第40話 反逆

「ではジーノ様、そのように。今更ながらですがあまり遊びに出回らないように。もう何年も申し上げている事ですが……」

 黒い執事服を一部の隙もなく着こなした家令は重々しい声で話し始めた。

 真っ白な白髪を総髪になでつけ、一筋の乱れもない。同じく白く枯れ果てている口髭も品よく丁寧に刈り込まれている。



「―――ッ、はい。わかりました。その件は承知しました」

 ジーノはそっと母屋の重々しい扉の傍から離れながら言った。

 少年時代から厳しくしつけられている老年の家令は、近頃ジーノに細かな家内の相談を寄せる。それはそれでいいのだが、話題が終わることにはなぜか説教を貰う事になっている。家令から見れば、まだまだ至らない事が多いのだろうが、最後は昔しでかした悪さに言及されるので、聞いていられない事が多い。



 足早に離れるジーノの後ろからアニータがしずしずと付いてくる。

 離れに向かう小道でアニータが「今日は早めに切り上げられたわね。おじいちゃん話長いから」と言う。絶対本人に聞かれないように、城内では気を付けるように言ったばかりだが、アニータはどうも口が我慢できない性質だった。



「どうでもいいけど、絶対本人に聞かれないようにね。怒られるのこっちなんだから」と改めて言っておく。アニータは意外とそつがなく怒られることがない。怒られるようなことがあったとして、大体それはジーノの教育不足という事でジーノが責められるケースが断然多かった。



 緑の小道に差し掛かる。樅が数本立ち並びが重々しく枝を枝垂れさせている。

 気が付いたら冬が始まったようだとジーノは気が付く。

 収穫祭が終わったばかりなのに、気が付けば時が進んでいる。

 ふと道の奥に人影が見える。



 緊張して立ち止まると、アニータの手がそっと背中に添えられたのを感じた。

「なんだ」という声が後ろから聞こえる。「アンニバーレ様よ」と言った。

 ゆっくり近寄ってくる姿勢のいい姿を認めて漸くジーノにもそうと分かった。

 黒の上着に真紅の短いマントを肩に羽織っている。



「アンニバーレさん」

「ジーノさん」

 お互いを認めて挨拶をする。やや疲れているのか、顔色が青ざめて見えた。

 そう言えば、この間招かれたまま何の挨拶もしていない。思い当ってジーノがしきりに頭を下げると、アンニバーレは何でもないと言うように微笑んで首を振った。

「いえいえ、あまりそう凝ったおもてなしが出来ず申し訳ない。失礼が無かった心配でした」

「とんでもない、すっかりご馳走になって」

と当たり前のやり取りのあと、アンニバーレは、ジーノを離れの小部屋に誘った。


 

 城の中にある小さな部屋で、暖炉には小さく火が灯っていた。

 アニータが先に足を踏み入れ、目配りすると「控えの間でお待ちしております」と膝を折って深くお辞儀をしてしずしずと下がって言った。

「……本当にアニータさんはよくできた侍女ですな。わきまえておられる」

 アンニバーレは感心したように言う。

 まさか「いつもはそうでもないですよ」と言う訳にも行かず、「えぇ、まぁ」としか言葉が出ない。

 


 ソファに掛けるように勧められる。

 掛けるとなんと手ずから飲み物を用意してもらう。

「……近頃、食事の場にアルフレッド様が顔を見せないと聞きました」

 アンニバーレは、温めたワインを啜りながら言った。

 良く知っているとジーノは思う。



「そうですね。ここ最近ですがどうも体調がすぐれないと。余り大事ではないと聞いています」

「その、ではご家族そろってという訳には」

「兄も出てきませんからね。父も不在じゃ、母と私だけなのでもうそれぞれ済ませているのです」

「フランカ様もお労しい。お寂しいのではないでしょうか」

 どうだろう。そう言えば最近はあまり母とも喋っていない。

「まぁ仕方ないというところでしょうか」

 アンニバーレは肩を少しすくめた。



「兄上様の事ですが、その。どう申し上げればいいのか。お父上とはやはりあまりお話しされていないのでしょうね」

 アンニバーレは口髭に手をやりながら、少し戸惑ったように言った。

ジーノは軽く頷いた。話すも何も、アルベルトが騎士団の屯所からでなくなり、もう三月ほども経つ。父自身も何度か城に上がるように言ったらしいが、聞く耳を持たず、父もその内、雑事に忙殺されてしまったようだった。



「どうも誤解が生じているようなのです」

 アンニバーレの眉間に皺が寄る。

「兄上はどうも父上に害されていると感じておられるのか……その、やや攻撃的な言葉が最近は多く……」

「攻撃的---ですか」

 随分と含みのある言葉だと思った。騎士らしくもない。

 アンニバーレ・ヴォーリオは、困ったように軽く頷き、深く眉間に皺を寄せた。手を組んで膝の上にのせているが、気が付くと指先が白く変わるほど握りしめられていた。



 暫く黙った。

 あまりに騎士アンニバーレの苦悩が深く感じられて、口を開く事がが躊躇われた。暫くというには長すぎる時間が過ぎた末に、遂に口を開いたアンニバーレ・ヴォーリオが言った。

「……ジーノさん。誠に痛み入ります。言葉を選ぶ事を辛抱して頂ける人は仁者だと思います。それだけでありがたいが、いい大人がご厚意に甘えてしまい申し訳ない」

「ご厚意なんてそんな」

 アンニバーレは苦し気に絞り出すように言う。

「取り繕っても仕方のない事です。兄上様、つまりアルベルト・ロッセリーニ様は反逆を意図しておられると思います」

「―――反逆」

 あまりに重たい言葉が零れる。



「ジーノさん、私はそれをお止めしたい。彼の方が主筋にあるから。勿論それはそうです。しかし私はこう思うのです。子が親をしいする。親が子を殺す。そんなことは間違えている。むろん他国に同族で王笏を争うような事があるのは聞き及んでおります。しかし、そんな事がロッセリーニ領で起こるなどという事を、私は看過できない」

 アンニバーレ・ヴォーリオは背を伸ばし、ジーノをまっすぐ見つめて言う。

「―――人の道に反している。ただこの一言を持ってして、私は主筋に背く汚名を着たい。そう思うのです」

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