文筆は疲弊した日常からの逃避か、明日への活力か?
太宰治しかり、芥川龍之介しかり。
夏目漱石や森鷗外もそう。
どこか文筆家って、神経質で脆い空気や匂いを感じさせる。
今の現実に居心地悪い部分があったならば、空想の世界に安住の地や理想郷を求めたり、逆に執筆で描かれる世界を通じて、自分の中の鬱屈としたものの留飲を下げて心の安寧を図る。
そんな部分は誰にも少なからずあると思う。
私は異世界ものは書かない読まないというだけで、広義のハイファンタジーは好きだ。中学高校の頃は、水野良先生や友野詳先生といった、グループSNEのTRPGの作品や、スニーカー文庫の作品はずいぶん読んだ。
やはり非日常を味わい、そして作品世界に自分もどっぷりと浸かれるという意味では、往年の作品はとても優れている。
なんだろう、ファミコンのドラクエの「はい」「いいえ」しか喋らない主人公のように、ゲームをプレイする自分を通じて、まるで間近でファンタジー世界を観察させるような説得力と構成力、文章力などが魅力的だった。自分がその世界に舞い込んだかのようだ。
余談だが、FFはベラベラ喋る主人公のせいで『プレイするドラマ』って感じで、少年期なりに脳内補正が効かず、また感情移入がしにくく、あまり好きでなかった。
それが今やスクエニという同じ会社になるんだから、昭和の人間には驚きだ。
とまぁ、そういう意味でも、昨今の『異世界』ファンタジー群は、読者の想像力を極限まで掻き立てて空想と夢想と妄想の世界にいざなうというよりは、手っ取り早くインスタントに神(≒作者)も読者も現実逃避できる地下シェルター……そんな感じがする。
それはそれでお手軽なのかもしれないが、あまりにもチートだの、極端にスローライフだの……別に俺たちゃ現実がしんどいのに空想の世界まで頑張りたくねぇよ――そんなところが透けて見えてしまうのが、なんとなく残念だ。
だからカクヨムで頑張っている作家さんのハイファンタジーも読みたいな、と思うのだが、検索やピックアップで出てくるのは『いかにも』なアレ系ばっかりで困る。
以前のエッセイにもあるが、出たがりなラーメン屋の、黒Tシャツに前掛けで腕組みをした頭巻きタオルの店主がドヤ顔してるアレだ。
だもんで、真に現実逃避をする――すなわち、適度に日常という時間を忘れてリセットし、リフレッシュする程度に作品世界を収めるのが無難なのかな、と思う。
あまりにも理想を詰め込みすぎた異世界の旅は、恐ろしい現実を前にして反動が大きすぎるのでは、と老婆心ながら心配になってしまうのだった。
話題は打って変わって、新年度。
私は年度替わりで多忙を極めている。
世間並のオトナか、もしくは公募ワナビか。
どちらが世を忍ぶ仮の姿かはわからないが、ここ数週は毎日忙しい。
冒頭の通り、御多分に漏れず執筆を趣味にしているせいか、私のメンタルも豆腐だ。
でも、世間的には責任世代。
救心と太田胃散が欲しくてたまらない、オッサンなのである。
よって、日常に疲弊しきった私は、疲れた身体と回らない脳みそでカクヨムを細々と更新する。
そして新しい更新の前に、前回の更新を確認したら誤字を発見する。
誤字を修正したものの、新しい更新にも誤字があり、それを次回発見して……そんなことの繰り返しだ。
救心と太田胃散世代は本来、報告書に誤字脱字なんて許されませんよ。
ましてや公募を中心に活動してやがるくせに。
公募にPDFを送ったら最後、もうジ・エンドなんですから。
一度たりとも世間様の目に触れさせたら、取り返しはつかないんですよ。
応募規定外の作品に仕立ててしまって、そもそも一次選考からも落とされるなんて凡ミスもあり得るのですから。
だから、今日も私は自分のミスを発見して悶える。
あまりにも疲弊した状態でカクヨムしても、それは非日常の余暇のひとときという事にもならず、逆にミスを発見したその後の自分がしんどい。
なにごとも中庸に、いい塩梅で。ほどほどに。
それが叶えば困る事は無いのだけれど。
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