでも週に一度、医師の診察ばかりはちゃんと定刻通りに済ませてもらいたくて……」

「診察は娘さんのお部屋でしないのですか?」

「ええ。まぁ、週に一度くらいは娘の調子を確認しておきたいという親心です。気分転換が大事だとのことで、私たち夫婦は基本的に娘に対しては不干渉でいます。ですが愛しい娘です。顔は見たい」

 ええ、気持ちは分かるわ。

「で、その週に一度の親子の対面、そして医師の診察の場面にも、娘さんは遅刻して来るのですね?」

「ええ。娘は睡眠薬を飲んでいるのですが、その影響か起き抜けは魂が抜けたようなんです。目覚まし時計を早めに設定しておいて起きるように、とは言っているのですが、ここのところずっと遅刻をして、そして……」

「同じ言い訳をする。『ベッドが浮いていて降りられなかった』」

「そうなんです。娘の状態を見るにそういう妄想に憑りつかれても仕方がないような気はしますが、何せこのところ屋敷で変なことが続くのでね。ベッドくらい浮くものかと……」

 ところで、とスキナー氏がエノーラさんを示した。

「彼女はどうしてあなたに……捜査に同伴していらっしゃるのですか?」

 すぐさま娘が機転を利かせた。

「屋敷について詳しい方を探してきました」

 それだけ。説明は短く端的なほど余計なことを訊かれにくい。エノーラ嬢としては屋敷のリコール問題に繋がりかねない呪いの話はギリギリまでスキナー氏に伏せておきたいだろう、という心遣いだ。

「まぁ、確かに捜査に当たっては屋敷に詳しい人物が必要でしょう。屋敷の今と、過去を知る者が。エノーラさんは過去を知る者ですね」

 すると不意にスキナー氏が、脇にいた庭師兼機械師のヴィヴィアンさんを示した。

「彼はエノーラさんにとっても馴染みがあるでしょう? 先代のソーウェル家の頃からずっとこの屋敷で働いているヴィヴィアン・ヘイシェルウッドくんです。庭はもちろん、機械弄りのセンスもありまして、我が家では家具調度品の整備全てを彼に任せています。屋敷の今を知る者ですね」

「よろしくお願いします」

 と、ヴィヴィアン氏が娘にスマートに握手を求めてきた。あらまぁ、あの逞しい腕にそのスマートさ。女性が放っておかないでしょうね。どこかかわいい顔もしているし。でも娘には寄りつかないでちょうだいな。あなたもいい男性だけど、あなたよりいい男性もいるの。

 娘は上品に握手に応えると、すぐに「お嬢さんに会うことはできますか?」と訊ねた。氏はすぐに壁にあったスイッチを押した。途端にブザーの音が鳴った。

「お呼びでしょうか」

 玄関ホール奥のドアが開いて、一人の女中がやってきた。変わった子で、左手の薬指と小指、それから右肩に機械的な何かがはまっていた。スキナー氏がすぐに口を挟んできた。

「彼女はさる暴行事件で肩と指に外傷を負ってしまった子でして、肉体の一部を魔蓄機械で補強しています。いや、怪我を負ったままでは仕事がなかったところを、私たちはこうして機械で補強することで健常者と変わらない状態にし、雇用しております。慈善事業と言いますか、何分私も……」

 と、スキナー氏がすっとズボンを持ち上げた。鋼鉄製の足の甲が見えた。

「去る七年戦争で足を飛ばされまして。魔蓄機械で補強しております。同じような境遇、立場の人間を支援したいと考えております」

「ご立派だわ」私は思わずつぶやく。「紳士の鑑ですわね」

「お褒めにあずかり光栄です」

 スキナー氏は慇懃に目を伏せた。

「ではアビー。それとヴィヴィアン。皆様をジェナのところへお連れして」

「承知しました」

 アビーと呼ばれた女中は静かに私たちを引導すると、玄関ホールから長い廊下へと通した。途中、壁にかけてある絵画を見て、私はつぶやいた。

「火がついた絵画というのは……」

「この廊下にありました『天獄変』という絵になります。今は片付けられています」

 私は廊下の壁や天井を眺めた。大きな赤銅色のパイプが数本、天井からウツボのように顔を覗かせていて、壁に向かって何かを吹きつけるような格好になっていた。特に何かを噴出しているわけではないようだが、何に使うパイプなのだろう。

 パイプは他にもいくつかの種類に大別できた。鉛色の細いパイプ。銀色に輝く太いパイプ。それからさっきの赤銅パイプ。それぞれ上下左右にうねりながら天井や壁を埋めている。その様を見ているとヴィヴィアンさんが注を入れてきた。

「室内のパイプにはいくつか種類があります。ものによっては危険ですのでご説明させていただきましょう。赤銅色のパイプは通風パイプです。換気、吸気の他、屋敷内魔蓄機械から排出される空気などを通す仕組みになっております。鉛色の細いパイプは水道ですが、熱湯の扱いもございますので、なるべく触れないようお願いいたします。銀色のパイプは魔蓄機械への動力パイプで、こちらも出力の高い機械を扱っておりますので、触れると危険です。基本的に手の届く範囲に危険なパイプがあることはありませんが、お客様によっては好奇心から様々なパイプに触れてしまう方も。どうかご注意ください」

 赤銅のパイプだけが触れても大丈夫なわけね。覚えておかないと。何せ「人には触れない」ものでも「猫なら触れる」こともあるから……。

「ジェナ様のお部屋です」

 いくつかのドアと、いくつかの廊下を超えて。

 私たちはある部屋の前に通された。立派な両開きの扉だが、これも魔蓄で動くのだろう。蝶番とノブのところに機械がついていた。扉自体は木製の歴史のある印象のものだったが、蝶番とドアノブの異質さが全てを飲み込んでいた。

 と、アビーが壁にあるボタンを押した。途端に小さく慎ましい音が鳴って、またすぐ沈黙がやってきた。するとまるで霧の彼方から聞こえてくるようなか細い声が返ってきた。

「入って」

 アビーがドアノブに触れた。途端に蝶番から音がして、押してもないのにドアが開いた。

 部屋の中は薄暗かった。入って左手にある窓から差し込む光だけが支配している。何だかまるで、ふわふわした夢の中にいるみたいだった。

「お客さん?」

 静かな声だ。私は目を凝らして声の主を見た。

 天蓋付きの、大きなベッドの真ん中。まるで貝に抱かれた真珠のように、小さくて白い影が一つ。

 銀髪、青い目、白い頬の、女の子が座っていた。

「ジェナです。お見知りおきを」

 この子がジェナね、と私は心の中でつぶやいた。

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