第20話 挨拶

 ブガーロ親方の宿はなかなか立派で、二人は横たわれそうな立派な寝床のある部屋に通してくれた。水で割った薄いワインを貰っておいた。コップになみなみと継ぐ。


 ―――あんたの家族はイカれているわよ。


 アニータの罵声を思い出す。全くごもっともとしか言いようがない。

 家族とは何だろう。

 少なくとも血縁だけが家族の証明ではないと思う。養子であれ何であれ、そういったことはあるわけで、そのような関係も家族であるべきだ。そして同居しているか否かなどという事も関係がない。遠く離れていても家族は家族であると思う。

 しかし、ジーノ・ロッセリーニはあの兄弟を家族と思ったことがない。


 懐から乾燥したベニテングダケを取り出して、ワインを口に含みながら、細かく裂いて、小さくしながら口に含んで噛んだ。味はしないが、ワインで戻しながらゆっくりと噛み締める。

 この間の狩りの時に、もしかしたらと二、三本取っておいたのだ。

 もちろん大量に摂取すれば死ぬ。だから心底怖かった。

 まっすぐ前を見ながら機械的に食んだ。

 特に味らしい味も感じない。繊維をかみ切るようにして口に詰め込み、ワインで流し込む。


 ―――もうこれしか思いつかない。


 死んだらバカバカしいと思いながら暫く続けると、目の前が大きく揺らいで吐き気が胃の底から盛り上がってきた。無視するように更に呑み込む。

頭がぐらりと揺れるのがわかり、きちんと図書館まで行けるだろうかとふと考えた。


 悪くすると死ぬかもしれない。

 だが、死ぬとは何だ。


 図書館に入った瞬間、ジーノ・ロッセリーニではなくなった瞬間、自分は生きているとは言えない存在になる。では図書館にいる佐藤素一である状態はなんだのだろう。

 そう思った途端、狙い通りジーノ・ロッセリーニは昏倒をした。


 目を開けると、予想通り夥しい本の背表紙が見えた。紙と、皮背表紙の独特な匂いが強く鼻に付いた。無音の中で、本を持ちながら行きかう男と女。中央を貫く本棚の円筒は無限に連なって、底が見えない。


 ―――あぁ。

 どうやら、バベルの図書館にはたどり着いたようだと思った。

 辺りを見回すと、いつものニヤけた細めの男の姿が見えない。どうせその内やってくるのだと思っていたらちっともやってこない。

 しびれを切らして、しばらく歩いてみる。

 

 この状態になっては初めて隣の部屋に入る。しかし、まったく同じような光景が広がるばかりだった。この六角形の部屋は、ハチの巣のようになっていて、ひたすらヘキサゴンが隣り合う作りになっている。

 ハチの巣の六角形の上下に出入り口があり、そこから隣の部屋に行く事が出来るが、行けども行けども本ばかり。

 あまり読書家ではなかった佐藤素一は、さすがに少し引く思いだった。

 

 二、三部屋、通り抜ける。

 時折、ルイスさんと似たような恰好をした人が、書棚の前で本を見、本を戻し、あるいは、その本を持ってどこか又、本の棚の前に歩いて行った。

 誰も佐藤素一に、気を払わない。

 いないものとして、扱われているようだった。

 さすがに、寂しく思い歩いて行くと、木のロッカーのようなものが並んでいる一角に到着した。全面書棚に覆われているこの空間にしては、意外な部屋だと思った。

 扉には、小さくスリットが開いており、中が見えるようになっている。

 

―――なんだ、これ。

 

 ちょうど通りかかった人がルイスさんに似ていたので、思わず、すいませんと話しかけてしまった。

 短髪の年齢を感じさせない男が、「お静かに」と小さな声で答えた。

「ここはあまり大きな声で喋ってはいけないルールなんです」

「……すいません。その、ルイスという方をご存じありませんか」

 聞いてみると、男が笑って頷いた。

「えぇ彼は今睡眠中ですね。ここでしばらくお待ちください。そのロッカーにいます」

 と右端のロッカーを指示した。

 礼を言って、ロッカーに近づいて、スリットから中を覗いてみる。

 ―――中に居る?

 中に居るとはどういうことなんだろう。

 気軽に見えると、中に居るルイスさんと目が合って、佐藤素一は大声を上げそうになり、口を噤んだ。細い眼の中の瞳孔が見えたのだが、まったくピクリともしない。


 改めてそっと見てみると、どうやらこの中で眠っているようだった。

 小さく声を掛けても反応がない。

 隣のロッカーも同様に人が入っているようだった。

 つまり、これは司書の寝床という事なのだ。

 

 なんだこれ。と思わざるを得ない。そもそもルイスさんたちは、何を食べているのだろう。眠るという事は何らかの生活をしているという事だろうか。

 いい加減しびれを切らして、この部屋から立ち去ろうとしようとした所で、いとも簡単にロッカーは内から開いた。

 

 ルイスさんは、足取りも軽くロッカーから出て、両手を上げて、軽く首を回す。

「いあー、良く寝ました。佐藤素一。目覚めの挨拶を申し上げます。おはようございます。その後、ジーノ・ロッセリーニとしての生活はどうですか。まぁここにきているという事はそれなりに良くないって事になるでしょうか」


 そう言いながら、いつも通り後ろ手に手を組み、口もに笑みを浮かべて、ルイスさんはこちらに軽く頭を下げた。

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