第9話 狩り

 目が覚めると目の粗いリネンを破って、突き出していた藁をかみしめていた。

 寝床は藁を敷き詰めていて、それに厚手の敷物を敷いているのだが、偶に飛び出してきてしまう。


 佐藤素一としての記憶を引き合いにすれば、さぞ豪勢な生活をしていると思っていたが、実際は王や豪商でもない限りは、普通の住民にとってはこんなベットが当たり前の生活だった。


 起き出して短衣と長いタイツを着る。素一にとっては少し慣れないが、これもこの時代の普通。革のロングブーツを履いて短いマントを付けた。


 鏡がないので何とも言えないが、昨日の出血は何とか止まっていた。

 たぶん血が出たのがよかった。頭の深いところが切れていたら、血が溜まって死んでいたかもしれない。


「こんな短期間に何度も死ぬ目にあうもんかな…」

 思わず呟いてしまう。反吐をのどに詰まらせるは、壁から落ちて頭を打つわで普通とは思えない。


 そもそも令和の時代に生きていた自分が訳も分からず死んでいて、気が付いたら中世イタリアに似たこの国に暮らしているという事実が、もはや異常中の異常だ。しかし受け入れるほかない。


 扉を開けて出てみると、明かり取りの窓から朝日が差し込んでいる。

 ジーノ・ロッセリーニにとっては見慣れた光景だが、佐藤素一としては初めて見るロッセリーニ市を一望する景色だった。


 中央にある城郭と左手にある教会が目についた。そこを囲い込むように小さな家々がびっしりと立ち並んでいる。小さな街路が血管の様に通り、その先に外壁が見える。その先はもう全て草色の草原だった。


「もうそろそろ収穫祭か」

 吹いてきた風が思ったよりも冷たかったので、秋の訪れを感じる。

 でも佐藤素一としての人生を終えたのは、たぶん冬だったはずだ。恐ろしい事に、佐藤素一にとっては最近のことだが、もう記憶があいまいになりつつあった。


「へぇ、帰っていたのか。ジーノ」

 その声を聴いてジーノは、背筋に氷柱を差し込まれたような気がした。

「ずっと部屋にはいたのですが……」

「上手い嘘とは言えないな。ジーノ。ところで君、なんでまだ生きているんだろうね」

 ジーノは振り向いて窓から身を離した。2階なので死ぬことはないだろうが、突き落とされるかと思った。

 ジーノと同じく小柄だが、髪は真っ黒な男が、とげとげしい視線を送ってきている。次男のピッポ・ロッセリーニだった。緑の品のいい緑の短衣を着ている。どこからどう見ても羽振りの良さそうな貴族の子弟だが、その灰色の目に浮かぶ蔑んだ目線が、自身の品を下げている。


「生きていますよ。そりゃ。まだ死ぬ年には見えないでしょう?」

「いや君。噂では昨日市街で頭打って死んだって聞いたけど」

 灰色の目を細めて、ピッポは言った。


「……何のことやら」

 そう言いながら、この借金騒動の仕掛け人がわかった気がした。おかしいと思ったのだ。手際が良すぎると思ったし、あらかじめて仕込まれていたのならば、借金取りが早々にやってきたことも不思議じゃない。


「まぁいいさ。君が無事でよかったよ。後、兄さまが又狩りを所望だったよ。君も来るんだぜ」

 言いながらピッポは、大広間に歩いて行く。

 その後をたっぷりと間を開けて付いて歩きながら、ジーノは「またか」と頭を抱えた。



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