第11話 投げ出す命
世根病院には家族に介護を放棄された老人、末期がんで余命いくばくもない患者、そして生きる望みを失った自殺志願者が入院していた。彼らは次々に死んでいった。あるもののために・・・。心を病んで入院している「私(山本)」の話。
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世根病院は小高い山の上に建てられていた。そこから見える景色は素晴らしかったが、その老朽化した病院のたたずまいは、見る人にもの悲しさを感じさせた。
確かにこの病院に入ると二度と出ることができないと言われていた。だがそれにもかかわらず入院希望者が途切れなかった。それは家族に介護を放棄された老人、末期がんで余命いくばくもない患者、そして生きる望みを失った自殺志願者だった。病院の中はいつもひっそりと寂しく静まり返っていた。
私は人生に絶望していた。愛する人の死、苦痛だけの仕事、多額の借金・・・それで何度も自殺を図った。だが睡眠薬を多く飲んだところで病院に搬送されて命は助かった。だが親戚はそんな私を身近においてはおけなかったのだろう。だからこの病院に入院となった。
表向きはうつ病となっているが、私は精神的には安定している。だがこれ以上、生きていても先が見えていた。私の人生は苦痛の毎日しかありえなかった。だから私はこの病院に入院してからも、いつこの命を投げ出そうかと考えていた。それはただタイミングの問題だった。
この病院には面会者はほとんど来ない。自分たちの日常生活に負担をかけないようにと厄介者をここにつっこんだだけだ。いわばすべて家族、いや世間から見放された者たちだ。
だがわずかだが、ボランティアの人たちは来てくれる。彼ら、彼女らは体が丈夫で心が美しいのだろう。生き生きとして何かピカピカ輝いているように見えた。
その一人は理沙さんだった。彼女は話好きの女子大生だ。
「山本さん。今日も顔色がいいのね。」
彼女は笑顔で言ってくれた。こんな中年の醜い私でも彼女は嫌な顔もせず接してくれた。
「理沙ちゃんこそ。あなたはいつも元気ね。うらやましいわ。」
「私は元気なところぐらいしか、取り柄がないもの。」
「でも最近、特に生き生きしているわ。何かいいことあったの?」
私は訊いてみた。特に彼女に興味があるわけではないが、こういう話でもしないと間が持たない。下手に昔話でもすれば、
(昔の話ばかりしている。年寄り臭いのにね。)
と思われてしまうのが嫌だった。
「ええと、変わった男友達ができたの。」
理沙ちゃんは答えた。私は彼女に彼氏ができたとピーンと来た。それを言い出したからにはちゃんと聞いてやらないと・・・
「へえ?どんな人?」
私は興味あり気に尋ねた。
「それがね。自分は平行世界からやってきた。同じくやってきたググトという化け物と戦っているんですって。笑っちゃうでしょう。」
(そうそう、こんな人はよくいる。でもそうやって精神の均衡を取っているでしょう。その彼氏は。)
私は思ったが、
「でも正義漢は強そうじゃない?」
と言ってあげた。
「ええ。実はね。私もその化け物に襲われそうになったことがあるの。でも彼がかばってくれて助かったわ。そんな風に頼りになるときがあるの。普段は駄目だけど・・・」
理沙ちゃんは饒舌にしゃべりだした。やはりその彼のことを誰かに聞いてほしかったんだと私は思った。だが最近、ニュースになっている、人を襲って血を吸う化け物が出現しているのは確からしい。
理沙ちゃんも目撃していたと聞いて、
「その化け物を見たの? どんなだったの?」
と訊いてみた。私は理沙ちゃんの彼氏のことなど興味がなく、その化け物の方に興味があった。
「化け物? ええ。触手で人をつかまえて鋭い口で体を斬り裂いて血をすするのよ。思い出したくもない・・・」
それは理沙ちゃんのトラウマになっているようだった。
「ごめんね。怖いことを思い出させて。理沙ちゃんは彼氏に話をしたかったんだもんね。」
「彼氏じゃないよ。ただの友達だよ。」
理沙は顔を赤らめて言った。
(やはり彼氏じゃん。バレバレね。)
私はそう思っていた。
◇
入院患者の中には私と同じ自殺志願者は多くいた。多くの悩みを抱え。私たちは傷をなめ合うように過ごしていた。もちろんその中には自殺を止めて前向きに生きて行こうと考え直す人も少なからずいた。
小路さんもそうだった。大学を出てすぐ恋人を失った。それで人生を悲観して首を吊ろうとしたのだが、幸いにもロープが切れて命が助かった。それを発見した彼の両親がこの病院につっこんだ。彼の兄は一流商社に勤めて、今度、社長の娘と結婚するらしい。だから自殺するような弟を近くにいてほしくなかったそうだ・・・・多分、どこか、大袈裟に話しているのだろう。多分、彼の両親は大いに心配して彼の心の療養のため、この病院に入院させたのだろう。
もう小路さんは恋人のことを吹っ切れていた。彼女のことはつらい思い出の1ページだが、自分の人生はこれから数十ページも残っている。これをより充実したもので埋めなくてはいけない。彼女のためにも・・・小路さんはそう話していた。私は彼がもう退院が間近だと思っていた。
だが小路さんは亡くなった。その数日前から軽い咳をしていた。それで個室に移されたが、そこで死んだ。噂では未知の多剤耐性菌の感染だったそうだ。彼の亡骸は誰も見ることなく、焼かれて骨になって彼の両親に引き渡された。菌を広げないためということだった。
あんなに元気になって生きて行こうとしたのに・・・もう退院するはずだったのに・・・やはりこの病院の呪いというかなんというか、生きては出られないのかもしれないと私は思った。
だがそれだけではなかった。私の周りの患者が急に亡くなり始めた。感染症だけではなく、心不全や脳梗塞やいろいろであったが、未知の多剤耐性菌が出たということで、その亡骸はすぐに焼かれて遺族には遺骨のみが渡されていた。
(ここにいたら殺される・・・)
私はかすかに感じていた。おかしなことだが、「死」を前に私にはまだ生きたいという願望が芽生えてきた。しかしどうすれば無事にここから出られるかが分からなかった。だが呪いというものだとすればもうどうにもできないのかもしれない。
私は病院から脱走しようと真夜中になって病室を抜け出した。そして廊下を歩いて行くと、ある個室から声が聞こえていた。私はドアのそばに寄ってそれを盗み聞きした。
「あなたは楽になりたいかね。」
その声は確か、院長の声だった。
「はい。こんな体は嫌です。」
患者と思われる人の声が聞こえた。
「わかった・・・」
院長がそう言うと、後は人の声が聞こえなくなった。代わりに何か吸い込んで言うような音がしていた。
(どうしたんだろう?もしかして安楽死?こんな夜中に?)
私はそっとドアを少し開けて、その隙間から部屋の様子を見た。
「あっ!」
私は声を上げそうになったのを、慌てて手を口に当てて止めた。そこには化け物がいた。患者の体に小さい穴を開けてそこから血を吸っていた。
私は恐ろしくなり、ドアを音がしないように閉め、そのまま病院の玄関に走って行った。
(早く逃げないと・・・化け物に殺される!)
だが途中で巡回している看護師に見つかった。
「化け物が!化け物が!」
と訴えたが、その看護師は悪い夢でも見たんだろうと私を病室に戻した。その騒ぎに多くの人が集まった。その中にはあの院長もいた。彼は私を不気味なまなざしで見ていた。
◇
次の日になっても私の恐怖は収まらなかった。誰も化け物の話を信じなかった。だがその個室で患者が確かに亡くなっており、すぐに火葬場に運ばれていた。一体、私はどうしたらいいのだろうか・・・
「山本さん。どうしたの?顔色が悪いわ。」
ボランティアの理沙ちゃんが訪ねてきた。彼女は何か楽しげだった。
「ええ、大丈夫よ。それより理沙ちゃん。今日は嬉しそうね。」
私は何とか愛想笑いを浮かべながら言った。本当は昨夜の出来事を話したかったが、彼女でもそれを信じてくれないだろう。
「今日はバイクに乗せてもらってここに来たの。例の男友達。」
理沙は笑顔で答えた。そう言えば理沙ちゃんの彼氏は正義のヒーロー・・・だと思い込んでいる人だった。もしかしたら私の話を馬鹿にせず聞いてくれるかもしれない・・・というかすかな望みがあった。
「理沙ちゃんの彼氏の顔、見たいなあ。まだいるんでしょ。」
「だから彼氏じゃないよ。しばらくこの辺でうろうろしていると言っていた。何か感じるんですって。また例の病気が始まったのよ。」
理沙ちゃんは面白そうに言った。
「じゃあ、連れて来て。待っているから。」
私がそう言うと理沙ちゃんは笑顔で病室を出て行った。やはり彼氏を誰かに見てもらいたい願望があるようだ。
◇
しばらくして理沙ちゃんが彼氏を連れてきた。彼は眉間にしわを寄せて辺りを見渡しながら病室に入ってきた。
「涼介っていうのよ。ちょっと変わっているけど。」
理沙が紹介してくれた。
「涼介君。こんにちは。理沙ちゃんによく話を聞いているのよ。どんな人か興味があって。」
「ここに来て長いですか? 何か変わったことはありませんか?」
いきなり涼介君が訊いてきた。
「ちょっと、涼介。失礼よ。いきなり・・・」
理沙ちゃんは慌てたように言った。だが私はこの涼介君は本物だと思った。この病院に来てすぐに何かを感じたのだから・・・
「いいのよ。それより理沙ちゃん。そこに財布があるから飲み物でも買ってきて。せっかく来てくれたんだから、お茶でも飲みながら彼氏の話が聞きたいわ。」
「もう彼氏じゃないったら・・・」
理沙ちゃんは照れながら病室を出て行った。それを見送ると、私は昨夜の出来事を話した。
「人を襲って血をすする化け物がここでも出ているの・・・」
そしてこの病院で最近、元気だったのに急に死ぬ人が多くなり、すぐに焼いて遺骨だけを遺族に渡していることも話した。それを聞いて涼介君の目が光った。
「それはググトの仕業だ。向こうの世界でも似たようなことがあった。病院なら人が死んでも怪しまれないし、なんやかんやと理由をつけてググトにやられた跡をわからないように焼いて骨にすることも珍しくない。ここでも起こっているのだろう。」
涼介君は確信したように言った。
「力を貸して! このままでは私も殺されてしまうわ。」
「わかりました。多分、院長は向こうの世界から入れ替わったググトだ。マサドの僕が行けば正体を現し、仕留められるかもしれない。」
涼介君はそう言うと私とともに院長室に来てくれた。
◇
ノックして院長室に2人で入ると、部屋の中に緊張感が走った。涼介君が院長に言った。
「やはりお前はググトだな!」
「だったらどうする?このまま私を殺すのか? ここでは人間の院長ということになっている。私に手を出したら、人を呼んでお前を捕まえるぞ。ここではお前でも手が出せまい。」
「卑怯な!貴様!正体を現せ!」
院長はふてぶてしく笑っていた。
「ふふふ。嫌だな。私はここで何も悪いことをしているんじゃない。死にたい人の手助けをしているんだ。自殺したいやつ、楽に死にたいやつ、いろいろだがみんな喜んで死んでいっている。この病院はその意味では必要なのだ。ただ私はその報酬として血をいただいているだけだ。」
「狂っている。この世界はおかしい・・・」
涼介君はつぶやいた。
「小路さんはどうなの! 彼は自殺を止めて生きて行こうとしていたわ!」
私は院長に言ってやった。すべての人が死を望んでいるわけがないことを私は知っていた。だが院長は事も無げに言った。
「あの患者さんは不幸だった。確かに生きる気があったが、多剤耐性菌がついている、苦しい感染症で死ぬかもしれないって言ったら楽に死ぬことを決めた。」
私はそれを聞いて思わず声を上げた。
「うそ!」
「嘘ではない。さあ、もういいだろう。もう行きたまえ。そうしないと警備員に言ってつまみ出すぞ。それから山本さん。あなたをここから出すことはできない。だが黙っていてくれたらあなたには手を出さない。もっともあなたの話を信じる人はいないがね。」
院長は嘲るように言った。涼介君は悔しそうに院長室を出て行った。私も仕方なく、その後について病室に戻るしかなかった。
◇
「残念です。いい手が思い浮かばない。奴め。このまま入院患者を殺していこうというのか! だけど希望を捨てないでください。何か手があるはずです。」
涼介君が言った。私はそれでこう思った。絶望にも似た気持ちで・・・。
(私は生きてこの病院を出られないかもしれない・・・。)
「僕のいた世界ではググトの脅威と戦っていた。だがどんなにつらく苦しくても、みんな、生きようとしていた。この世界の様に自分から命を捨てるような人は少なかった・・・」
涼介君は最後にポツリと言った。
理沙ちゃんと涼介君が帰った後、私は病院の中を歩いてみた。今まで気づかなかったが、この病院の患者たちは生きるのを放棄しているように見えた。まるでこの病院には死神が取り付いているかと思われるほどだった。
◇
それからも入院患者は定期的に亡くなっていた。だが入院患者が絶えなかった。裏サイトでは自殺できる病院と紹介されているようだ。命を捨てたい者たちがこの病院に集まってきた。あの化け物に血をすすられるとも知らずに・・・
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