第4話 機械屋敷

「カバンになる猫ですか……」

 エノーラさんが娘の肩にぶら下がった私を見てつぶやく。

「厳密に言うと猫になるカバンね」

 ポシェットの中から目だけを出して私は笑う。本当は微笑んでいるのだがカバンの状態だと表情がうまく出せない。

 機械屋敷までの道のりは馬車を使った。馬車と言っても一風変わっていて、魔蓄で動く機械馬が引っ張る馬車である。機械屋敷は機関車で行くには駅から遠くて都合が悪いし、徒歩で行くには遠すぎるので、多少値は張ったが機械馬車を使うことにした。本物の馬の方は昨今の動物愛護法で過度な労役を課すことが禁じられているので、めっぽう見なくなった。

 機械馬の鼻から蒸気が噴き出る。この機械、下品だから好きじゃないのよね、なんて思いながら娘の膝の上に乗る。

「出しますぜお嬢さん」

 馭者が手綱を握り、しならせると、機械馬が重たい音を立てて走り出した。

「もう十六時だね」

 娘がぼんやりと車窓の外を見つめながら話す。私に向けた言葉だと分かったので私は返した。

「どうして時間が分かったの?」

 時計も見てないのに。すると娘が答えた。

「焼きたてのパンの匂い。帰宅する労働者たちにパンを売るフィールディングさんところのベーカリーが店先にパンを並べ始めたんだね」

 ははぁ、なるほど。

「ヘイソンスウェイトさんちは猫を飼い始めたみたい。外猫みたいだけど」

「あらどうして?」

「たった今彼女の家の窓が見えた。あの人用心深いのに窓を開けて、何か大きな塊が乗ったお皿を置いてた。多分餌だね。お肉だと思う。高いところに来る肉食の動物は猫」

「はぁ」

 娘の話を聞いて、エノーラさんが感心したようにため息をつく。

「馭者さん」

 娘の声に男が応じる。

「なんでさ?」

 娘は車を引く機械馬の番のうち、左側の馬を指した。

「左の子、後ろ足両方に油をさした方がいいかもしれません。変な音がしてます」

「ああ、最近こいつ燃費が悪いと思ったら……」

 娘は敏感だ。昔から、ずっと。音や匂いや光、何でも必要以上に感じ取る。かといって神経質かと言うとそうでもなくて、得られた刺激をしっかり受け止めるだけの度胸がある。そこに来て夫の血だ。賢い東クランフ人の血。娘は聡い。私の自慢。

「見えてきましたわ」

 エノーラさんが前方を見る。車前面の窓の向こう、馭者のさらに向こう側に、立派なお屋敷が……お屋敷と思しき建物が見えてきた。壁という壁にパイプが走り、もはや屋根としての機能を果たさないだろうと思うくらいの数の煙突がある屋敷が。

「こちらが向かうことは先方にはお伝えしてあるの?」

 私が娘の膝の上で問うと娘はすぐに返してきた。

「魔蓄電信で伝えてある。すごいよね。おうちに機械があるんだって」

「まぁ、機械屋敷だからねぇ」

 魔蓄による機械技術が発達して、情報伝達の仕組みも変わった。魔蓄が放出するエネルギーのリズムを信号に変える装置が開発され、遠く離れた人とも即座に連絡がとれるようになった。それまでは鏡や水面を使って魔法で繋いだり、特殊な教育をしたフクロウやカラスを使わなければならなかった遠方との連絡を、魔蓄はより簡単にしたのだ。魔蓄電信に伝えたい文言を入力し、受信先の番地を入力すると、受信した機械が信号を文字列に変換し紙にタイプして吐き出してくれる。現時点では魔蓄電信を受け取るためには郵便局に行かなければならないが、スキナーさんのように小型の電信装置を買う家も増えている。いずれは家と家、個人と個人がやりとりする時代も来るだろう。世界も変わったものだ。

「着きましたぜ」

 馭者が馬車を止める。蒸気の音がして車が静止した。コップの水さえ零れそうにない静かな止まり方だ。ふうん。粗野な見た目の割には丁寧な運転をするのね。女性を乗せる馬車としては満点だわ。

 馭者がエノーラ嬢と娘の手を取って馬車から降ろす。娘が馭者にチップを多めに渡して「帰りの予定について相談してくるので少しここで待っていてください。ヒンクリーさん」と伝えた。馭者は驚いて「どうしてあっしの名前が……?」と訊いてきたが娘は訳もなさそうに「男性のコートの内側には名前が入ってるものですよね」と返した。ふうん、あの馭者着るものにも気をつかうタイプだったのね。

 エノーラ嬢が静かに歩いて機械屋敷に近づくと、庭の方から男性が歩いてやってきた。何やら仕事をしていたのだろう。まくられたシャツの袖からはたくましい下腕が見えていた。あら、娘がドキドキしないといいけど……。

 実際エノーラ嬢はその男性らしい肉体に少し心拍数を上げたみたいで、上ずった調子で「スキナーさんはいらっしゃいますか?」なんて訊ねた。男性は後頭部を掻くと「今呼びます。お待ちを。ソーウェルさん」とだけ告げて屋敷の玄関から中に入っていった。

「お知り合いなの?」

 私が先程の男性のことを訊くとエノーラ嬢は「ヴィヴィアン・ヘイシェルウッド。屋敷に住み込みで働いている庭師です。私たちソーウェル家が住んでいた頃からこの屋敷に。今は機械師も兼任しているみたいですけど」と告げた。

「お待たせしました」

 やがてヴィヴィアンさんが屋敷のドアを開けると、連れ立ってスキナーさんが姿を現した。くつろいでいたのか上着は脱いでいて、事務所に来た時は撫でつけてあった髭も無造作に崩されたままだった。氏はすぐに「失礼、ちょうど休もうとしていたところでして」と身支度について詫びた。娘は首を振って「いいえ」と答えた。

「午前中依頼をしたばかりなのに、早速の対応嬉しいです。どうぞ」

 スキナー氏に案内されるままに屋敷の中に入った。そして内部の光景を見た私は、あまりの異質さに、カバンの姿のまま声を上げてしまった。

 そこら中に走るパイプ。まるで壁を縫い付けているかのよう。いや、「縫い付けている」ならまだ規則性があるか。私の目の前にある壁にはまるで規則性がない。大小太細様々なパイプが縦に横に走っている。斜めに走ったパイプはないが細いパイプが太いパイプに接続したりはしていて、壁全面が、いや屋敷全体が大きな生き物のようだ。パイプの隙間にぽつりぽつりと排気口が。換気扇がついている口や、ただぽっかりと開いた口。弁がついている口など、さまざま。この家に巣食うネズミは壁を穿たなくていいから楽でしょうね! 

 天井にはファンがついた不思議な趣向のシャンデリア。それから歯車の歯に乗せられて回転するろうそく。ファンの刃が部屋の明かりを刻んでいる。ちらちらと明滅する照明の下、私たちはスキナー氏を見た。彼は私たちの表情を見て……私はあまり表情豊かな外見じゃないけど、満足げだった。

「ようこそ機械屋敷へ!」

 氏は両手を広げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る