第5話 前世

 世界。大きく出たと思った。

 何を言っているのか、さっぱりわからない。


「あ、いや。世界とはやや比喩表現なのですけどね。つまりここには、世界で編まれたすべての本が有るのです。世界を1冊の書籍として比喩しているわけです」

「まだ、わからないな。あなたたちは誰なんですか?」

「我々はこの図書館の司書という位置づけになります。この図書館のどこかにすべての真理を記している赤い本が有るのですが、それを探しているのです」


 困った。ちっとも情報が増えない。

「じゃあ。俺。つまり佐藤素一は、その」

 あぁ、とルイスは言って手のひらで、発言を押しとどめた「何も言うな」という事か。

「解ります。それについては次に会ったら教えようと思っていたのです。こちらにどうぞ」

 ルイスは、また窓際を指し占めした。

「この窓、どうなっているんですか」

「解っていただきたい所なのですが、もちろんこの世界はあなたの知っている世界、つまり地球というところでも、日本というところでもありません。時間すら同一にしていません。ただ、無関係なところではないのですね。ここの蔵書は地球で発行されたものです。その意味では、地球とは完全に無関係ではない」

「……その。天国とか。そういった所という事になります?」


 直截な言い方が出来ず、ふわっとした聞き方をした。

「天国なのでしょうか。私には上手く表現できません。ただ書物に書かれているような天国ではありません。ダンテという詩人が「神曲」で示した天国像とは全く別の世界です。唯々、ここは地球ではないのです。ただ、その代わり我々は地球の姿を垣間見ることが出来るのです。この窓はそういう効力がある」

 書架の横に開いている小さな窓。ルイスは俺を招いて覗いてみるように言った。


 恐る恐る覗いてみる。そしてあまりにショックなものを見る。仏壇。その前で泣いている家族。しおりもいて、それを弟の啓二が慰めている。供えられている写真は、佐藤素一そのものだった。

「俺。死んでますやん」

 呆然とするなか、漸く、かろうじて声が出た。


「しかしあの日本の仏壇。ジャパニーズ仏壇。良いですねぇ。あんなにコンパクトに祭壇を作る技術は、ほかにはありませんよ。日本の精神性を表現していると言ってもいいのではないでしょうか。祭壇が小さいのは当然ながら、家が小さいから。小さいという事については日本人は並々ならぬ熱情を注ぎますね。スモール イズ ビューティフルという事でしょうか」

 小さな窓を素一に顔を寄せながら一緒に覗き込んでいたルイスが、感に堪えないように言った。

「馬鹿にしてるんでしょう」思わず素一の口からついて出た。

「いえいえ、もちろん褒めているのですよ」

一緒に小さい窓を覗き込んでいるルイスが、首を振りながら感じ入ったようにおもむろに本棚から一冊本を抜き取った。

「この本、知っています? 『陰影礼賛』。紙で壁を作るなど、日本人にしか考えられませんよ。まさしく侘び寂びの世界」


 やっぱ、馬鹿にしてんだろう。

 死んだくせに腹が立つのはなぜだろうと思う。

「やっぱり、天国って事なんですかね。ここは」

 改めて見回してみる。どうも話に聞いていた天国や極楽とはちょっと異なる。どう見ても図書館と図書館の司書が働いているようにしか見えない。

「天国って言うんですかね。私自身はあまりそういったことは意識したことが無いですけどね」

 ルイスは周りを見渡して言う。

「気が付いたらここでこうしていたので、はて、以前は何をしていたかもわかりません。ただ、わかるのは申し上げた通り、唯一の本、真実の本を探すという事のみをここにいる全員が目指しています。半ばあきらめている人間もいるようですけど、私はまだ好奇心を持って探していますね。」


 さっぱりと会話にならない。

「その…。自分死んだんですかね?」

 思い切って聞いてみた。あの光景を見ればわかりやすく死んでいるのだが、では今こう喋っている自分は誰なんだろう。


「何とも。確かに佐藤素一として生きていた世界では死去していると言ってもいいと思います」

「やっぱ、そうなのか」

「ただ、ジーノ・ロッセリーニとしての経験もある。これは混乱しますね」

「そう! 気が付いたら中世っぽいところにもいるし、こんな所でも目が覚めるしいったいどういう」

 慌てて言い言い出すと、ルイスさんは落ち着いてと言ったように両手を広げて宥めた。


「すべてを知っているわけではありませんが、おそらくという事だけお伝えしましょう。佐藤素一」

 ルイスさんは軽く首を振って言う。

「あなたは珍しくも、転生先で前世の記憶を思い出したという事と思われます」

「はぁ?」

 どうしたものかと思う。どうやらイタリア男に生まれ変わっていると言われたらしい。


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