第8話 家族

 分厚い扉をくぐると顔見知りの初老の守衛が「ジーノ様…又ですか」とあきれ顔で言った。


「あまり夜遊びもほどほどにしていただかないと。あとそれ血ですか? 奥様が心配されますよ」

「ホントに申し訳ない。なんか拭くもの無い?」と聞くと、掛かっていた薄手の布を濡らして差し出してくれた。

 

 頭の傷をそっと抑えながらふき取ると結構傷が深かったようで、傷が薄く開いてしまう。守衛は傷薬を少し塗り込んで、布で縛り血止めをしてくれた。


「喧嘩するくらい元気があるならいいですが、どこかで転んだって感じですかね?」と、割と的を得たことを言われる。そういえばこの守衛はもともとは騎士で、膝に矢を受けて、戦いに参加することが出来なくなったので、守衛になったのだと思い出した。


 大きな樽に腰を掛けさせてもらい漸く大きく息を付いた。居城の中でも落ち着けるところはそう多くない。

「居ますか? 我が兄弟は?」

 居ないといいと思ったので、期待を込めて聞いてみた。しかし、

「居ますな。そりゃ御子弟の居城ですからね」とすげなく返された。


 どうしたものかと思う。

 アルベルトとピッポのロッセリーニ兄弟。勿論形式的にはジーノの兄弟でもある。

 彼らは父アルフレッド・ロッセリーニの先妻の息子たちだ。

 先妻を無くして10年後。父アルフレッドはジーノの母フランカはを見初めて求婚した。

 話をややこしくしているのはジーノの存在そのものだった。ジーノはフランカと亡くなった彼女の先夫の間の子供で、アルフレッドとは全く血縁がない。


 つまりアルベルトとピッポの兄弟とジーノ自身は血縁関係はない。無いが対外的には兄弟という立ち位置になった。

 なかなかに豪快な領主アルフレッドは気にもせず、ジーノに城郭の一室を与え、家族同然の扱いをしている。


 それを見て面白くなかったアルベルトは事あるごとに嫌がらせをしてきた。

 昔はそれこそ子供だましだったが、最近は嫌がらせで済まないレベルになりつつもある。

 剣術の修行にかこつけて打ちのめされるのは日常となったし、分かるはずもない政治の事で、コケにされるのは毎日のことだ。

 ジーノはそんな事に付き合っているよりは、領民の暮らしの中でのんびりしていた方が良いので、ほとんど城郭の中に居ない放蕩息子となったわけだった。


 今は素一としての意識が浮かび上がっているので、逃げ出してしまえばいいのでは? と思わなくもないが、ジーノとしての知識がそれを否定した。

 あの兄弟のの影響から逃れようとすれば、父アフルレッド伯の収める都市国家から逃げ出すことになる。そうすればジーノは身元の分からない漂白者となり、身分を失うことになる。


 この時代、城郭内の住所を失ってしまえば市民としての資格を失う。あとは鍛冶などのギルドに加入しないと都市の中で暮らすことはできない。都市で暮らさない。つまり城郭外で暮らすという事は、つまり放浪者や悪くすると浮浪者である事と同じとなり、はっきり言えばいつ死んでもおかしくないことを意味している。


 日本人である素一には考えもつかない事だが、中世とは身分社会であり、城郭内に住所が有ることや、職能ギルドに参加しているものは“市民”として扱われるが、そうではない者の扱われ方には差別が明確にあった。

 

 市民ではない者たちは、城郭外に沿うように小屋で集落を作り、何とか保護を得るために、様々な苦役に従事しなければならない。

 素一としてもジーノとしても、碌な技術は持ち合わせていないので、到底城郭外の厳しい環境で生活をして行ける気がしなかった。


「しょうがない、いったん部屋に帰って出直しますよ」

「ジーノ様。フランカ様も案じておられるので、しばらくは外遊びは控えてくださいましね」と、守衛は腕組みをしていう。

 

 できる物ならばそうしたいが、実際はもうアルベルトと顔を合わせるのも嫌だった。正直その内命を取られるのではないかと恐れていた。

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