第6話 貸本
「あまり多くを知らないですよ。良いですね」
ルイスさんはそう言って両腕を背中に回して話を始めた。
「前の世界で死んだあなたは、違う世界のジーノ・ロッセリーニに生まれ変わった。普通死んだ魂は記憶を失うが、なぜかあなたは記憶を取り戻し、ジーノ・ロッセリーニで在りながら佐藤素一であるという状態になった」
「どうして…」
「全くです」とルイスは言葉を引き取った。「不思議なものです」
不思議で済まされた。
ルイスはゆっくりと背後で腕を組みながら歩き、別の窓に差し掛かる。そして素一を手招きして呼んだ。
「しかし、素一。こんなことをしている場合でしょうか。あなたの今の体、つまり、ジーノ・ロッセリーニですが、頭を強く打ったようですよ。悪くするともう一回死ぬことになるのでは?」
うんざりしながら見てみると、まだ子供じみた顔をした金髪の少年が、壁にもたれながら気を失っている。すぐにジーノ自分自身だとわかった。
しかし細い体だった。借金取りどもに比べたら子供みたいだ。
「死んだらまた蘇ったりするんでしょう?」
そう言えばそんな小説あったなと、ふてくされたように言うと、ルイスは意外なことをと言ったように笑った。
「いえいえ、そんな訳ないじゃないですか。死は死ですよ。そんな、いや蘇るなんて」
ルイスは口に手を当てて、苦笑した。
「もしかしてキリスト教徒でした? それもハードな」
「そういうこと言うの怒られるからやめてください」
「早々に戻られた方が良いと思いますよ。しかし、あれではね」
窓を見ると、太ったおっさんが、ジーノの周りを取り囲みつつある。そしてゆっくりと借金取りのヤコポがやってくるのが見えた。
血走った眼をして、こちらを睨みつけている。右腕にどこで拾ったのか、小さな斧を握りしめていた。
「…どうやら、頭をかち割る気でしょうか。物騒ですね」
ルイスは全く人ごとのように言った。
「ちょ、ちょっと」
自分の中のジーノの部分が、慌てふためいていた。あからさまに迫って来る自分の死に怯えているのがわかった。
「どうしたら…」
「どうしたら?」ルイスはこともなげに言った。「素一。あまり勉強は得意じゃありませんでしたか? ここはただの図書館ではありません。あなたが生きた世界をそのまま収納していると言っても過言ではない。例えば、こんなものはどうですか?」
ルイスはそっと本を手渡してくる。表紙に書いてある題名は『誰にでもわかる奇術のトリック』とあった。
ヤコポがジーノ・ロッセリーニを知ったのは、つい最近のことだった。
いつも通りの借金の取り立てで、無事に取り立ててくれば、手間賃が入る。それで鍛冶ギルドへの加盟金が払う事が出来る。そう思って喜んで取り立てを請け負った。
会ってみれば、ジーノ・ロッセリーニは聞いていた通りのナヨナヨとした若造で、ちょいとした脅しでどうにでもなりそうなだと思った。厄介だったのは、呑み屋に入って具体的に脅しをかけていた時だった。
雇い主から言われていたのは、相手は良いところのお坊ちゃんなので、家に泣きつかれせるのは良い。ただ、警吏や騎士を差し向けられるのは避けろと言われた。ヤコポとしてもそんな事の構え方をするのはごめんだったので、まったく同意だったが、どうしたことだ。
呑み屋でいきなり吐くは、窓から飛び出すわで聞いていた話と違って、厄介でしょうがない。挙句の果てに逃げ足は盗人みたいに早かったので、すっかり頭に血が上ってしまった。
騒動を起こしながら走っていたので、追いかけるには手間がないが、気が付いたらヤコポはいつもベルトに挟み込んでいる小斧を手にしていた。
漸く追いつき、頭かち割ってくれると息巻いて人だかりを押しのけてみれば、若造ジーノ・ロッセリーニは頭から血を流して、白目を剥いて倒れていた。
「こりゃ。どうなってんだ」
「あぁ兄貴。これは壁から落ちて頭を打ったってところですかね」
後ろから同じく追いついたミゲルが言った。
近づいて顔を見ると、元々青っちょろかった顔が顔が更に青くなっていて、金髪が血に塗れている。
「兄貴。死んじゃっちゃ金が取り立てられやせんぜ」
ミゲルがもっともな事を言ったので、「うるせぇ! わかってんだそんな事ぁ」と言い返した。
とりあえず思いっきりジーノ・ロッセリーニの横っ面を張ってみた。
起きれば良しと思ったが、ぐにゃりと頭が揺れただけだった。
「あぁ、これはいけませんな」
そう言いながら黒いマントを着た年寄りが歩み出してきた。
「なんだジジイ」
「通りすがりなんですが、医者なんですよ。こちらの人どうしたんでしょうな。事故ですか」
「いや知らねぇ。死んでんのか。こりゃ」
何も知らないふりをして聞いてみる。
「どうでしょうな。どれ、脈を拝借」
医者は、ジーノ・ロッセリーニの左手首を指でそっと握って、目を少し閉じた。
「何してんだ」
「医者はこうして心の蔵の動きを図るんですよ。あぁ可哀そうに。まだ体は暖かいですが、これは医者の役目は無さそうですな」
医者はゆっくり立ち上がって言った。
「亡くなっておりますな。こちらの方」
ヤコポは思わず医者の襟元を締め上げながら言う。
「本当か! ほんとに死んでんのか?」
本当だったら大変なことになる。ジーノ・ロッセリーニの借金は、悪くすると自分が背負い込むことになる。
「心臓は動いていませんよ。そりゃ死んでいるって言うんです」
医者は、泡を食ったように「神や精霊に願っても、死者は帰ってこないから死者なのです」と言って、体をよじって逃げ出した。
ふと周りを見回すと、もうミゲルは逃げ出していた。
あれだけいた野次馬もあっという間に散らばっていった。目の前に落ちている死体を見て、ヤコポは漸く、自分もこんなところにいるべきではないと思い至って、脱兎のごとく夜の闇に消えていった。
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