第39話 水仙
まるまっちい手で摘んだ水仙を差し出されて、アニータ・ダッビラは戸惑いを隠せなかった。
金色の頭が冬の陽の光に光り輝いている。
「受け取ってあげてくださいね。アニータさん」
イザベルはルシアの背中に手を当てながら言った。
---戸惑いを感じる。
ジーノを盗み見ると、軽く首を傾げて「貰えば」と示した。
「ありがとう……ございます」
かろうじてそう言うと、ルシアは小さな白い歯を見せて笑った。
「もう五歳なのですけど、言葉があまり得意じゃなくて」
イザベルは心配そうに言った。
「喋れないわけではないのですが、あまり人の前では得意じゃないらしくって」
「恥ずかしがりなのではないでしょうか、私の母方の実家でもそう言う子がいました」
ふと田舎の家族を思い出す。誰も居なければ延々としゃべっているのに、人前では喋らなくなる女の子がいた。名前が思い出せない。何年も前の記憶だった。
ルシアが手を伸ばしてアニータの右手の指を握る。
アニータは自然に小さな手を包み込むように握った。
ジーノとアニータは、祭りが終わった翌日、アンニバーレ・ヴォーリオから会食の誘いを受けた。
色々と悩むところだったが、結局ジーノは行こうと言った。
アンニバーレ・ヴォーリオの申し出はアニータも聞いている。油断させる罠ではないかと言った。例えばヴォーリオ邸に誘い込まれて、一網打尽にされる。
「いや、そこまでするなら、もっとやりようあるよ」
ジーノはベットに横たわりながら、その青い目で中空を睨みながらそう言った。
確かにそこまですれば、騎士団、あるいはアンニバーレ・ヴォーリオがジーノ・ロッセリーニを殺したとしか判断がされない。
逆に城の中で一人になったところを殺せば、そのまま闇に葬れる。どちらかと言えば、その方が安全だ。
とは言え、今回はアニータ自身も誘われているので、行きも帰りも一緒に行動ができる。一応護衛としての体はなり立つと思った。
そう思って本日この日、連れ立って訪ねてみれば、質素だが手の込んだ料理と天使のようなルシアの歓待が待っていた。
アンニバーレ・ヴォーリオの館は、騎士団長にしてみれば質素極まりない規模感だった。ジーノが口に出す前に「あまり大きな館を構えても、寂しくなるだけなので」とアンニバーレ自身が先に言った。
「出来れば、小さな家で、家族が小さく暮らしているのがいいのではないかと思っています。余りこういう事を言うと、こんな屋敷に住んでいる者のたわごとだと言われるのですが、広い屋敷で家族がどこにいるか探さねばならないより、できればいつでも目の端にいてほしいと思ってしまうのです。かわいい盛りです。出来るだけ一緒にいて妻と育てたいのです」
「では、詰め所に詰める時が辛いですね」とジーノがふと漏らすと。
アンニバーレ・ヴォーリオは「全く出す。それだけが辛い」と少し笑いながら言った。
手を握られて、もしや母親と間違えたのではとルシアの顔を窺うと、ルシアはアニータの顔を見て大きく微笑む。
もう片方の手でちゃんと母親の手を握ったので、どうやら間違えたわけではなさそうだった。
「ルシア。お姉ちゃん、好き?」とイザベルが聞いた。
ルシアはもじもじと口を噤んでいたが、小さく「うん」と言った。
「どこが好き?」とイザベル。
「……かっこいい」とルシアが答える。
アニータは恥ずかしくなり、顔を伏せた。熱くなっているので赤いのかもしれない。そんな顔を見られたくなかった。
小さな中庭をゆっくりと一回りする。
ジーノとアンニバーレは少し離れて、話し込んでいた。もしかしたら、アルベルト・ロッセリーニの話かもしれない。しかし、アニータはこの小さな指から手を離す気になれなかった。なんと小さな爪だろう。だが、びっくりしたことにちゃんと5つ揃っているのだ。
すべてが小さな形だが、すべてがちゃんとそろっている。
そんな事がアニータには驚くべきことに感じられた。
「いつも無事に育つように、祈っているのです。はやり病などに罹らないように。ふいに馬に蹴られてりしないように。とにかく無事であればいいのです」
「……そうですね。そう思います」
こんなに愛らしいのだ。将来はどんな大人になるのか。
「楽しみですね」
アニータは少しだけ笑って言った。
「えぇ。本当に。それを想うと、色々ある世の中だけどいい事もあるんだと思えるのです」
そうイザベルは答える。
―――本当だ。
アニータもそう思った。酷い事が多い世の中だが、子供が育つと思うだけで少し暖かい気持ちになる。
ふと見るとルシアが見上げている。吸い込まれそうな青い瞳と目があう。
アニータが思わず微笑みを浮かべると、ルシア・ヴォーリオも花のような微笑みを浮かべた。
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