第2話 残された剣闘人形と少女-3

 深夜、イナゴの大軍に襲われた畑のように何もかも無くなった部屋の隅で膝を抱えて少女は泣いていた。


 家具も服もお金も、母の形見すらも持っていかれてしまい、おまけに明日からは男性相手の仕事に就かされる。


 最早抗いようの無い現実に彼女の心は完全に絶望の淵に落ちていたからだ。


 そしてもう一つ彼女の心に影を落としていることがあった。


 父が狂い、全てを掛けて作っていた人形の顔が母に似ていたことだ。


 テアの母は3年前に元々あまり体が強くなかったのが災いし、流行り病を拗らせて亡くなった。


 病院で苦しそうに息をして、朦朧としながら父の名前を呼ぶ母に付き添っていたテアはこのまま死んでしまうのではという不安に押しつぶされそうになった。


 当時まだ12歳だったテアは不安に耐え切れなくなり、父を連れてくれば母も元気が出て病気も治るのでは無いかと自分に言い訳をして病院を飛び出した。


 目指したのは剣闘試合に出る為に父がいるコロシアム。


「パパ!ママが!ママが!」


 顔見知りのコロシアムの職員に事情を話して中に入れてもらったテアは、試合に出る直前、入場口で待機していた父を見つけて抱き着いた。


「落ち着きなさいテア。ママは病院でお医者さんが診てくれているから大丈夫だよ」


 病院にいる妻に付き添っている筈の娘が突然現れたことに驚きながらも、マリオンはパニックなりながら泣き喚く娘を抱き返す。


「でもママ、苦しそうにしながらずっとパパの名前呼んでるの! だから病院に戻ってママに会ってあげてよ!」


 小さな娘の涙ながらの訴えに普通の父親なら耳を傾け、剣闘試合など放り出して直ぐに病院に駆けつけるのだろう。


 しかしマリオンは違った。


 今思えばこの頃から少し狂い始めていたのかもしれない。


「すまないテア。この試合に勝てば私はこのコロシアムのチャンピオンになれるんだ。お前も、ママもずっとそれを望んでいてくれていただろう」


 娘が痛がるほどに肩を強く握ってそう言い残したマリオンは、相棒である自ら作った剣闘人形と共に歓声が木霊する試合会場へと消えた。


 その後マリオンは見事試合に勝ち、人形師と剣闘士、その両方で最高峰の名声を手に入れた。


 だが、代わりに妻を失った。


 彼は妻の死に目に立ち会うことすら出来ず、コロシアムでマリオンの試合が終わるのを待っていたテアもまた、母にさよならを言うことが出来なかった。


 それからだった、マリオンとテアに溝が出来始めたのは。


 幼かったテアは、母の死に目に会えなかったことを、いや、母が死んだことすらも父のせいだと思ってしまい、何度も何度も父を責めた。


 マリオン自身も自分を責め、剣闘士を引退して人形師を続けながら心が傷ついた娘に寄り添い癒そうとした。


 しかし、人形師としての評価だけではマリオンは満足できなかった。


 剣闘士としての血沸き肉躍る戦いと観客からの溢れんばかりの歓声。


 その記憶が、剣闘士としての未練を捨て切れなかったマリオンが内に秘めていた狂気を少しずつ育て、大きくしていった。


 そして妻の一周忌の日、妻の墓前の前で泣く娘の姿に、彼の狂気は育ち切り爆発する。


 狂気に蝕まれた彼は娘を母親に合わせ、もう一度剣闘士として喝采を浴びる方法を閃き、実行に移したのだ。


 過去に腕試しに作った自動人形や試作品の剣闘人形用の武器、それら全てを売り払って金に換えた彼は、工房に引き籠ると自分のこれまでの技術を全て注ぎ込み人形を作りつつ、魔法の研究に没頭した。


 最初は責めていたとはいえ心の底ではマリオンを慕っていたテアはその豹変ぶりに困惑した。


 しかしそんな状態が1年、2年と続くうちにマリオンを慕う心は完全に消え去り、自分から口を利くことすら無くなってしまった。


 マリオンの方も生活に必要な最低限のことしか言わなくなり、テアの母が生きていた頃の笑いが絶えない家はどこにも無くなってしまった。


 だが、ここ最近は違った。


「もう少しで私の技術の全てを注ぎ込んだ最高傑作が出来そうなんだ。完成すればこの国の、いや、世界の自動人形の歴史に最高の人形師として名を残せるだろう。お前も共に名を残さないか」


 毎日のように父にそう言われたテアだったが、彼女は断り続けた。


 母のことがあってもう自動人形とは関わりたくないというのもあったが、それ以上に寝食を忘れて人形の製作と魔法の研究にのめり込んだ父の血走った目と、痩けた頬に浮かぶ狂気に満ちた表情が恐ろしかったからだ。


 まだ人形師と剣闘士、そして父親、幼い頃のその全てを完璧にこなすまだまともだった父にテアは憧れて人形師と剣闘士を目指していた時もあった。


 マリオンもそれが余程嬉しかったのか、嬉々として毎日人形制作に必要な技術や魔法をテアに教え込んでいた。


 しかし自分も父を手伝い、人形師としての道を歩んだ時、その行きつく先が父と同じだと思うと嫌気がさしたテアはとっくにその夢を捨てていた。


 様々な思いや記憶が入り混じりながらもテアは見たくも無い自動人形の顔をずっと見つめていた。


「……パパが何をしたかったのかは分からない。でも私はパパのせいでもう人生無茶苦茶なの! だから! パパが全てを掛けた物も無茶苦茶にしてやる!」


 作業台の隣の道具を置くための台の上に置かれたナイフを手に取ったテアは、自動人形の上に馬乗りになる。


 そこで昼間は気づかなかったが、人形の首にチェーンを通した指輪がかけられているのに気づく。


「船に乗るのに使えるかな」


 この国で広く信仰されている宗教では、あの世に行くには広い川を渡る船に乗る必要があるとされており、遺体を埋葬する際にその船賃として棺にお金や宝飾品を入れる風習がある。


 4つの宝石が嵌め込まれた指輪を薬指にはめたテアは一粒の涙を流しながら自らの首にナイフを当て、搔っ切った。


「マ……マ……今……行くよ……」


 自動人形の上に倒れこんだテアの血で自動人形が血まみれになった。


 こうして一人の少女の命の輝きが消え去ろうとしていく中、少女の命を吸い取るように自動人形に施されていた魔法が起動し、鮮血で染まったボディが光に包まれていった。

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