6:「頂点と食糧 ~Predator~」


「フフフ」


 約束通り一口、ほんの一口だけ啜った祐一くんの血の味が口の中に広がった。こくり、と喉が鳴る。


「祐一くん。あなたの血はやっぱり素晴らしいわぁ」


 全身に力が漲る。


 吸血の影響でぼんやりと脱力した祐一くんの身体を軽トラックの硬いシートに慎重に横たえ、私はドアを蹴破るようにして表へ出た。出来損ないの人外ゾンビどもに教えてやらねばならない。頂点捕食者たるこの私と私の食糧に手を出したことの罪深さについて。






 おそらくは人間の傲慢が生み出したであろうゾンビウィルスは、私――神楽坂かぐらざか未羅ミラムラにも例外なく被害をもたらした。


 永い彷徨ほうこうの果てにようやく落ち着ける場所を見つけたというのに忌々しい。


 人間の血を糧とする吸血鬼ヴァンパイアにとって、今回のゾンビウィルスは死活問題だった。迷惑などというレベルではない。ゾンビ化した者の血を吸う気にはなれるはずもなく、私は邑を放棄する他なかった。


 私が町に着いた時にはそこら中をゾンビが徘徊し、人間を見つけるのに苦労した。


 ようやく見つけた男の子は、コンビニでゾンビに取り囲まれ恐怖に震え、死に怯えていた。感情の色濃く混ざった血は彼の純潔と相まって実に甘美で、私の渇きを潤してくれた。


 私はその男の子——祐一くんと行動を共にすることにした。


 他に丁度いい人間もいなかったし(ホームセンターにいた中年の男たちの血は、吸うに値しなかった。殺すのも面倒だったから魅了の魔眼で意識を奪うにとどめておいた)、彼の血はの味はその場限りのものとするにはあまりにも美味しすぎた。






 ゾンビの群れは私には目もくれず車の中の祐一くんに興味津々だった。お目が高いと誉めてもいい。

 でも、


「これまで感染しないように、彼を大切に扱ってきたのよねぇ」


 祐一くんの寝ている間に少し血を頂いたりはしたけれど、テイスティングは必要なのでノーカウント。品質が落ちては元も子もない。


「ゾンビ風情にくれてやる血は一滴もないのよねぇ」


 血は糧であり、力の根源でもある。

 至高の美味は吸血鬼の肉体を活性、強化してくれる。


 声ならぬ呻きを発しながら車に近づいてくるゾンビの胸板を私の抜き手は軽々と貫いた。あら、まだ動けるのね。死んでいるのに元気のいいこと。


「邪魔よぉ」


 腕を振って、胸に穴の開いたゾンビを放り捨てた。

 指についた血と肉片を振り払うように手をぷらぷらさせる。


 ゾンビの数は多い。

 軽トラックの下敷きになって蠢いている分も含めれば二十か。三十か。数は多いけれど、所詮は有象無象にすぎない。


 濁った血の噴水にでもなるのがお似合いよね。


 私はシャンパンの栓を抜くような気軽さで次々とゾンビの首を刎ね飛ばした。

 蹂躙する。






 意識と視界がはっきりとしてくる。

 ぼやけた輪郭が元に戻る。


 軽トラのフロントガラスの向こう。ひび割れたアスファルトに広がる血だまりと、おびただしい数の首無し死体。


 その真ん中でミラさんは笑っていた。

 はじめて会った時と同じ顔で笑っていた。



 両手は肘まで赤く染まり、ワンピースが返り血でまだら模様になっていた。

 ミラさんの白い肌と銀色の髪に、よく映えていた。


 ミラさんは人間ではなかった。

 もうわかっている。

 ゾンビでもない。

 もっと、より恐ろしい――


 なのに。

 その美しさに吸い寄せられるように、僕は車から降りた。


「ミラさん……」

「血、ありがとねぇ。おかげで楽に始末できたわぁ」

「そう、ですか」


 噛まれた首筋に手をやる。血は出ていなかった。指先に歯形の感触があった。 ミラさんの紅い唇と白い牙



「大丈夫よぉ。これからも私が祐一くんをまもってあげるから」

「はいっ。よろしくお願いします」

「こちらこそ~」


 ゾンビだらけになってしまったこの世界で、僕と美しくも恐ろしい吸血鬼のおねえさんの旅は、こうして始まりを告げたのだった。




(了)

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ゾンビだらけの世界で僕とおねえさんの 江田・K @kouda-kei

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