第17話 貯水池 ―――成増健二

お兄ちゃんが死んだのは、僕が5歳の冬だった。いつもの様に幼稚園から帰ると、ランドセルが玄関に置きっぱなしになっていて、どこかへ遊びに行った様だった。

その日は、祖父母は藤岡市に住む友達の家に出掛けており、父親は仕事で、家には僕と母親だけで過ごしていた。

夕方になってもお兄ちゃんが帰らず、心配になって母親が近所の友達の家に聞きに行ったけど、今日は一緒に遊んでいないと言われたらしい。

近隣の人に聞いても、誰もお兄ちゃんを見たと言う目撃情報はなかった。


お兄ちゃんは僕よりも3つ年上で、当時は小学校二年生だった。

ハッキリとは顔なんて覚えていないが、毎日の様に遺影を見ているから、お兄ちゃんの顔は知っている。

覚えているのは、いつも元気で明るい性格だったなと言うくらい。

どちらかと言うと、僕は人見知りが激しいけれど、お兄ちゃんは人見知りなどなく、すぐに誰とでも仲良くなれる性格だった。


お兄ちゃんが亡くなる数日前、僕とお兄ちゃんは、浜尻に住むおばちゃんの家に遊びに行った。遊びと行っても、祖父母と両親がお葬式で留守になるからと、数時間だけ預けられたのだ。

その日、僕はおばちゃんの家でテレビを見たりして過ごしていたが、お兄ちゃんは知らない土地だからと言って、おばちゃんの目を盗んで遊びに出掛けた。

家にいない事に気付いたおばちゃんが、夕方前頃にお兄ちゃんを探しに出掛けた。

どこで何をしていたのかを知ったのは、その日、自宅へ帰ってからだった。

お兄ちゃんは、おばちゃんの家から歩いて5分くらいの場所にいたらしい。その場所は、小高い丘になっていて、そこで知り合った女の子とかくれんぼをしたりして遊んだと言う。

子供達の声に気付いて、おばちゃんがそこへ行くとお兄ちゃんがいたから、そのまま帰って来たと言うのだけど「僕が誰と遊んだの?」と聞いても、知らない子としか返って来なかった。

僕とは真逆で、とにかく誰とでもすぐ仲良くなって遊べるお兄ちゃんを、僕は羨ましかった。


それから10日くらい経った日、お兄ちゃんは死んだ…


薄暗い中、寂しく辺りを照らす街灯に溶け込む様に、大人たちが懐中電灯を片手にお兄ちゃんを探した。

勿論、警察にも電話して、一緒になって探した。

友達の家から帰って来た祖母と僕は自宅で待機し、母親から連絡を受け、慌てて仕事から帰って来た父親と母親と祖父は、学校や同級生の家を一軒一軒聞きに行った。

捜索して3時間が経った頃、警察がお兄ちゃんの遺体を発見したと、自宅へ連絡が来た。

事故現場から自宅までの距離は、目と鼻の先だった。

僕の家から奥へと進むと、貯水池があるのだけど、そこでお兄ちゃんが俯せで浮いていたと言うのだ。

真冬の冷たい貯水池で…


警察が調べた結果、事件性はなく、おそらくは事故だろうと言われた。

あやまって貯水池の中へと入ってしまい、そのまま溺れる形で亡くなったと言うのが、お兄ちゃんの死の真相だろうと言われた。

不可解な事に、貯水池は金網で囲まれていて、出入り口にはしっかりと鍵がされているのだと言うが、その日に限って何者かが鍵を壊して、出入り口は開きっぱなしだったと言うのだ。

市の役員が見回りに来るのは一週間に一回のペースだが、外から確認しただけで、

鍵は開けていないと言うらしい。


僕の実家は、山名の一番奥にあり、周りには数軒家があるくらいだった。しかも、家はあるけれど、誰も住んでいない廃屋も幾つか存在している。

事故のあった貯水池の存在は知っていた。何度も親から『危ないから近付くな』と言われていたから。

僕は、それに従っていたから、一度も行った事はなかった。しかし、好奇心が強いお兄ちゃんは、その言い付けを破って近付いたのだろうか?

それとも、事件性がないと言うだけで、本当は何かしら事件に巻き込まれたのか…

それすら解らないまま時間だけが流れた。


お兄ちゃんの死から半年くらい経った頃、祖父母が何か怪しい宗教へと入った。

その宗教は『異浄葉教団』と言って、誰がどう聞いても信用のならない宗教だと思う筈だが、孫を失った悲しみの隙を狙って勧誘をしたのだろう。

その弱みに付け込まれた祖父母は、勧誘に乗っかってしまったのだ。

祖父母が熱心に宗教活動を行って数年が経つと、今度は両親を勧誘した。僕は、20歳になるまで入れないからと言って、誘われる事はなかった。

両親も祖父母同様に宗教活動にのめり込んだ。

時には、僕を自宅に一人残して四人で修行に行くと言って、どこかへ行く事も稀にあった。

浜尻のおばちゃんも勧誘されたらしいけど、断っても断ってもしつこいからと、僕の両親と絶縁したと、後々になってだけどそう聞いた。

おばちゃんと最後に話したのは、小学校4年になった頃だった。学校から帰ると、家には誰もいなかった。ただ、修行に行くとだけメモと、今夜と明日の朝に食べるパンだけが置いてあった。

パンを食べながらテレビを見ていると、電話が鳴った。それが、おばちゃんからの最後の電話となった。

勧誘がしつこいから絶倫したと言うのと、お兄ちゃんが亡くなる前に一緒に遊んだ子の一人が、その日から行方不明になっていたと。

言うか、言わないかをずっと悩んでいたらしいけど、最後だからと言って話してくれた。もしかして、何かあったのかもと。

例えば、あの日、何かの事件をたまたま目撃してしまって、その犯人に事故にみせかけて殺されたとか…

それは、ちょっと考え過ぎじゃないかな、そう返した。これで、おばちゃんとは関りがなくなると思うと、少し寂しくも感じたけど、仕方がないって言うのは、小学生の僕にでも解った。

あんなに、しつこく誘われたら、誰だって嫌にもなるよ。


中学生になると、祖父母も両親も今まで以上に宗教活動を活発的に行う様になり、家には殆どいない日が続いた。

たまに家に帰って来ると「健二も教祖様の様に、良い大学を出なさい」と言う様になり、予備校に通う様に促され始め、勝手に契約をして来られた。

仕方なく、僕は親の言いなりとなり、行きたくもない予備校へと通う様になる。

高校受験も終わり、志望校へ合格すると、入学したばかりと言うのに、もう大学受験の話をして来た。

その頃には、祖父母も両親も『異浄葉教団』の幹部へと昇格していて、群馬支部を任されていたらしい。らしいと言うのは、直接その話を聞かされたが、興味が無いから適当に相槌を打っていただけで、まともに聞いていなかったからだ。


両親の留守が続いたある日、僕は初めて貯水池へ出掛けてみる事にした。家から歩いて5分程の距離だ。

僕の近所は、あの頃よりも住民が減ってしまい、廃屋が多く目立って来た。

それを面白半分で『心霊スポット』として遊びに来る人達が増えた。これから向かう貯水池も同様に、怪談話が噂で流れる様にもなった。

深夜になると、

子供の泣く声が聞こえて来る。

落ち武者の霊が追い掛けて来る。

戦時中に亡くなった人達が水を求めて貯水池に彷徨って来るなど。

実際に、それを見たと言う近所の人や、同級生もいた。

心霊写真が撮れたと言って、見せてくれた友達もいたが、僕は興味がなかった。

ここは、心霊スポットと言うよりも、お兄ちゃんの亡くなった悲しい場所としか思っていないからだ。


貯水池へ着いた。

出入り口は、頑丈に鎖に巻かれて鍵がされている。その近くには、猪だろうかの死骸が転がっている。何とも言えない光景だった。

金網に手を掛けて貯水池を覗き込んでみる。

あの時、お兄ちゃんはどんな気持ちだったのだろう…

ここに、何しに来たのだろう。そんな事を考えていると、もう少しで陽が沈む時刻へとなっていた。その場で手を合わせて帰ろうとした時だった。

ヒューッと、冷たい風が急に吹き始め、ひらひらと、一枚の薄汚れた紙が足元へと舞い落ちて来た。

拾い上げると、小学校の連絡で配られた用紙だった。裏を見ると、お兄ちゃんの名前と、お兄ちゃんが書いたであろうメモを読んでみると、


なりますけんいち


ちょすいちは行っちゃだめって言ってたけど

ここをぼうけんする。

くるみちゃんがゆめで言ってたから


くるみちゃん?誰だろう…お兄ちゃんの同級生の人かな?

取り敢えず、この用紙を持って家に帰った。そして、お兄ちゃんの同級生だった中学の先輩に電話を掛けて聞いてみたが、そんな名前の人はいなかったと言われた。

それなら、このくるみちゃんって言うのは誰だ?

解らない。もしかしたら、どこかで仲良くなった子なのかなと、自分に言い聞かせて、用紙を机の引き出しに閉まった。

でも、何でこのタイミングで用紙が出て来たのだろう?

何かを僕に伝えたかったのだろうか?いくら考えても答えなど出ない。

忘れ様としても、頭から離れない。

考えない様にして日々を過ごした。


高校一年のクリスマスまで後一カ月ちょっとの時に、大崎愛奈と出会った。

それまでは、平凡に男子校で過ごして来た僕にとっては、夢の様な日々を送る事となった。

彼女は、誰が見ても美人で、僕みたいな男とは不釣り合いだと思うだろう。しかし、僕達は恋愛をしたのだ。友達からは、お金が目当てなんじゃないかとか言われた事もあったが、彼女はお金を要求したりしなかった。むしろ、バイト代が入ったからと、ご馳走をしてくれるのだった。

最初は、予備校の事を相談されていただけで、これと言って恋愛を目的とは思わなかった。数回会ったある日、彼女の方から帰り道に告白をして来たのだ。

予備校やバイトがあって、月に2~3回程しか会えなかったが、僕は愛奈の事ばかり考えていて、正直この頃は勉強も手に付かない程に、彼女に惚れ込んでいた。

きっと、彼女も同じだろうと、僕はそう勝手に思い込んでいた。

僕達は、相思相愛なんだからと。

とにかく、僕は純愛を貫き通した。彼女とは、手さえ繋いだ事もなかった。付き合い始めて一カ月程した時、彼女の方から手を繋いで来てくれた時は、この世界で一番幸せな人間は僕だと思った。それ程に嬉しかったのだ。

思い切って、両親がいないからと言って、家に来ないか誘ってみた。やましい気持ちなど一切なかった。ただ、二人だけの空間で過ごしたかったから。

彼女は、良いよ、そう笑顔で応えてくれた。

両親が滅多に帰って来ない家は、荒れ果てていたから、玄関と階段への廊下だけでも掃除をしようと決めた。

彼女が来るのに、汚い家を見られたくないから。

翌日、駅までスクーターで彼女を迎えに行く時間になった。普段、何も思わないのに、その日に限ってお兄ちゃんのお仏壇が急に気になったのだ。

理由は解らないけれど、取り敢えず手を合わせると、自宅の固定電話が珍しく鳴った。普段、携帯に電話が来るのに、誰だろうと思い受話器を取ると


ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ…


不気味な音が響いてプツっと、すぐに電話が切れた。悪戯だろうと思い、気にする事なくスクーターに乗り、彼女を迎えに向かった。

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