第32話 二度殺される

 俺が朝起きてきたら、妻や子どもたちが驚いた。俺は事故で死んだという・・・現実世界に来た平行世界の「俺」の話


         ==================


 俺が目覚めると、そこは1階の和室だった。畳の上で寝ていたようで腰がこわばっていたい。起き上がってみるとなぜかパジャマでなく服を見ていた。

(昨日は酔っぱらってそのまま・・・いやいや、ちゃんとパジャマで2階のベッドで寝たはずだ。)

 不思議に思いつつ、ふすまを開けて廊下に出た。俺は何か周囲の状況に違和感を覚えていた。それははっきりとはしていないが・・・。とにかく和室で服のまま寝ているのはおかしい。この先のリビングで妻や子供たちがいるはずだから、何か知っているかもしれない・・・俺はドアを開けた。


「おはよう!」


 俺は元気よく言った。するとリビングが一瞬、凍ったような空気に包まれた。妻も子供たちも私を見て一瞬、動きが止まったのだ。


「あっ・・・・」


 妻の真紀はそう言っただけで持っていた皿を床に落とした。そして腰が抜けたようにその場にへなへなと座り込んだ。子供たちも口を開けたまま、何も言おうとしなかった。


「どうしたんだ? そんなに驚いて。」


 俺はそう言った。だが真紀は何を思ったか、目を固くつぶって両手を合わせて、「消えて! 消えて!」と必死に祈っていた。


「おいおい。何の真似だ? 俺は生きているぞ。」


 俺は笑った。まるで俺を幽霊か何かのように真紀が見ているからだ。すると真紀が少しずつ目を開けて俺を見た。


「本当にあなた? 生きているの?」

「当たり前じゃないか。足もあるぞ!」


 俺はそう言った。すると息子の蓮が飛びついてきた。


「本当にパパだ!」

「よかった。生きていて・・・」


 娘の結花も遅れて俺に抱き着いてきた。俺はそれに面食らいながらも2人を受け止めていた。


「当たり前だろう。一体・・・」


 俺は結花と蓮の態度が解せなかった。確かに昨日は仕事で遅くなって会えてはいないが、その前の日は一緒に夕食をしたはずだ。どうして俺が死んだことのなっているのか・・・。  

 そして子供たちの様子と反して、妻の真紀の態度には違和感を覚えた。俺が幽霊ではないとわかると、そそくさと立ち上がって朝食の準備を始めた。その表情は困惑と冷たいものがあった。まるで俺が生きていたことを忌々しく思っているかのようだった。


「一体、どうしたんだ?」


 俺は3人に尋ねた。すると妻や子供たちが答える前に、もう一人、リビングに現れた者がいた。


「朝から騒がしいな~。」


 それは見知らぬ若い男だった。俺は眉をひそめてその男を見た。するとその男も俺を見て相当、驚いていた。しかし驚くのはこっちだ。こんな怪しい奴が我が家にいるとは・・・。


「お前は誰だ?」

「え、ええと・・・」


 男は困って言葉を濁した。それを見て真紀が横から言った。


「ちょっと手伝ってもらっているの。家の整理に。」


 俺は2人の様子にピンときた。こいつら・・・。しかし俺が2人の関係を暴く前に子供たちがばらした。


「嘘だい! パパがいなくなってすぐにこいつが勝手にこの家に押しかけたんだい!」

「ええ。そうよ。ママもママよ。『この人が新しくパパになるわよ。』なんて! パパは生きているじゃない!」

「パパが帰って来たんだから出て行けよ!」

「出て行ってよ! この家に関係ないんだから!」


 蓮も結花も男を追い立てようとしていた。その子供たちの態度に男も、そして真紀も困惑した顔をしていた。


「出て行ってください。」


 俺は男を睨みつけながら静かに言った。すると男は何も言わずにすごすごと出て行った。残された真紀はおどおどしていた。俺は何もなかったかのようにゆっくり食卓に座った。蓮も結花も楽しそうに俺に話しかけてきた。これでやっと我が家の普段の姿に戻れた。妻以外は・・・。



 子供たちが学校に送り出した後、玄関から真紀がリビングに戻ってきた。気まずい空気が流れたが俺はかまわず言った。


「そこに座れ!」


 その言葉に真紀はゆっくり椅子に座った。俺はあの男のことを問い詰めねばならなかった。


「あの男はなんだ! お前、浮気していたのか!」

「ご、ごめんなさい。つい・・・」

「気に入らないなら出ていけ! 離婚してやる!」

「許して・・・あなたがいなくなって寂しくて・・・」

「俺がいなくて? そんなことはない。毎日帰ってきているだろ。昨夜は遅かったかもしれないが。」

「あなたがいなくなって半年よ。」

「半年? そんな馬鹿な・・・」

「あなたはクルーザーから落ちて死んだと思ったのよ。」

「クルーザー? でもこの通りここにいるだろう。」

「ええ、でも捜索しても何も見つからないし、かなり時間が立っていたでしょう。てっきりそう思って・・・」


 俺は唖然とした。じゃあ、この俺は何なんだ? 幽霊なのか?・・・自分でも生きている自信が持てなくなっていた。しかも半年は経っているという。そうだとしたら今日はいつなんだ? 確か俺の記憶では今日は4月10日のはずだ。俺はすぐに食卓の上の新聞を見た。


「4月10日だ。俺の方が確かだ。半年なんか経っていない。ん?・・・」


 そこで俺はとんでもないものを見てしまった。その新聞に令和4年と記されていたからだ。


(令和4年? なんだ? その年号は。今年は安治4年のはず・・・)


 俺は何が何だかわからなくなった。そういえばこの家の隅々に何かいつもと違うような部分がある。違和感を覚えていたのはそれか・・・。だとしたら俺はここにいた俺ではないのか・・・。


(別の平行世界に飛ばされた!)


 俺はそう思った。それなら説明がつく。ここは俺のいた世界と似ているようで非なる世界なのだ。


「ごめんなさい。許して・・・」


 真紀はうなだれていた。俺は彼女を責める気を失っていた。確かに夫が死んで寂しくなり、新しいパートナーを求めても悪いことはないだろう。それが少々、早くても・・・。それにこの俺はこの真紀の夫ではないのだ。


「言い過ぎた。責める気はない。君の好きなようにしてくれたらいい。」


 俺は優しく言った。いや、そう言わねばならなかった。


「本当? じゃあ、許してくれるの。」

「許すも許さないもない。君は悪くない。」

「ありがとう。あなたは優しい人ね。」



 海で死んだとされた人間が現れたのだから、大騒ぎになった。だがそれはしばらくのことだった。それから何事もなかったかのように日が過ぎていった。真紀と蓮と結花との4人暮らし。それはかつて俺がいた世界と同じ、幸せな家庭だった。だがこの世界は俺のいた世界とは違う。俺はこの世界のことを様々調べた。


 驚くべきことにここにはググトはいなかった。ググトの脅威がなく暮らせる世界、そのため社会はより栄えているようだった。人々の動きは活発になり、多くの産業は大きく発展していた。

 だがそれはよい部分だけでなく、負の部分をも含んでいた。俺の見るところ、この世界の人間はググトという天敵がいない分、人々の団結がなく、各個人が自分の都合だけでバラバラに生きているように思えた。


 そしてこの俺の人生も大きく変わっていた。普通の会社員だったはずだが、2年前から大金持ちになっていた。それは遠い親戚のばく大な遺産を受け継いだからだった。前の世界ではそんな親戚はいなかったはずだが、この世界ではどういうわけがそういう回り持ちになっていた。それで現金以外にも株式やら金や宝石、別荘やクルーザーなどを所有していた。そして俺はとうに会社を辞めていた。多分、趣味やらで遊んで暮らそうとしていたのかもしれない。

 それがこれから・・・というときにクルーザーから落ちて死んだらしい。まあ天罰とまでは言わないとしても、塞翁が馬というところか・・・。だが生きている俺がこの世界に来たのだから、死んだ俺の代わりに財産を使ってやる!

 


 俺は大金を手に入れて好きなことができるはずだったが、いざそうなってみるとそんな気がなくなっていた。それより気になることがあった。それは妻の真紀の態度だ。

 真紀の様子は一見、普通に見えたが、俺には彼女が何かを隠しているように思えた。「あなたお願いね。今日は用事があるから。」と言ってよく外出もするし、スマホというものでこそこそと誰かと連絡を取っているようだった。


(あの男か?)


 俺は疑っていた。まだ奴と切れていないのかもしれない・・・疑心暗鬼になっていた。

 あの時は簡単に「離婚」と言葉に出したが、彼女は結花と蓮の母親だ。子供たちのことを思えば、そんな簡単に別れることはできない。だがこのままでは・・・いっそのこと探偵に調べてもらうか・・・。

 こんなこと、前の世界では考えもしなかった。貧しくはなかったけど普通に暮らしていた。妻の浮気など心配するどころか、考えもしなかっただろう。大金を持ったためなのか、この世界に来たためなのか、妻を疑わねばならないとは・・・そういう俺もなんだか人を信じない人間になっていくようで怖かった・・・。



 しばらくして俺は気づいた。この世界にググトやマサドが存在しているということを。切り裂かれて血を吸われた惨殺死体が発見され、それをしたと思われる「化け物」が目撃され、それを退治した黒い影のような者も現れていた。まだ数は少ないものの、確かにこの世界にググトやマサドの存在を知らせるものだった。


(ググトやマサドになる人、いや普通の人も、少なくない数が向こうの世界から来ている。俺と同じように。)


 そう思うとこの世界も危険に満ちている。ググトの恐怖に少なからず怯えなければならないとは・・・。俺は気が滅入って家にこもったばかりいた。冷静に考えれば、この世界は他にも危険なことがたくさんあるというのに・・・。

 真紀はそんな俺を見て、ある提案をした。


「少しは気分転換したらどう?」

「そうだな。でもどうしたらいいか、わからない。」

「じゃあ、こうしましょう。大型客船に乗って旅行なんてどう? 海を見たら気が晴れるかも。」

「そうだな。しばらく旅行なんて行っていなかったから、いいかもな。」

「ええ、行きましょう。」

「結花と蓮も喜ぶな。」

「いえ、子供たちは置いていきましょう。学校があるから。実家の母に預かってもらうから2人きりで行きましょう。その方がいいわ。」

「そうかもしれないな・・・」


 子供たちの喜ぶ顔も見たかったが、ここは心の療養と割り切って真紀と一緒に行くことにした。船に揺られてぼんやり海を眺めれば、俺の心は癒されそうな気がしていた。しかも船の上ではあの男も真紀にちょっかいをかけられないだろうし、俺もそれを気にする必要もない。




 俺は真紀と豪華客船に乗った。これで俺の心は晴れると思ったが、そううまくはいかなかった。代り映えのしない海の景色、家よりは大きくなったとはいえ船というどこにも逃げ場がない閉鎖空間、そして単調な毎日・・・俺の心はおかしくなっていた。

 他の乗客は俺の異変を感じ始めているようだった。ぶつぶつを訳の分からない言葉を発しながら顔を背けて人目を避けるように廊下を歩く・・・俺に声をかける者はいなかった。楽しい船の旅を不愉快にしないために関わり合いになりたくないと・・。

 そのうち俺は部屋から出なくなり、人前に顔を見せなくなった。もっとも俺みたいな者は他にもいるようだった。うわさでは何人かの人が姿を見せなくなったという。

 真紀はそんな俺を冷ややかな目で見ていた。それはまるで実験動物を観察するかのように。心を苦しんでいる俺を見ても彼女は知らんぷりしていた。


 ある夜のことだった。眠れない俺は真紀に睡眠薬をもらって飲んだ。だが完全に眠ることはできず、夢うつつの状態でベッドに横になっていた。そのうち部屋を軽くノックする音が聞こえた。その音に真紀はドアをそっと開けた。


「薬が効いているわ。動けないはずよ。」

「よし、今がチャンスだ。」


 何者かが部屋に入ってきた。俺はなぜか体を動かすことはできない。かすかに開く目で見るとあの若い男のようだった。


「今度は大丈夫?」

「ああ。でも前の時も失敗したとは信じられない。ちゃんと薬で動けないようにして、海水につけて窒息させたんだ。心臓が止まっているのを確認してクルーザーから落としたんだ。」

「でも死体は上がらなかったじゃない。生き返ったのよ。とにかくびっくりしたわ。突然、家に現れたんだから。幽霊かと思ったわ。」

「ああ、僕もだ。財産がすべて転がり込んで僕たちは一緒になれるはずだったのに。」

「この人が甘かったから許してもらえたけど。そうでなかったら今頃、無一文で放り出されていたわ。」

「君がうまくやってくれたから、またチャンスが来たんだ。」


 俺は2人の会話を聞いて怒りが込み上げてきた。妻が愛人と語らって、財産目的に邪魔になった夫を殺す・・・よくある話なのかもしれないが、一度許したのにまた裏切られたとは!  だが俺は身動きが取れず、ただ聞いているしかできなかった。


「で、これからどうするの?」

「海に落ちて自殺したという筋だ。気がおかしくなっているのは周りの人が証明してくれるし、偽造した遺書も用意した。怪しまれることもない。君はバーで酒でも飲んでいるがいい。アリバイを作るためにな。」


(真紀は俺を殺す計画のためにこの船に乗ろうと勧めたのか・・・)


 俺は思った。何とか助けを呼ぼうとしたが声も出ない。意識ははっきりしてきたのに体は動かない。

 男はシーツにくるんで俺を抱え上げた。そして静かに廊下に出たようだ。


(誰か歩いていてくれ! 気づいてくれ!)


 と俺は願ったが、結局、誰にも会わずに甲板まで運ばれた。船のラウンジでは華やかなショーが行われているためだろう。男は俺に被せているシーツを取った。


「悪く思うなよ。」


 男はそう言うと俺を持ち上げた。柵の向こうまで投げ飛ばす気だろう。俺は殺される・・・


「ぎゃあ!」


 いきなり男の叫び声がして、目をつぶっていた俺は甲板に放り出された。


(何が起こった?)


 と俺が目を開けてみると、目の前に男とググトがもみ合っていた。男は抵抗していたが、ググトの触手につかまっていた。


「なに! あれ!」


 男の悲鳴に船の乗客が窓から甲板を見ていた。その恐ろしい光景に乗客たちは青ざめていた。だがただ一人、真紀だけは甲板に降りてきていた。


「助けてくれ!」


 男が必死に叫んでいた。すでに体を切り裂かれて血をすすられているものの、まだ暴れていた。そのため柵がガチャ、ガチャと音を立てて壊れてきていた。


「祐司!」


 真紀は男を助け出そうとググトに向かって行った。男をがっちり捕まえた触手を両手で引き離そうとしていた。男は必死に暴れ、ググトは真紀を振り払おうと体を大きく揺らした。3者が激しくもみ合っているうちに柵に強くぶつかった。


「ガシャーン!」


 ついに柵が壊れた。真紀も男も、そしてググトもバランスを失い、そのまま海に落ちていった。


「バシャーン!」


 大きな音がして、しばらくのたうち回るような波の音が聞こえた。だがやがてそれも消えていき、元の静けさに戻った。


「落ちたぞ!」


 あわてて船員がボートを出したが、誰も発見できなかった。すでにもう皆、沈んでしまっていた。



 船旅はこうして終わりを告げた。甲板で動けなかった私は船員に助けられた。薬のため一時的に体が動かなかっただけなので、次の日には元に戻った。私は事情を聞かれたが、何も知らないと言っておいた。真紀の不倫が知れれば、子供たちが嫌な気持ちになるだろうと。

 しかしあの時、ググトが現れなければ私は確実に死んでいた。そして自殺として処理されただろう。ググトは確かに恐ろしいが、人もまた恐ろしい。私を2度も殺そうとするとは・・・


 数日後、真紀と男の死体が浮かんだ。だが私はまた真紀が現れる気がしていた。平行世界の真紀が・・・。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る