第7話 修理と特訓‐2

 この世界で人形になった日以来、初めて未来はマリオンの工房へと足を踏み入れる為にドアを開く。


 工房の中は1ヶ月以上窓どころか扉も開けられていなかったせいで、埃とテアの自殺騒ぎの際の血の匂いが充満しており、鼻が飾りでしかない未来には問題ないのだが一緒にドアの前にいた生身の人間であるテアと未来は露骨に顔を歪める。


 気を利かせた未来はドアの近くでたじろいでいる二人の為に工房の中へと窓を開けに行く。


 窓を開けるとちょうどいい風が工房の中に入り少し埃と血の匂いがマシになったらしく、テアとジェシカも未来の後に続いて入ってくる。


「貴女1階はいつも綺麗に掃除してるのに何でここはこの有様なのよ」


 埃と血の匂いが未だに気になるのか、マスク代わりにハンカチを顔に当てているせいでくぐもった声で文句を言ってくるジェシカに未来は少しムッとする。


「仕方ないだろ。俺だって掃除しなきゃとは思ってたけど一応は故人の部屋なんだから家族でもない赤の他人が勝手に色々する訳にもいかないだろうが」


 今でこそ昨日のパジャマパーティーでテアの父親に対するトラウマについて聞いたからいいものの、それ以前はテアが借金のことはともかくとしても彼女が父親に対して深い闇を抱いていることを何となく察していた未来は、出来るだけテアに父親に関する話題を振らないようにしていた。


 だから掃除の為に工房に入る許可を貰うなどもっての外だったのだ。


「でもせめて血くらいは拭いとくべきだったな。ちょっとバケツと雑巾取ってくる」


 黒く変色して作業台と床にこびり付いた血を拭くため、掃除道具を取りに行こうとする未来をテアが止める。


「待って下さいミライさん! 手のひらの穴から水が入ったら内部パーツが痛む原因になるんですかダメですよ。掃除なら後で私がやりますから」


 未来はテアが自分を心配してくれたことと、怒ってくれるほど距離が縮まったことに感動してテアを抱きしめる。


 何故抱きしめられたか分からないが、すっかり未来にハグされることに慣れたテアはとりあえず自分も抱き返す。


「貴女たち、イチャついてないでさっさとやることやりなさいよ。私、この後仕事入ってるんだから急いでるのよ」


 至福の時間を邪魔されたことに苛立ちながらも、テアを離した未来はジェシカと同じように工房内にある棚や引き出しを開けて自分の予備パーツを探し始める。


 テアも同じく探していると、図面を引く為の製図台や細かい部品用の工作道具が置かれた机の上に一冊の本が放置されてあるのに気付く。


 積もった埃を払ってみると、本の表紙にはレーネと一言かかれているだけだったが、テアにはその本が未来の体に関するものだと一目で分かった。


 何故ならレーネとはテアの母、つまりは未来の体のモデルとなった人物の名前だからだ。


本を開いてみると、内容はテアが思っていた通りのもので、未来の体についての製作日誌と呼ぶべき内容だった。


 最初の方は文章や図面が丁寧に書かれているが、ページをめくっていく度に少しずつ、少しずつ筆跡が乱れていく。


 まるでマリオンが狂っていく様を見ているようでテアは思わず本を閉じる。


 少しはマシになったとはいえテアのトラウマを刺激するには十分すぎる内容だったせいでテアの心臓は口から飛び出すかと思う程に暴れまわり、立っているのも辛くなる。


「テア! ゆっくり息しろ。大丈夫、大丈夫だからな」


 テアの異変に気付いた未来は慌てて気分が悪そうなテアを抱きしめると落ち着かせるように頭を撫でながら深呼吸させる。


「もう、大丈夫です。ありがとうございますミライさん」


 しばらく抱きしめられていたテアは気分が落ち着いたらしく未来から離れる。


「それならいいけどよ。何があったんだ」


 事情を説明された未来もマリオンが残した本をパラパラと流し読みして見るが、後半は殴り書きのようになっていてとても読めるものでは無く、ホラー映画の小道具にでも出来そうな不気味さがあった。


 そもそも読めなかったとしても真面に読める最初の方のページですら専門用語が多すぎて内容を理解できなかった未来にはあまり支障はないのだが。


「ちょっと貴女たち、こっちに来てみなさいよ。お目当てのもがあったわよ」


 本に夢中になって工房に入った本題を忘れかけていた二人はジェシカに呼ばれて自分たちが未来の体の予備パーツを探しにきたこと思い出した。


 ジェシカに手招きされて近づくと、部屋の片隅の大きな箪笥の引き出しの中から大量の予備パーツが出てきた。


 それも引き出しごとに部位が分けられていたので必要なものを直ぐに探すことが出来るようになっていた。


 どうやらマリオンは狂っていながらもこういうところはキチンとしていたらしい。


「これだけ売ってもそれなりの金額になりそうね」


 腕のパーツを手に取って興味深げに眺めながらぽつりと呟いたジェシカを未来とテアが揃って睨む。


 視線に気づいたジェシカは自分の手の代わりに腕のパーツを振って慌てて誤魔化すようにいい訳を始める。


「冗談よ冗談。そもそも予備のパーツなんて本体とセットでないと意味が無いんだし売れるわけないじゃない」


 わざとらしい笑い声を上げながらジェシカは腕を元あった場所に戻した。


 実は以前、ジェシカは特殊な性癖の政治家に債権者から差し押さえた自動人形オートドールの予備パーツを秘密裏に売ったことがあり、半ば冗談で言ったわけでは無いのだが、そんな目先の利益よりも二人に剣闘試合で活躍してもらう方が利益なると瞬時に計算したジェシカは予備パーツもなるべくあった方が良いだろうと考え直し、冗談ということで誤魔化したのだった。


「それでテア、ミライの体は貴女に直せそうなの?」


 咳ばらいをして脱線した会話を仕切り直したジェシカに問われたテアは、パーツの構造をじっくりと見ながら頷く。


「製図台に図面も残ってましたし、それを見ながらやれば何日かは掛かりますけどなんとかなりそうです」


「良かった。じゃあ私は仕事に行くから早く作業を始めなさい。運営への休場申請はこっちでやっといてあげるから」


 多数いる剣闘士の状態を常に把握できている訳ではないコロシアムの運営は、誤って試合を組まないようにする為、剣闘人形の修理や調整で数日出場が出来ない場合は届け出を出すことを義務付けている。


 ジェシカは、正確にはその部下は、だが、この世界に慣れきっていない未来とまだ子供と言ってもいい年のテアの代わりにいつもそういった運営に対する事務手続きの類は代行していた。


「あ、ちょっと待って下さい。実はお願いがあるんです」


 工房を出ていこうとするジェシカを呼び止めたテアがなにやらジェシカに耳打ちする。


「分かったわ。誰かいないか探しておいてあげる」


 少しいい意外そうな顔をしながらもテアの頼みを了承したジェシカは、今度こそ工房を出ていった。


「ジェシカに何頼んだんだ?」


「ミライさんにも関係ある事ですけど内緒です」


 いたずらっぽい笑顔で話をはぐらかすテアの可愛さに未来の疑問は吹き飛んでしまう。


「それじゃ早速手から直してくれよ。いつまでも家事が出来ないのは困るしさ」


 そう言いながら手のひらをひらひらさせながら未来がテアを見ると、テアは苦笑いしながら乾いた血まみれの作業台を指さす。


「まずはあれをどうにかしないと……」


 結局この日は未来の修理は棚上げして2人は工房中の大掃除をする羽目になったのだった。

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