第2話 残された剣闘人形と少女-2

 家の中に流れる気まずい空気に皆が耐えかね始めた頃、1階があらかた片付いたからと2階部分を丸々使ったマリオンの工房に上がった部下の一人が、困った顔をして1階に降りてきた。


「会長、少し来ていただいていいですか?ちょっと俺には手に余るもんで」


「何?私だって人形は専門外だから道具の価値とかは分からないわよ」


 いつもなら文句一つ言わない部下が珍しく狼狽しているのを見て、愚痴を溢しながらもジェシカは部下と共に2階に上がっていった。


 テアはその様子を見て父の工房に何か価値のある物が見つかったのかと期待した。


 それこそ、そもそもの借金の原因である人形は、国内では知らない者がいないと言っても過言ではない程の人形師であった父の遺作なのだからそれなりの値が付く筈、もしかしたら借金の大部分を賄えるだけの価値が着く可能性も十分ある。


 きっとそのことでジェシカたちは工房に行ったのだとテアは思い込もうとする。


 そうしなければこれからのことへの不安と大好きだった母の形見を持っていかれた悲しみで胸が押しつぶされそうになるからだ。


 期待と不安が心の中で綯い交ぜなったテアが作業の邪魔にならぬようにと部屋の隅で俯きながら立っていると、2階からジェシカが自分を呼ぶ声が聞こえて来た。


 正直、2階の工房に上がるのはテアにとって気の進むことではなかった。


 このまま聞こえていない振りをして無視してしまおうかとも思ったが、次第に大きくなりながら何度も自分の名を呼ぶジェシカに根負けし、数年ぶりにテアは父の工房へと足を踏み入れる覚悟を決めた。


 階段を1段踏み締める毎に過去のトラウマ、母との別れがフラッシュバックして心臓は早鐘を打ち、ほとんど空の胃からは苦い液が上がってくる。


 それでもなんとか階段を上りきったテアが見た工房は、多少は荒れてはいるが昔まだ父と仲睦まじい親子と言えた頃とほとんど変わっていなかった。


 作業台に鎖でがんじがらめにされている人形を除いては。


「貴女、お父様から聞いたけど確か魔法と人形作りをを学んでいたのよね。これ外せないかしら」


 作業台の前で困った顔をするジェシカが指差す方を見ると、人形を縛る鎖の端通しを繋ぐ大きな南京錠があった。


 上がり口からではよく見えないので、近づこうとしたテアの目に人形の顔が映った瞬間、ショックのあまり彼女は膝から崩れ落ちた。


 父が心血を、いや、命をもつぎ込んで作っていた人形の顔が、死んだ母にそっくりだったからだ。


「ちょっと貴女、大丈夫? 立てる?」


「だ、大丈夫です。少し立ち眩みがしただけです」


 荒くれ者のような外見に似つかわしくない紳士的な所作のジェシカの部下に支えられて立ち上がったテアは自分の見間違いだと思ってもう一度人形の顔を見るが、やはりその顔は母によく似ていた。


 似ていると言ってもテアがよく知る母よりもかなり若い印象があり、正確にはテアの母の若い頃に似ている、といった方が正しいかもしれない。


 訳がわからずに頭の中がパニックになったテアはとにかく他の事に意識を反らすことで落ち着こうと、呼ばれた本題である南京錠を調べることにした。


 調べるとジェシカが魔法の知識がある自分を呼んだ理由が一目で分かった。


 見た目は大きいだけの南京錠なのだが、一つだけ普通の南京錠と違うところがあったからだ。


「鍵穴が無い......これ魔法鍵マジックキーですね」


 魔法鍵マジックキーとは名前の通り魔法で施錠する鍵のことで、解錠の条件を設定して施錠するので鍵を必要としない造りになっている。


 例えば魔法をかけた本人が特定の言葉を言うことでしか空かない、という風にだ。


 その特殊性故に、ピッキングなどの物理的手段で開けることが不可能であり、普通の鍵を用いるよりも安全性が高いとされていて重要な物を入れた金庫などの鍵を魔法鍵にすることは珍しいことではない。


 ただ完璧と言える安全性が仇となり、今回のように解錠方法を知る人間に何かあった場合、一生開けることが出来なくなるという問題が度々起こっている。


 金庫室の扉を壊して中身を取り出した、中身を取り出すために金庫を無理矢理壊したら中身が駄目になった、等というニュースが新聞に載ることが少なくない程に。


「この鍵の開け方聞いてないの? もしくはこう、魔法で何とかならないの?」


「すみません……父とはこの数年まともに話したことがなくて聞いてません。魔法を使って開けようにも専門の魔法師じゃないと無理です」


 テアの答えを聞いたジェシカの多少化粧が濃い困り顔が余計に深まる。


「どうしたものかしらねえ。専門の魔法師は高くつくし」


 ぷっくりと厚い赤いルージュを引いた唇に指を当てて悩むジェシカに、作業台を下から覗き込んでいた部下が朗報をもたらす。


「会長、別に鎖を外さなくても作業台をバラして鎖と人形の間に隙間を作ればいけるんじゃないですか?」


「あら、貴方賢いじゃない。直ぐに何とか出来そう?」


 一度戻って商会に道具を取りに行かなければならない上に時間が掛かると言う部下に、また少し悩んだジェシカは結局今日のところは人形のことは諦めることにした。


「今日は予定が立て込んでいるし、工房と人形の方はまた明日改めて差し押さえにくるわ。貴女もその時に仕事先に連れて行くからどういう仕事がいいか考えておいてね」


 一階の全ての家財道具を荷車に積み終えたのを確認したジェシカは、帰り際にそう言い残して帰っていった。


 ジェシカたちが帰った後、テアは誰も住んでいない家のようにがらんどうになった家の中でただただ立ち尽くすことしか出来なかった。

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