第10話 守るべきもの
朝起きてキッチンに向かうと、そこには別れたはずの妻と娘がいた・・・。平行世界から来たマサドだった「私(深山)」の話。
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私はベッドの上で目覚めた。また憂鬱な一日の始まりだ。人生の目標を失って何の楽しみも喜びもなく、私はただ生きているだけの木偶の坊のように感じられた・・・
それでも私は「会社に行かなければ。」とベッドを下りてキッチンに向かった。この広い家も今の自分には不釣り合いだった。ただ一人暮らしの侘しさだけが身につまされるだけだった。
「!」
キッチンに足を踏み入れたところで俺が驚いた。そこに料理をしている妻の佳枝とテーブルで朝食を食べている娘の里奈がいた。確か半年前に出て行ったはずだった。そして先月離婚したはずなのだが・・・
「君。どうしたんだ?」
私は佳枝に訊いた。
「どうしたの?早く朝食を食べないと会社に遅れるわよ。あなた。」
佳枝は笑顔で言った。別れるときは喧嘩ばかりしていたはずだった。そんな佳枝の笑顔を見たのは数年ぶりだった。
「パパ。早く座って。」
里奈が私を呼んでいた。里奈も元妻の味方になり、私を嫌っているはずだった。私はキツネにつままれている気がしていたが、そのままテーブルに座った。
「はい。どうぞ。」
佳枝がパンとコーヒー、卵などの朝食を出してくれた。こんなことは新婚の時ぐらいだった。
「今日は早く行かないといけないの。里奈を保育園に送っていくからもう行くね。食べたら食器を下げておいてね。」
そう言って佳枝は里奈を連れて出かけていった。それはどこにでもあるような家庭の姿だが、
(おかしい。こんなことがあるわけがない!)
と私は思った。現在はもちろん、過去にもこんなことはなかった。佳枝とは顔を見合わせるたびに喧嘩をし、里奈はそれを見て泣いてばかりいた・・・
◇
私は会社に向かった。同期の中には出世して課長にまでになっている奴がいるのに、私はまだヒラのままだ。営業部の第3課にいるが成績は上がらず、常にリストラ対象にされていた。そして上司の山中課長にはいつも目の敵にされていじめられていた。だが会社を辞めることもできずに、このままズルズルと勤め続けていた。
私は第3課のいつものデスクに座った。だがいつもの様子と違っていた。デスクに置いてあったファイルもパソコンも何もなかった。
(一体どうなっているんだ?これじゃあ仕事ができない。)
そこに気難しい顔をした山中課長が寄ってきた。また何か小言を言われるのではないかと私はビクビクしていた。
「これは深山部長。おはようございます。」
意外にも山中課長は愛想笑いを浮かべて私に丁重にあいさつをした。私は何かの冗談かと思って周囲を見渡した。
「今日はどうされたんですか?こんなところにお座りになって。」
山中課長はまた丁寧に尋ねてきた。その顔は何も冗談を言っているようには見えなかった。
「いや、ちょっと・・・」
私は何と答えようか迷っていた。
「ああ、そうですか。わかりました。部長は第3課の資料を頼まれておられましたね。おい、君!」
山中部長は横にいる新人の松本に向かって合図した。松本は慌てて資料を持ってきた。それを山中課長は手に取って私に恭しく差し出した。
「さあ、これでございますね。お部屋の方でご検討ください。」
私はそれを受け取って部長の部屋の前に行った。そこは営業部の片山部長の部屋のはずだった。だが部屋の前の名札を見ると深山部長になっていた。
(私が部長?)
私は何が何だか、わからなかった。冗談にしては凝りすぎていると思われた。私は恐る々々その部屋に入った。そこには誰もいなかった。やはりここは『深山部長』の部屋のようだった。
朝から何かが違っていた。だがそれは私が思い描いていた願望だった。
「夢でも見ているのか・・・」
だがあまりにもリアルすぎて現実としか思えなかった。私は置いてあった新聞やパソコンで調べてみた。
まず年号が違う。今は令和となっている。安治のはずなのに。それに驚くべきことにこの世界にはググトが存在していなかった。ここは私のいた世界とは違う。何らかの原因でここに飛ばされてしまったようだ。
(ググトがいないのか・・・)
私は感慨深い気持ちになった。私は長い間、マサドをしていた。ググトから人を救うため・・・それが私がマサドになった理由だった。大学を卒業してマサドに志願した。その頃は、私は青かった。崇高な使命さえあれば人生はバラ色だと信じていた。だが・・・
「部長、会議の時間です。」
外から声をかけられて私は我に返った。とにかく私はこの世界で思い描いていた理想通りの生活を送ることに決めた。
◇
家に帰ると、やはり佳枝と里奈がいた。
「お帰りなさい。」
2人は玄関で笑顔で私を出迎えた。
「ただいま。」
私は少しどぎまぎしていた。またこれが現実だと完全に信じられないからだった。だが佳枝も里奈も当たり前のように私を迎え、夕食のテーブルに着いた。
「今朝はごめんね。一人でほっといて。」
「いや、いいんだ。な・・・」
私は危うく慣れているからと言いかけて口をつぐんだ。この世界では私は佳枝に大事にされており、こんなことは滅多にないようだった。
「あっ。そういえば、あなた。今日、スマホ忘れたでしょう。」
(スマホ?)
私は聞いたことのない言葉に戸惑った。佳枝はそんな私にかまわず、小さい四角い画面の装置を渡してくれた。
(これがスマホか?どうやって使うんだ?)
私は受け取ったきり、それを眺めるしかなかった。
「今日一日、不便だったでしょう。メールがいっぱい来ているんじゃないの。」
(これでメールが見れるのか?便利なものだ。)
私は感心した。後でこの装置のことを調べてみると、アプリという物を使っていろんなことができるようだった。
(スマホは元いた世界にはなかった。この世界にいる限りは使いこなさないと。)
私はいろいろとやることができた。
◇
わからないことも多々あったが、1週間もすると私はこの世界に慣れてきた。会社では営業部の部長としてやりがいのある仕事で充実し、家庭に戻れば妻と娘が待っていた。しかもググトにおびえなくてもいい。
向こうの世界では私はマサドとしてググトと戦っていた。自分では崇高な使命としていたが、世間の評価は違っていた。表面ではググトから守ってくれる救世主と持ち上げられていたが、実際はただの使い捨ての戦闘員としか思われていなかった。ググトと戦っても会社では評価されず、ただ営業成績を上げた者が出世した。体を張っても得られるものは少なく、また被害者が出ればマサドは批判された。命を落としたマサドもいるというのに・・・。マサドの中にはそういう状況に嫌気がさし、止めていく者も少なくなかった。崇高な使命感だけでは続けられない・・・限界は来ていた。
以前、私がいた世界では、私と佳枝がそのことで言い争いになった。
「マサドを止めたら。それならあなたは出世するかもしれないわ!」
佳枝はよく言っていた。だが私はその使命を捨てようとしなかった。マサドを続けることがすべての人の笑顔につながると信じて・・・だがそのために私は多くのものを失った。会社での出世の道は断たれ、家族には反対され、挙句の果てに喧嘩して離婚する羽目になった。もちろん後悔をしていたわけではなかった・・・だがこの世界に来てわかったのだった。マサドにならなければこんな幸せが待っていると・・・
◇
だがこの世界でもある事件が起きていた。ググトが現れ、人を襲っているようだった。幸いマサドも現れており、それらのググトを退治していた。それをニュースで知った時、私は苦悩した。またマサドに戻ってググトと戦うべきか・・・だがこの幸せな世界を知った今、またあの時の不幸な状態に戻れるかどうか不安だった。いや戻れない、戻りたくないというのが本音だった。
私は悩んでいた。それを佳枝は敏感に感じてくれたようだった。
「どうしたの?心配事があるの?」
「もしあなたが重大な決心をして何かを始めようとしても私はついていくわ。」
この世界の佳枝は優しかった。いや向こうの世界の佳枝も元は優しかったはずだが・・・
幸せそうな佳枝や里奈を見ていると、私には守るべきものがある、何を差し置いても・・・と強く感じられた。
私はついに決心した。マサドを捨てると・・・
◇
それから1週間後のことだった。休日に親子そろって街に出かけた。
「いっぱいお洋服を買って、レストランで食事するの。」
里奈が言った。私は、
「うんうん。」と聞いていた。横で佳枝は笑顔で見ていた。その日は我が家の幸せな思い出の1ページとなるはずだった。だが、
「うわー!」
「ぎゃあ!」
といきなり前方で悲鳴が上がった。そして前にいた人たちが後ろを向いてこちらに引き返してきた。するとその先にはなんとググトがいた。ついにこの世界でも遭遇してしまった。
私は佳枝と里奈を連れて逃げようとしたが、佳枝が転んで足をくじいてしまった。これではすぐに逃げられなくなった。だから3人で近くの看板の陰に隠れた。ググトは獲物を探してこちらに向かってきていた。
(あれはB級ググト!)
私にはわかった。奴はB級、大型で強靭な奴だ。通常、マサド一人では敵うわけはない。このタイプは大勢で取り囲んで集中攻撃をするのが常だった。それでもマサドの方にも被害が出たが・・・
そのググトは大食いだ。一度に数人から数十人の人間を襲って血をすする。こんな奴がいたら街はすぐに壊滅してしまう。何とかしなければと思うが、私一人マサドになっても敵うはずはないと思った。
そうしている間にも逃げ遅れた人たちが次々に捕まって殺されていた。そこはまるで地獄絵のような光景になっていた。私は戦慄したがマサドとしての訓練を受けていたので、冷静に周囲の状況を見ることを忘れなかった。
(このままここで隠れていたら・・・)
このまま進んで行けば、多分、奴は向こうの通りに行く。ここには来ないはずだ。このままじっとしていたら安全だ。私はそう判断した。
「あなた、怖いわ。」佳枝が私の手を握り締めた。
「パパ。怖い。」里奈は私に抱きついた。
「大丈夫だ。こっちには来ない。安心しなさい。じっとしていれば大丈夫だ。」私は冷静に言った。
(私たち家族だけは助かるんだ!)
私は心の中で言い聞かせていた。その少し先では多くの人が殺されているというのに・・・
佳枝と里奈が私に顔を向けた。
「臆病者め!そんなに怖いのか!」
「卑怯者!マサドのお前が逃げてどうする!」
2人は決してそんなことは言っていないのだが、私には佳枝と里奈が非難しているように感じた。そう思わせたのは、私の良心が目の前の惨劇に耐えられなかったからかもしれない。マサドとしての使命が頭をもたげてきているようだ。
「私は戦わねばならない。それが私の使命だ。わかってくれ!」
私は上着を脱ぎ捨てた。はずみでスマホが飛び出し鈍い金属音が響いた。
「あなた!」
「パパ!」
佳枝と里奈が呼び止めようとしたが、私はそれにかまわず飛び出した。そして走って行ってググトの前に立った。
「エネジャイズ!」私はマサドになった。しかし前にいるググトは一人のマサドなど物の数ではないようだった。
「命が惜しかったらどけ!食事の邪魔をするな!」
だが私は勇気を出して向かって行った。
(これ以上、犠牲を出せない。たとえ私一人で敵わなくてもググトと戦う!)
私は心を決めていた。ググトはうるさい蠅でも追い払うかのように、触手を振り回して私をけん制していた。
(それなら間合いの中に入って攻撃するだけだ!)
私はググトに飛び込んでいった。
「放せ!」
ググトの触手が私の体にダメージを与えるが、私はそれにかまわずパンチやキックをググトに放っていた。強靭な体をもつこのググトにはそれしかなかった。だがいくらマサドの体は戦闘用で元の体が別次元にあると言っても、重要パーツはそのままになっている。だからマサドのままでもあまりに強い攻撃を受けると、元に戻った時にそのダメージで死に至ることはよくあった。私の仲間のマサドでも多くの者が命を落としている。
私はマサドの体の半分近くを潰されながらも、渾身のキックでググトの体に穴を開けることができた。
「グググ・・・貴様ごときに・・・」
ググトはそれだけ言って倒れて泡になって消えていった。
「やった!B級ググトを倒したんだ!私一人の手で!」
その喜びは何にでも代えがたいものがあった。私が多くの人たちを救った・・・という誇らしい気持ちでいっぱいになっていた。
私は元の姿に戻った。だが大きなダメージを食らっていた。佳枝と里奈のそばに何とか戻ろうとしたが、足がもつれて通りの真ん中で倒れた。もう起き上がれなかった・・・
「あなた!」
「パパ!」
佳枝と里奈が駆け寄ってきた。私を抱き起して何度も呼んでいたが、意識が遠のいていくのを感じた。もう私の命の灯は消えようとしていた。
この世界に来て、望んでいたような素晴らしい生活を送ることはできた。だがその生活どころか、私自身を守ることもできなかった。マサドであったために・・・
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