第8話 蘇るトラウマー2

「おーいテア、いい加減起きろよ。今日はどうしたんだ?」


 元々テアが朝に弱いとは言え、今日はいつも以上に寝坊していることに未来が心配し始める。


 普段なら声を掛ければうめき声に近い返事が返ってくるのに今日はそれすらも無いからだ。


 体調が悪いのか、それとも月のものでも来たのかと思った未来が、様子を見る為にテアの部屋に入ろうとすると鍵が掛かっていた。


 鍵など今まで一度も掛けたことが無いので未来は鍵があることすら知らなかったのだが、流石に異常事態だと思い、ドアを壊すような勢いでノックしながら声を掛ける。


「テア! 大丈夫か? 何かあったのか? 開けてくれ!」


 未来の必死の呼びかけにも関わらず、テアからは何の返事も無い。


 未来を嫌な予感が襲う。


 まさかとは思うが、未来の脳裏に血まみれで自分の上に横たわるテアの姿がフラッシュバックする。


「テア、悪い! 修理代は試合で勝って稼ぐから勘弁してくれ!」


 鍵のかかった扉を未来が思い切り蹴ると、彼女のパワーの前では一般家庭の部屋の鍵など何の意味もなさずに扉が開いた。


 部屋に入った未来がテアのベッドを見ると、テアはベッドの上で布団で全身を包んで饅頭のようになって震えていた。


「どうたんだテア! 腹でも痛いのか? 昨日当たるようなもんは食べさせてないと思うんだけどな」


 饅頭を心配そうに揺すってみるがテアからの反応は返って来ず、耳にを澄ますとかすかにだが泣き声が聞こえて来た。


 その瞬間未来は全てを察した。


 理由は分からないが、テアのトラウマが再発したのだ。


 何故再発したかはともかくとして、布団に包まるだけで初めて出会った時のように馬鹿なことをしていなくて良かったと未来は思った。


 下手をすればベッドの上で血まみれになって冷たくなったテアを見つけていたかもしれないと、考えただけで未来は嫌な汗をかいた気がした。


「テア、話せそうなら何でそうなったか話してくれよ。別にそのままで俺の顔を見なくてもいいからさ」


 ベッドに腰掛けて未来は優しく布団の上からテアを撫でながら、テアが自ら話し出すまでずっと寄り添うことにした。


 1時間、2時間と時間が過ぎていき、一度1人にしてあげるべきなのかと未来が思い始めてベッドから離れようとした瞬間、テアがようやく口を開いた。


「……私、最近試合が楽しいと思うようになったんです。それで昨夜もっと強くなりたいって思ったら、あの人のことを思い出したんです。このまま試合を続けてもっと勝とうと、強くなろうとすればあの人みたいに狂うんじゃないかって考えちゃったらこ、怖くて」


 一晩中泣いていたのか、掠れてしまっているうえにか細い声で話してくれたテアに未来は何と言っていいのか分からなくなってしまう。


 トラウマのことは分かっているつもりだったが、まさかここまで根深い物とは未来は思っていなかったのだ。


 だが、とにかく今のテアを支えて助けてやることが出来るのは自分しかいないと未来は自分を叱咤し、まずはテアを落ち着かせる方法を考える。


 半ばパニック状態の今のテアに何を言っても効果がないと思ったからだ。


 しかし精神科医でもない未来はどうすればテアを落ち着かせることが出来るのか分からずに考えあぐねていると、今一番来てほしくない人物が相変わらずにノックもせずに家に入ってきた。


「ちょっと貴女たち何してるの! もうすぐ試合の時間よ!」


 怒鳴りこむように入ってきたジェシカに驚いたのか、テアは大きく体を震わせた。


 不味いと思った未来は慌ててジェシカの元に駆け寄ると口を塞ぐ。


 急に口を塞がれたせいで舌を嚙みかけたジェシカを未来はそのまま家の外へと連れ出す。


「ちょっと何するのよ! 私、貴女たちがコロシアムに来ないから様子を見に来ただけなのにこの扱いは酷いわよ」


 怒るジェシカに未来は口を塞いだ時についた口紅をメイド服のスカートの裾で拭いながら事情を説明する。


「あの子まだそんなもの抱えてたの。不味いわね」


「あの様子じゃあ今日の試合はとてもじゃ無いが無理だぞ。棄権できないのか?」


 本来はこんな試合開始ギリギリにではなくもっと早くに運営に伝えるべきなのだが、試合自体は剣闘士の体調不良や剣闘人形の調子が悪いなどの理由で棄権することは可能だ。


 ただし、ランキングがいくつか下がるというペナルティはあるのだが。


「出来ることは出来るけど、折角後少しで上のブロックに行けるんだからあんまり私としてはして欲しくないわね。それに備えて商品大量発注しちゃったし」


 テアの心配ではなく自分の商売の心配をするジェシカに怒りを覚えつつも、未来はジェシカに頭を下げて棄権の申請をするように頼む。


「今回だけは許してあげるけど、次の試合が決まるまでにはあの子のこと何とかしておきなさなさい。今は貴女が保護者みたいなものなんだから」


「分かってるよ。俺だって元々そうするつもりだったからな」


 仕方がない、という風に肩を落としながら帰っていくジェシカを拳を固めて見送った未来は、家の中へと戻ってもう一度テアと対峙する覚悟を決める。


 未来が蹴破ったせいで閉まらなくなってしまい、半開きになっているドアを叩くと少し落ち着いたテアが答える。


「とりあえず試合は休めるようにジェシカに頼んどいたから今日はゆっくりしようぜ」


「す、すみま、せん」


 自分のせいで人に迷惑をかけたことが辛いのか、また泣き始めてしまったテアを未来が布団ごと抱きしめる。


「大丈夫だって。人間誰でも調子の悪い日はあるんだから気にするな。俺たちが初めて試合に出た日なんか人形が調子悪くなっててその代わりに試合に出たじゃないか」


 冗談めかして明るく未来は言うが、それでもテアは泣き止まない。


 どうにかしてテアのトラウマを取り除くことは出来ないか、取り除けなくてもせめて共存する方法はないかと悩んだ未来は根本的なトラウマの原因について考えてみることにした。


 そもそもテアが剣闘人形や剣闘試合、そして何より父親にトラウマを持ってしまったのは母親との死別が原因だ。


 更にそこに剣闘試合に取り憑かれた父親がだんだんと狂いっていく様を見てしまったことが追い討ちとなっている。


 そして今のテアはトラウマが再発したと言っても、剣闘試合や剣闘人形へのトラウマというよりは父親が狂ったことへのトラウマのせいで、自分も狂ってしまうのでは、という恐怖に取り憑かれているせいなのでは、と未来は思った。


 ならば、テアに父親のように自分はならないと思わせれば良いのでは、思った途端、良い考えを閃いた未来はリビングの隅に置いてあった衣装用の布の余を取りに走る。


 自分を抱きしめていてくれた未来がどこかに行ってしまったのを感じたテアは、遂に未来にも見捨てられてしまったと思い、枯れて殆ど出なくなっていた筈の涙が再び大粒になって溢れ出した。


 普段試合で自分とは違い、傷つきくこともあるし、下手をすれば2度目の死を迎えるかもしれない恐怖と不安を持ちながらも未来は自分の為に戦ってくれているというのに、自分はただ父のようになりたくない、それだけで怖くて怖くて仕方がなくなって動けなくなってしまった。


 こんな有様では見捨てられても当然だとテアは思ってしまった。


 初めて出来た親友に見捨てられたと思い込んだテアは絶望し始め、現実を拒否するように未来との大切な思い出を振り返り、その楽しい記憶に浸り始める。


 辛い自分を支えてくれ、共に笑った記憶は母親との記憶と同じくらい鮮明に覚えていた。


 だが、思い出の中の未来の顔には何故だか靄がかかってハッキリと見えない。


 いや、理由はテアには簡単に分かった。


 狂った父が作った未来の母そっくりな顔を、自分の心が拒絶してるからだ。


 それが分かるとテアは大好きな親友の顔を見ることを拒否している自分が情けなくなった。


 そしてテアは気づく。


 自分が未来のことを恩人以上に、親友以上に思っていたことに。


「テア、話があるから布団から出てきてくれないか……」


 自分を見捨てて出ていったと思っていた未来が戻ってきたことに驚きつつも、テアは少し嬉しくなる。


 まだ未来に完全には見捨てられていなかったと思ったからだ。


 だからテアはずっと持っていた布団の端を離すと、自ら布団を出る。


 ここで拒否してしまえば本当に未来が自分の元からいなくなってしまう気がしたからだ。


「ようやく出てきてくれたか。取り敢えずこれなら話せるか?」


 布団から出たテアの目に入ったのは、頭に金色の袋のようなものを被った未来だった。

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