第2話岩牢のアルフ

 ピシャッ、ピシャッ ピシャッ…… 永遠に続くかのように、天井の隙間から水が垂れて、岩山をくり抜いて作られた牢の床に落ちていた。


床一帯は冷たい石で、水が落ちたあたりだけが、濡れて黒光りしていた。


 うう、と、小さなうめき声を上げて、アルフは顔を上げた。

自分がどこにいるのか理解できないらしく、ぼんやりとあたりを見回している。


 やがて、霞んでいた目が慣れてきて、彼は視線の先に水が垂れているのを認めた。

急いで身を起こそうとして、顔をゆがめた。体のどこもここもが、痛かったのだ。


 鞭打たれた背中が、燃える火を押しつけられているかのように、痛んだ。

殴られて腫れているのだろう、目の前が半分ほども塞がれていて、見えにくくもあった。


 一呼吸して、彼は、今度はゆっくりと身を起こした。

痛みをやり過ごしながら、足をひきずるようにして、一歩、二歩、三歩、バランスをとりながら歩き、手を伸ばして、落ちる水を受けようとした。


 しかし、あと数センチのところで手が届かない。柱にくくられている鎖が伸びきって、先へは進めなかった。


 彼は肩を落として、その場に座り込んだ。口の中は乾ききっていて、唾液さえも出てこない。

「ミリア…‥」

声になりきれないかすれた声で、恋人の名をつぶやいた。



 ミリアが領主の差し向けた馬車に乗せられて、行ってしまった後、彼は、兵士が乗る馬の後に繋がれて、延々と歩かされて来た。


 領主の兵を一人、手に掛けてしまったのだ、ただではすまないだろうとは覚悟していた。でも、ミリアの苦しみに比べればなんと言うこともない。彼はそう考えていた。


 どこをどう歩いたのかはわからない。

並足で歩く馬に引きずられるようにして、なんとか足を動かし、ただひたすら、倒れないようにとだけ考えて歩いた。


 きつい坂を上ったところに、木立に囲まれた空き地があり、中央に立っていた太い柱の前に、乱暴に押し倒された。


「この男か。顔を上げさせろ」

頭上から声が降ってきた。


 横にいた兵士が彼の髪を掴み、強引に引き上げた。

体が浮き上がり、膝立ちになったアルフは、痛みに耐えながら、前に立っている男をにらみつけた。


 彼を連れてきた兵士たちの上官なのであろう、金の縁取りの肩章を付けた背の高い男で、腰には反り返った長いサーベルを下げていた。


「ほお、まだ気力が残っているようだな」

男は、無造作にアルフのあごをつかんで顔を持ち上げると、もう一方の手で、彼の頬を叩いた。


 アルフは衝撃に頭をかしがせるが、すぐに反対側から、二発目、三発目の痛みが襲いかかる。さらには、ぐいぐい頭を押さえられて、硬い地面に顔が押しつけられた。


「うう……」

ずっと声を上げまいと堪えていたアルフだったが、砂粒が目に入った痛みに、ついに声をもらしてしまっていた。


 彼を押さえている男は、薄らと嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべた。

「そろそろ限界が来るか? まだまだか?」


男が手を離したので、アルフは地面に転がり、動けなくなった。


「領主様の裁断が下るまで、こいつをぶち込んでおけ」

男は後に控えていた兵達に向き直って、命じた。


「そうだな、しぶとそうなヤツだ、もう少し、気持ちを折っておけ」

そう言い捨てると、もはやアルフのことは忘れたかのように、馬車の方へ歩いて行った。



 ピシャッ、ピシャッ ピシャッ、と、彼の目の前で、容赦なく水が落ちている。

あれから何度か、手を伸ばして、指先にだけでも、水がかからないものかと試していたのだが、どうやってもギリギリのところで届かない。


 もはや体力も限界だった。あきらめて腰を下ろし、動かなくなった。

彼は、自分はこのまま牢の中で朽ち果てるか、それとも処刑されるかだろうと思っていた。

 

「ミリア…‥」

 せめて彼女が無事でありますように。屈辱に耐え、生き抜く気持ちを持ち続けられますように。いつか、自分よりも甲斐性のある男を見つけて、幸せに暮らせますように。


 眩しそうに目を細め彼を見上げるミリア。茶目っ気タップリに笑うミリア。快活に弾むように歩く健康的なミリア。料理の練習中だと言って、気まずそうに、硬いパンを差し出したミリア……


アルフは。誰に祈るでもなく、ひたすら願いながら、恋人の面影を追っていた。

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