第4話放逐

 牢に閉じ込められているアルフへは、二日に一度、食べ物が与えられた。

固い平パンが一つと、濁った水入りの小さな革袋が、扉の下に開いた隙間から押し込まれて来た。


 空になった革袋は、隙間から押し戻しておけば、また、次の時に、水入りで戻って来た。


 このまま何も口にすることができずに、死ぬのかと思っていたアルフは、どうやら、存在を忘れられてはいないようだと理解した。


 しかし、食べ物とは言っても、大人が体を維持できるほどではない。無いよりはましだが、徐々に体力は削られて行った。


やがては、何かを考える気力さえなくなって、暗い牢の中に転がっていた。


 ピシャッ、ピシャッと、相変わらず水が垂れていたが、どうせ飲むことができないのだからと、気にしなくなっていた。


むしろ、規則正しく落ちる音を数えて、退屈しのぎにしたり、眠れない夜の子守歌として利用していたとも言える。


 そんな日々が、どれほど続いているのか、わからなくなっていたある日、珍しいことにガチャガチャと鍵を開ける音がした。


 アルフが身を起こして見ていると、ゆっくりと重い石の扉が開いた。


そこには、数人の兵を従えた、あの上官の男が立っていて、さげすんだような目で彼を見下ろしていた。唇の端には、微かに笑みが浮かんでいる。


「牢の居心地はどうだね」

男は、いかにも退屈そうに欠伸あくびをした。


 アルフが何も言わずに見上げていると、男は、肩をすくめて続けた。

「領主様がお前の処遇を決めた。お前は、これから牢を出ていい。好きなところへ行け」


 アルフは意外なことを聞いて、目を見開いた。このまま放免など、あり得るだろうか。

「ただし」


男は意地の悪い笑みを浮かべて続けた。

「お前が出てから半刻の後、兵士二百人がお前を追う。捕まれば殺す」


 言われたことが理解できずに、呆けたように見上げていると、男は後に立つ兵に合図した。

兵はアルフに近づき、座っている彼の左足を引っ張ると、はめられていた鉄の環を外した。


 ガシャリと音がして、環が地面に転がると、もはや彼の体の一部となっていた、足の重みが消えた。


アルフは、体のバランスを整えながらゆっくり立ち上がり、確かめるように足を動かした。


「領主様は、おまえに最後のチャンスを与えようと言うのだ。お優しいことだ。フォルム領の境界から外へ出れば、それ以上は追わぬ。ただし罪は消えぬ。どこに居ようと、見つけ次第殺す。せいぜい頑張るんだな」

 それだけ言うと、男はきびすを返した。


「兵士たちには、良い訓練になるだろう」

男は、あごをしゃくって、従ってきた兵を促すと、牢を出て行った。



 一人残されたアルフの、目の前の扉は、大きく開いていた。彼が恐る恐る外へ歩み出てみると、夜、だった。


 木立に囲まれた空地に灯りはなく、ザワザワと木の枝が風に揺すられる音が響いていた。


どこか遠くで、ふくろうだろうか、ホウ ホウと鳴き声がして、それに応じるように、別の場所からもホウ ホウと聞こえてきた。


 首を回して、あたりを見回してみると、牢の入り口から少し歩いたところに、木立が切れている部分があって、小動物なら通れそうな細い道が続いていた。


 ここを降りていこうか、アルフは考えたが、少し迷って、反対側の、道のない山肌を降りていくことにした。


 おそらく、兵たちは、どこに道があるかなど把握済みだろう。少しでも、見つかる可能性を減らしたかった。


 空には、下弦の月。アルフは月を見上げて、息を吐いた。


ミリアの面影が浮かんできだが、今は考えている時ではない。生き延びられれば、いつか、無事な彼女の姿を垣間見かいまみる機会もあるだろう。

アルフは、ひとまず、月のある方角へ向かって山を下りていくことにした。


 アルフが捕らわれていた山は、さほど高くはないようだった。何度も足を滑らせたり、つまずいて転がり落ちたりしたため、意外に早く降りられたのかもしれない。


 何も履いていない足も、腰に獣皮一枚を巻いただけの体も、土まみれ、引っ掻き傷だらけで、ひどいありさまだったが、なんとか平らな地面のある場所へ降りてくることができた。


 牢を出てから、半刻以上は過ぎているはずだ。領主の兵たちは、すでに動いているだろう。朝が来る前に、できるだけ遠くへ行かなくてはならない。


 しかし、牢に閉じ込められている間に、だいぶ体力が無くなっていた。農作業で鍛えていた体からは肉が落ち、走っていると、すぐに息が上がって苦しくなった。


 アルフは、足をもつれさせながら、なるべく人里から離れるように、高い木や、丈高い草地が続く荒れた土地を選んで進んで行った。

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