第6話 もう分からない~魔王は傷ついた乙女に愛を告げる~




 アザレアは、ストレリチアの様を哀れに思った。


 共に過ごした時間が、過去が、ストレリチアの枷となり、彼女は前に進めないのだ。

 そして、その枷が傷を開かせ、傷をつけ、彼女を苦しめる。


 割り切れるならば、切り替えられるならば、ここまで苦しむ必要等ないだろう。

 あの「勇者」と「仲間」達から裏切られた時、優しすぎる彼女の精一杯の抵抗が逃亡だったのだろう。


 彼女の故郷であり「勇者」の故郷でもある村は、彼女を優先したからこそ彼女は生きることができた。

 もし、そうでなければ、己の命を絶っていたかもしれない。


 アザレアは当初の予定を変更することにした。





「本当に大丈夫か?」

「……ずびまぜん……」

 魔王に渡された綺麗なハンカチで涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔はなんとかできた。

 その結果どう見ても高価そうな綺麗なハンカチを汚した事に罪悪感が湧く。

「……落ち着いたか?」

「……はい、申し訳ございません……」

「気にするな。ところで其方は一度も余の事を呼んでいないな」

 ぎくりと音がなるような事を指摘される。


 仮に「魔王様」と呼べば、確実に魔王の機嫌を損ねかねない。

 けれども「モルガナイト陛下」と呼べば、私は「何か」を裏切った気がして言えない。

 その「何か」が分かっている、でも言葉にするのも心の中で言ってしまうのもできない。


――捨ててしまいたい――

――捨てたくない――

――逃げたい――

――逃げれない――


 心の中がぐちゃぐちゃになる。

 私はどうすればいいのか、自分でももう分からない。


「――ソレは其処迄其方を蝕んでいるのか」

 魔王の言葉に、私はどういう意味か分からず、魔王を見る。

 憐憫の眼差しに、似ているのにどこか違う視線に私は困惑する。

「しばし、休むと良い」

 魔王はそう言って部屋から出て行った。


 扉が閉じると、私は息を吐く。

 今の自分の立場が酷く不安定で、恐ろしかった。


 会議室の事を思い出す。

 魔王の言葉、私が居なくなったから「勇者」達は負けて捕えられたと言う事実で私に確かに、怒りの視線が向けられた。


――どうしよう――

――兄さんに、お祖母ちゃんに、みんなに、何かあったら私は――


 自分の所為で村が滅ぼされたりしたらどうしようかと不安になった。

 だって、村の皆は私の味方をしてくれた。


 その想いを裏切りたくない、でも私は今ここにいる。

 どうしようもできない。


 部屋の扉が開き、先ほど出て行ったメイド二人が入って来た。

「ストレリチア様、どうなさいました? お顔の色が悪いですよ、何か御不安な事でも?」

 ブルーベルが視線を私に合わせて、手を握りしめて訊ねてきた。

「……私の、所為で……村が……」

 声が震えてうまく言葉にならない。

「――サイネリア」

「分かっております」

 サイネリアが部屋を出て行った。


 しばらくして、部屋に戻ってくると、サイネリアも床に膝をついて私を見て口を開いた。

「ご安心ください、ストレリチア様。貴方様の村に危害を加えられぬように陛下が計らってくださっております。何名か村に滞在し、村の警備にあたらせたようです。ですので、ご安心を」

「ほん、とう……です、か?」

「はい、ですのでご安心ください」

 多分、嘘ではないと思う。

 魔王の今までの態度や発言、そして二人の態度から嘘をつく理由がない。

 安心したら、頭がふらふらとし始めた。


「「ストレリチア様!?」」


 少しだけ柔らかな床に倒れるのを感じながら、私の意識はそこで暗転した――





「――ストレリチアが倒れただと?」

 アザレアは自身の部屋にやってきたストレリチアの世話役につけたメイドの一人であるブルーベルの言葉に聞き返した。

「はい、医師の診断ではおそらく精神的なものと……」

「……さて、どうしたものか」

 アザレアは少しばかり考え込んでから、ブルーベルに命じた。

「すまないが、ストレリチアの兄を明日連れてきて欲しい」

「畏まりました、そのようにお伝えします」

 ブルーベルが居なくなると、アザレアはふぅと息を吐いた。


 ストレリチアには療養も必要だが、同時に少し強い刺激が必要だと感じたのだ。


 椅子に深く背中を持たれ、ストレリチアの身なりを整えさせている間に、捕えた愚者達の所へと向かったのを思い出す。


 愚者は卑怯な手でも使ったのだろうとこちらを罵ってきたので。

 とある真実を教えてやった。



『そう言えば、貴様らの仲間が一人抜けたそうだな』

『それがどうした一人抜けた位で――』

『彼の者は神の祝福を受けし者。あの聖女を自称する雌などと比べ物にならぬ加護の持ち主。自身と己が信頼する者を守り強める、力を増大させるというものだ。つまりだ、貴様らはその者が居たから戦えたわけだ』

『そ、そんな嘘を――』

『嘘をついて余に何の得がある? まぁ、仮にその者がいても貴様らは勝てなかっただろうな。貴様らはその者を裏切ったのだろう? なぁ「勇者」カイン。恋人であった女から「王女」に乗り換えた下劣な男よ』



 わめきたてるその輩を無視してアザレアは牢屋を後にした。

 自死されては計画が台無しだから捕縛した全員に自死せぬよう術をかけているし、術を使えぬようにも施しているし、力も奪った。

 元々大した力のない連中だが、念には念を入れた。


 ストレリチアは前を向くべき乙女だ。

 だからこそ、自分の手で決断してほしい。

 自分の意思で裏切り者達と決別する言葉を吐き出して欲しい。

 それが、どんな形であろうとも、彼女は決して裏切り者達とそれを庇護する愚者以外には何もしないだろう。

 歪もうと、憎しみに染まろうと、狂気に陥ろうと、あの善性は無関係の者や、己の味方には決して向かうことはないだろう。


 だからこそ、彼女の決断が欲しかった。

 前を向く為の決断が。



 夜、アザレアはストレリチアの部屋を訪れた。

 眠っているかと思ったが、起きていた。

 ベッドの上で体を起こし、項垂れているのが暗闇でも良く見えた。

「ストレリチア」

 名前を呼べばびくりと体を震わせて、こちらを向く。

 アザレアは明かりを取り出し、それをもってベッドに近寄り、椅子に腰を掛けて、明かりを空中に浮かせる。

「……其方は……余が……いや、私が憎いか?」

 ストレリチアは首を振った。

「……私が居なければ、お前の愛した男は勇者になることもなく、お前と村で式を挙げ、生涯を共にしたのかもしれないのだぞ?」

 アザレアの言葉に、ストレリチアは首を振った。

「何故?」

「……彼は私との約束を忘れていました、彼は王様になれるという事に目がくらんでいました。そんな彼と結婚したとしてもきっと彼はいつか私を裏切っていたでしょう……」

 掠れた声だった。

 そうなる程に、ストレリチアは泣いていたのだろう、この部屋でずっと。

「――そう、私の母のように」

「……どういう事だ?」

 アザレアは知らぬふりでストレリチアに問いかけた。

「……私の兄は覚えてないと思っていますが、私は覚えて……いえ、思い出したのです。小さい頃父が亡くなった直後、私と兄を捨てていった母の事を。私と兄を捨てて、貴族の所に行った母の事を……」

 ストレリチアは自分の母親の事を知っていたのだ。

 おそらく、ずっと記憶に蓋をしていたのだろう、だがその蓋が開いたのだ。

「……彼の母も同じように愛した人を身分の高い女に奪われたと聞いた時、頭の中で何か違和感があったんです……そして今日、漸く思い出したんです。ああ、私は母にも捨てられていたんだと」

 項垂れながらぽつりぽつりと口にするストレリチアの顔がはっきりと見えた。

 憂いを帯び、目元を赤く染め、宝石よりも美しい青い目を涙で滲ませていた。

「……私は捨てられる運命なんでしょうね……ずっとこれからも……」

 諦めきった声が痛々しかった。

「……其方は、どうしたい?」

「……彼に愛されたいとはもう思いません、未練がないとはいいませんが……彼を許せない、王女も、仲間だった皆も許せない、許せないのに、どうすればいいのか、分からないんです……!!」

 顔を覆い、嗚咽を漏らすストレリチアを、アザレアは抱きしめた。


「――ならば、私が愛そう、ストレリチア。其方の事を私は愛している、其方が分からないのであれば、共に悩もう。だから――」


「どうか、私の妻になってくれ」


 アザレアは、予定も、計画も全て投げ捨てて感情のままに、己の本心をストレリチアに告げた――






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