第34話:彼が輝いていたその時のままで

俺はそれから一人でアパートに戻ると、時雨に「犯人が分かった」とだけ言った。

当然のことながら、唐突な物言いに彼女は情報の出所を問い詰めてきた。

その背景には警察もまだ掴んでいない具体的な情報を俺が持っていたこと、そして単純に偽情報に惑わされているのではないかという心配も含まれていた。

俺はただ一言「今からそいつのところに行ってくる」とだけ言った。

時雨は猛反対したが俺の覚悟を見て、最後には折れた。

もちろん、それは見かけだけのものだろうから、俺は急がなくてはならない。

時雨が警察あるいは自身の自由に使える部下を使って、先回りされてしまうかもしれない。

そうなれば、父さんを殺した犯人の口から直接事情を聞く機会はきっと訪れない。



♢♢♢



俺はとある番号に電話をかけ、その持ち主と人気のない自然公園の中で待ち合わせていた。

すると目的の人物はすでにベンチに座って待っていた。


「悠斗君」

「――神原さん」


出来るだけ平常通りの声を意識したつもりだったが、刺々しさが抜け切れていない。

そんな俺の様子を見て神原さんは疑問符を浮かべる。


「どうしたんだい? 顔色も優れないみたいだし、こんな早朝から呼び出すなんて。もしかして急ぎで画材が欲しくなったのかい……?」


的外れなことを言う神原さんに俺はもう堪えられそうになかった。


「どうしてっ……! なんで父さんを殺したんだよ……っ!?」


俺の叫びを受けて神原さんは目を丸くする。

それからすぐに眼鏡をかけ直す。

笑顔を崩さない神原さんが平常のまま問いかける。


「一体何のことだい? 君のお父さん――和臣君は行方不明じゃなかったのかい」


俺は綾香を信じて、父さんが殺されたときの状況を話すことにする。

冷たい血が身体の末端から凍えさせ、幾分か落ち着いた。

ともすると人の道を外れた行動に走りそうな自分がいた。


「あんたは俺が中一の冬――今から三年前に父さんと絵を描きに出かけたな。小さく拓けた場所――ネモフィラが咲き誇る山の奥に」


それを聞いた神原は見るからに気が動転していた。

その様子を見て綾香のいう言葉がすべて真実なのだと理解する。


「どうしてそれを……? その場所は僕と和臣君しか知らないはずだ……!」

「隠すことは諦めたのか?」


そこで自分の失言に気づいたのだろう。

こうなっては仕方がないと開き直り、堂々と居直った。


「和臣君から聞いていたのかな……? あそこは僕との秘密の場所だったっていうのに、和臣君はひどいなあ……。まあ、いいや。潔く全部話そうじゃないか」

「どの口がそれを……っ!」


俺は怒りに身を任せて言葉を吐き出す。

神原は父さんとの思い出をあんなに楽しそうに話してくれたじゃないか。

そんな人が父さんを殺したことにどこか裏切られた感覚を得て、落胆も身体を巡る。

俺を冷めた目で一瞥すると語り始める。


「僕はね君のお父さん――和臣君のことを尊敬していたんだ」

「だったら、なんで!!」


尊敬と言った彼の顔は父さんを殺したものとは思えないほどに穏やかで真実と思えるものだった。


「彼は僕が殺す一週間ほど前にね、久しぶりに連絡をくれたんだ。飛びついたよ、僕は。あの人からの連絡はそう、いつだって嬉しかった。――僕にとっての絵は和臣君の描いたものだけだから。でもその連絡の内容は僕の予想外のものだった。なんて書いてあったと思う?」


間を置くが、俺に答える意志はない。

神原は気にせずに言葉を続ける。


「『俺は絵描きを止める。息子がいてな、苦労ばっか掛けてるんだ。そろそろ定職に就いてあいつの心配を減らしてやりたい。――だから、最後に大学時代の思い出の場所に絵を描きにいかないか』ってね。彼の絵が二度と見られなくなると思った僕は必死で止めたよ。君は僕なんかとは違う。これまでも、そしてこれからも君は絵描きだと。でも首を縦には振ってくれなかった。だから、思いついたんだ。彼の才能をじんわりと腐らせていくくらいなら、その前に――彼が輝いていたその時のままで時を止めてあげようって。思い出の場所なら彼は幸せだろう」


今、俺はどんな表情をしているだろう。

分からないや。


「あそこは遠いうえに、僕がどうせ最後ならと二週間の旅行の名目にしたからね。和臣君が君に言ったっていう『いい子で待っていてくれるかい?』は長い旅行に行ってくるからって意味だったんだと思うよ。彼は旅行の間、絵のほかには君の話ばかりしていたよ」


なぜ、そんなに淡々としていられるのだろう。

分からない。


「あの幻想的な森の中で――二人だけしかいないあの空間で僕は絵を描く彼に言ったんだ。『君は今、絵を描けて幸せかい?』って。答えは簡単だった。あの楽園にも似た場所を初めて見せてくれたあの時と同じ満面の笑顔で言ったよ。『ああ、幸せだよ』って。だから、やっぱり彼を殺すしかなかった。綺麗なまま、彼の本質が変わらないまま、別の世界に送り出してあげることが僕にできる唯一のことだったんだよ」


――狂っている。


「計画性も何もなかったもんだから、すぐに僕は捕まると思ったけどね。でもきっと和臣君が助けてくれたんだ。あそこは人が全くと言っていいくらいに通らない。だからこそ秘境だったのかもしれないけどね。最近になって、あそこが土地開発されるって聞いて悔しいやら苦しいやらで辛かった。僕が埋葬してあげた和臣君の遺体が掘り出されてしまったんだからね」


――狂っている。


「そういえば僕の個展に和臣君の息子の君が来ていた時には驚いたよ。あの時だってきっと和臣君が導いてくれた運命だったんだよ。僕は和臣君が絵を止める原因になった君が憎かったけれど、僕にも僕なりの美学ってものがある。生涯で自ら手をかけるのは和臣君。僕の最初も最後も彼一人――でぁ!!」


鈍い音と共に神原が地面に吹き飛ばされる。

気づけば爪が食い込み、血が滴るほどに握った拳で神原の顔面を殴りつけていた。

朝露事件の時でさえ殴ったことはなかったのに、生まれて初めて人を殴りつけた。

ひどく気持ちが悪くて、今にも吐きそうになる。


「いってて。まだ話は終わってないよ、悠斗君。和臣君とのことはここで終わりにしよう。憎しみが冷めやらなかった僕がもう一つしたことの種明かしをしよう」


俺はその言葉に、あと一歩のところまで迫っていた神原に手をかけるのを止める。


――もう一つ。


それはある予感を抱かせた。


「和臣君が失踪して、ほとんど時間も経たずに確か、朝露事件っていう名称の事件が起きたことは知っているよね。まさか学生の間でそんなに有名な出来事になるとは思ってなかったんだけどさ、あれを仕掛けたのも僕――ドゥアッ!!」


俺はもう躊躇わずに何度も何度も馬乗りになって殴った。

自然と透明な液体が人を殴る俺の手にこぼれる。


佐久間から愛理の真相を聞いていた。

彼女はあの事件を苦にして自殺した。

だからこそ、俺の前でそれを得意げにひけらかすこいつがただただ憎かった。


「ぼ、ぼくはっ! 不良たちにっ……金を渡してっ……! 君が仲良くしていたっ……らしき子をっ! 君のついでにっ! 傷つけたら、追加でもっとやるって言ったんだ……っ!!」


神原はブクブクに腫れあがった顔に下卑た笑いを浮かべる。

俺の拳は摩擦による皮剥がれにあい、真っ赤な肉が露出していた。


「あああああああああっ……!!」


俺は叫んだ。

痛かった。

痛すぎた。

身体ではなく、心が。


俺はまるで滑稽だ。

父さんがいなくなって悩んで。

その間も愛理は仲良くしてくれて。

愛理が傷つけられて。

高校に入ってからは綾香に当たって慰められて。

時雨に守ってもらって頼ってばかりで。


挙句の果てにそれら全てが無駄だったんだよと嘲笑された。

ただ単にこいつの手のひらの上で踊らされていただけなんだ。


俺はこいつの首に手で触れる。


「は……ははっ……僕を殺すかい……? いいとも……それが君の望むことならやればいいさ……っ!」


ゆっくりと力を込めていく。

こいつは抵抗せずにただ潰れた蛙のような声を上げるだけだ。


「ぎ……ゃぁ……っ!」


頸椎がキシキシと悲鳴を上げている。

あと少し。

あと少しで、父さんと愛理を殺したこいつを同じ目に合わせてやれる。


「待ちなさいっ……!!」


声の方向に顔を向けるといつかも会った執事と時雨の二人が俺を見ていた。


――早く殺さなきゃ。


駆け寄ってくる時雨の足音を背後に最後の力を籠める。

神原の顔は笑って言うのだ。


「きみも……ぉなじ……」



♢♢♢



三月の中旬。

今年の桜予報は例年よりかなり早く、四月の頭には満開を迎えるのだそうだ。

土筆とチューリップが春の到来を告げているようだった。

父さんと愛理の墓参りを終えた俺は、墓地のベンチに座り、ぼんやりとしていると隣りから声をかけられる。


「夜宮くん、心ここにあらずって感じだね」

「ん、まあな。あんなことがあったっていうのに、それは俺の中だけのことだったんだなって思って」


ふと納得いかないと言った様子で睨んで見せる綾香にごめんごめん、と謝る。


「違ったな。俺と綾香と時雨とだ。他の普通に暮らしている人たちにとってはいつも通りの日常なんだよなあ」


俺はあの時――神原の首を折ろうとして、脳裏に浮かんだのが綾香の顔だった。

その一瞬の躊躇の間に時雨が飛びついてきて、俺は神原を殺すことができなかった。


この件の対処は十文字家に由縁のある者だけで行われ、俺は殺人未遂にもかかわらず、事情聴取をしてから厳重注意ということで解放された。

そして、気絶していた神原は俺の聴取のもと捜査を進める警察に口を割ったらしい。

殺人罪、死体遺棄罪などなど複数の罪に問われるとのことだ。


俺はしばらくの間は放心状態で食べ物が喉を通らなかったが、数週間が経過した今では、だいぶ気持ちの整理をつけられた。

時雨にも何度目とも分からない「ありがとう」の言葉と謝罪をする俺に対し、「今回は私に何も言わなかったわけじゃないし、いいのよ」という一言に添えて「でも次、私に相談してくれなかったら」とこの後は若干恐ろしい時間が続いたのだった。


「夜宮くんはもう、大丈夫?」


静かな問いかけが耳を打つ。

俺は神原に対する憎悪はあれど、二度と殺そうとは思わないだろう。


あいつは父さんが絵を描くことを止めるきっかけになった俺を憎んでいた。

その復讐として、あいつが最後に言った『君も同じ』の真意――殺人者として同列のくくりに入れてやったということを主張したかったのだと俺は思う。

最後の最後まで性格の悪い屑だった。


「俺は大丈夫だよ」


綾香は違う違う、と首を横に振る。


「今回のことだけじゃないよ。もう夜宮くんを縛る鎖は全部取り払えたかなってこと」


俺はその言葉にわずかな異物感を覚えつつも、これですべての過去を受け止めることができたと思う。

清算、なんて綺麗な言葉は使えないけど。


「ああ。綾香と時雨のおかげだよ」

「ふふ、それならよかった」


遠く空の向こうを見つめる綾香に、俺は何を思ったのだろう。


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