第18話 冤罪

 その頃ネフェルタリはテーベの王宮で、王様の留守を預かるラムセス二世を前にしてアルウの無罪を主張していた。

「ラムセス、あたしはアルウの工房まで行ってオシリス像を見てきたの。とても簡単に崩れるような造りではなかったわ」

「セティ王の許可もなく勝手に見てきたのか」

「ええ、お忍びで」

「そうか、完成が待ち遠しかったのだな」

「早く見たかったから家臣のイブイに馬車と船を用意させアビドスまで出かけたの」

「なぁんだ。僕も一緒に行きたかったな」

「だってラムセスはいつも供を連れて狩りに出かけてるじゃない」

「狩りは危険なのだ。だが今度は一緒に連れて行ってやるよ」

「わぁ、ありがとう」

「ネフェルタリが見てきたのなら間違いないが、ではどうしてあの日オシリス像は壊れたんだろう」

「ラムセス、変だと思わない」

「なにが?」

「あの日、オシリスが壊れる前にもの凄い砂埃が舞い上がったわ」

「たしかに。だけどそれは石材の一部が壊れたからじゃないのか」

「アルウが説明してくれたの。あのオシリス像は一塊の巨大な大理石を十四のパーツに切り分けて造った像。だから繋ぎ目は空気が入る隙間さえないほど完全に密着しているって」

「そんな高度な造りをしていたんだ」

「だからあんな大量の砂埃が舞うはずないわ」

「確かに」

「しかもラムセス。像が落下して砂埃が舞ったのではなく、崩壊寸前にあれだけ大量の砂が落ちてきたのよ。変だとおもわない? きっと像の高い部分に砂が仕込んであったに違いないわ」

「誰かが意図的にオシリス像のパーツの一部を削り、その隙間に砂を流し込んだのか」

「ええ、時間が経つにつれて崩れるようにしたんだわ」

 そこまで話して二人は顔を見合わせた。

「アルウは罠にかけられたんだ」

「きっとそうよ!」

「わかった!」

 ラムセス二世は副総理のペンタウェレトを呼ぶと、

「すぐにアビドスに行ってブテハメンに会い、アルウの裁判をやり直すよう伝えよ」

 そう言って書記に書かせた手紙を手渡した。

「畏まりました」

 ペンタウェレトは一通の書簡を受け取ると一礼し、二、三歩後ろに退いた。

 王宮を出たペンタウェレトはまずいことになったと、すぐにパネブをテーベ郊外の愛人トゥイの別荘に呼び出した。

「だから今は動くなとあれほど言ったのだ!」

 ペンタウェレトは両手で激しくテーブルを叩いた。

「も、もうしわけありません。倅には軽はずみな行動を取るなと言い渡していたのですが」

「言い訳はするな! しかも自分の倅を庇うどころか自分を守ることばかりおまえは考えているな」

「め、滅相もない。わたしが悪いのです」

「王子は裁判をやり直すつもりだ。お前らの仕掛けなどすぐに明るみに出るぞ」

「どうかペンタウェレト様、助けて下さい。わたしの財宝は何でも差し上げます」

「うむ……」

 ペンタウェレトはパネブが先祖代々から伝わる、貴族並みの巨額な財産を相続していることを知っていた。

「コンスがテーベ職人長になれば、巨大建築プロジェクトの利権で得た利益の半分はあなた様に差し上げます」

「パネブ、お前、今の自分の立場をわかっていないようだな」

 ペンタウェレトは鋭い目付きでパネブを睨んだ。

「も、申し訳ありません。利権も黄金も全てあなた様に差し上げます」

「……ほう」

 ペンタウェレトはわざとらしく唸った。

「よかろう。わたしはこれからアビドスに向かうが、途中船が故障して動きがとれないことにする」

「はあ、そ、それからどうなさるおつもりで」

「その後はまかせておけ」

「は、はい」

「パネブ、さっきの約束通り黄金は全てこの別荘に持ってこい」

「では、一両日中にお持ちいたします」

「馬鹿者! 今日中だ! 一族全員の首が飛べば、黄金など意味を持たないだろう!」

「一族全員の首が飛ぶ……」

 パネブは一瞬で青ざめ、脚の震えが止まらなくなった。

「全ては俺の言葉を無視した愚かなお前と、血の気ばかり多く、思慮の足りない馬鹿息子、コンスのせいだ」

 ペンタウェレトは吐き捨てるように言って玄関を出ると、待たせていた馬車に乗り込み別荘を出て行った。それからすぐに港に着くと、所有する大型帆船に乗ってアビドスへ向かった。

 ペンタウェレトは急ぎ船に乗り込んだものの、彼に名案があるわけではなかった。ただ、宗教裁判の前例から考えて、すでにアルウは自白しているので、早ければ明日中には死刑判決が下され、即日執行されるのではないかと期待していた。

「アビドス入りが一日遅れれば後はうまくいく」

 天気は良く白く大きな帆がたなびく、船は滑るようにナイルを下った。そして船がコプトスの港にさしかかると、ペンタウェレトは計画通り、船を修理するという口実を設けその港に停泊した。


 判決を明日に控え、大神官のブテハメンは神殿の上級神官や巫女を集め、裁判の審理をしていた。居並ぶ神官の全員がアルウの死刑に同意したが、セバヌフェルだけは、彼は冤罪であり無実だと主張し、審理の差し戻しを要求した。

「なぜ冤罪だと思うのだ。それを証明する物証があるのかね」

 神官の一人がセバヌフェルに訊いた。

「彼には動機がありません」

「動機ならあるじゃないか。アテン教を復活するという」

「ならば何故、彼はオシレイオンに黄金のオシリス像を祭ることを王様に申し出たのでしょう。それこそ彼のオシリス神に対する信仰の表れではないでしょうか」

 セバヌフェルの問いに神官達が沈黙していると、

「王様に取り入るためだ」

 ようやくその中の一人が口を開いた。

「アルウが八歳の時ですよ」

 セバヌフェルが切り返すとその神官も黙った。

「だがアテフ冠の先端にアテンが刻まれていたのは事実だ」

 大神官ブテハメンが厳しい表情で言った。

「アルウはあの石材は使っていないと申しているではありませんか」

 セバヌフェルはアルウを擁護した。

「なら何者かが頭部を本物と入れ替えたとでも言うのか?」

「そう思います」

 大神官の問いにセバヌフェルは即座にこたえた。

「おまえの言うことが正しいのなら、神殿のどこかに本物のオシリス像の頭部があるということになる」

 神官の一人がそう言って腕を組んだ。

「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」

「どういうことだね」

「真犯人は複数いると思います。彼らが物証をすぐに見つかるところに隠すはずはなく、仮にもしこの神殿内であるならば、彼らは機会をみて細かく砕くか、オシレイオンの最も深い地下水源にでも落としてしまうかもしれません。ですからこの神殿内から必ず見つかるとは限らないと思います」

「セバヌフェル、おまえの気持ちはわかるが、アルウは自白したのだ。それもオシリスの間で。神に嘘はつけまい」

「大神官さま、お言葉ですが、あれほど拷問され、しかも家族に類が及ぶと言われれば、どんな人間でも家族を守ろうとするのではないでしょうか」

「出過ぎるな! 口を慎め!」

 頭に血が上った大神官は立ち上がり、

「審理を中断する」

 そう言って部屋の扉を押し開けて大股で出て行き、自室に引きこもった。

 大神官ブテハメンは悩んでいた。たしかにセバヌフェルが擁護するように、アルウの人柄からして、王子を暗殺することなど考えられなかったし、仮に恋人がアテン信者だったにしても、オシリス像にわざわざ自分の仕業だとわかるように、アテンのレリーフを刻むことをするほど愚かな人間とも思えなかった。

「だが出てくるのはアルウを不利にする物証ばかり」

 ブテハメンは頭を抱えた。

「アルウに自白させた我々の面子があるし、事件を捜査して彼を逮捕した宗教警察にも面子がある。だからアルウを何らかの罪に問わねばならん。たとえ王子暗殺未遂やオシリス神に対する冒涜が冤罪であっても、オシリス像制作の制作総指揮をしたのはアルウだ。あれだけ大規模な事故を起こした責任は免れ得ない」

 結局、ブテハメンは証拠不十分のためアルウの国家反逆罪については問わなかったが、己の保身と宗教警察の面子に拘り、オシリス神への冒涜ありと断罪した。判決によりアルウは死刑を免れることになったが、刑は重く、アビドスからの追放とテーベ職人長の役職を剥奪。さらにこん棒で百叩きの上、無期限の鉱山労働を宣告された。

 重すぎる判決にセバヌフェルは憤った。

「オシリス神への冒涜と言われますが、明らかに何者かがアルウを貶めるためにしたのです。捜査を初めからしなおすべきではないでしょうか」

 セバヌフェルは激しくブテハメンに抗議した。

「あのオシリス像を作ったのはアルウであり、彼が事実上、今回のプロジェクトの制作総指揮をしたのだ。責任は免れ得ない」

 ブテハメンはとりあわなかった。

 判決が言い渡されるとコンスとマーネは狂喜した。コンスの父親のパネブは任を解かれたアルウに替わってテーベの職人長に抜擢され、マーネは現アドス職人長がアルウの監督不行き届きで解任されたので職人長に昇格した。

 さっそくマーネはアビドスの職人町にある自分の邸宅にコンスを招待して作戦の成功を祝った。

「乾杯!」

 二人はアラバスター製のジョッキになみなみと注がれたビールを、喉を鳴らしながら一気に飲み干すと、お互いを見合ってニヤリとした。

「あんたは職人長だ」

 コンスが笑うと、

「あんたの親父も職人長だ。そしてあんたが世襲する」

 マーネも笑ってコンスの肩を叩いた。

 二人の前の広いテーブルの上には、鳩の丸焼きや白身魚のフライ、モルヘーヤのスープ、白パン、そら豆のコロッケ、レタスとオリーブのサラダ、ケーキ、リンゴ、ザクロ、スイカ、プラム、メロンといった豪華な食事が次々と家人によって並べられていき、二人は次々と出てくる料理に舌を鳴らした。マーネ婦人や彼の子供達も一緒に料理を楽しんだ後、マーネは人払いをしてコンスと今後のことを話し合った。

「これでアルウはおしまいだ」

 マーネが鋭い目で言うと、

「いや、奴は悪運が強い」

 コンスの目が険しくなった。

「まさか、無期限鉱山労働だ、もうここにも、テーベにも生きて帰れないさ」

 マーネはそう言ってビールを一口飲んだ。

「オシリス神があいつを守っている。死刑にならなかったのもそのせいだ」

 コンスの不安は収まらなかった。

「奴を殺すのか」

 マーネの言葉にコンスは黙った。それからビールを一気に飲み込むと、

「こん棒で百叩きの時、奴の神の右手を砕いてしまえばあいつの職人としての命を絶てる」

 コンスは冷酷な目で提案した。

「乾杯!」

 二人はニタリと笑い、ビールを一気に飲み干した。


 その頃、パロイはオシレイオンでの大事故のことで怯えきっていた。ボスであるマーネから指示だったとはいえ、崩壊したオシリスの頭部を制作したのはまぎれもなく彼だったからだ。勿論、パロイは自分が制作したオシリスの頭部が、レプリカだったとは思いもしなかった。だからなおのことパロイは捜査の手が伸びやしないかと恐れたのだ。ところが裁判が終わってしまうと、全ての罪はアルウにあると判決され、彼に捜査の手が及ぶことはなかった。

「俺に責任はない」

 そう思いながらもパロイはアルウに後ろめたさを感じた。

「俺は命じられた図面通り制作しただけだ。大事故が起きたのも設計が誤っていたからだ」

 パロイは自分が法廷に立って証言すべきだと感じていた、だが、罪が自分に及ぶことを恐れ動こうとはしなかった。

「だいたい、泥棒なんかしていたあんな馬鹿な奴に、こんな大きなプロジェクトを任せたことが間違いだったんだ」

 パロイは貧しさからアルウが盗みを働いたことを軽蔑し自分を守る口実にした。

 法廷で判決が下りた翌日の早朝、アルウの刑は執り行われた。彼は上着を剥ぎとられ、神殿内の刑場に引きずり出されると、両手首を縄できつく縛られて地べたに土下座させられた。それからすぐに百叩きの刑が執行されたのだ。刑の執行人はコンスから賄賂を貰っていたので、アルウが痛みから繰り返し悲鳴を上げても手加減しなかった。そしてコンスから依頼をされていた通り、手首の縄を解きアルウの右手を打ち砕こうとした。ところが、いざ棍棒を振り下ろそうとすると、刑の執行人は片足を滑らせて地べたに転倒した。

「くそ」

 刑の執行人はすぐに起き上がり、力まかせにこん棒をアルウの右手に振り降ろした。

「わぁ!」

 またしても刑の執行人は足を滑らせ地べたを転がった。

「くそ」

 執行人はよろめきながら立ち上がり、もう一度渾身の力を込めてアルウの右手を砕こうと試みた。

「ぎゃー」

 とうとう執行人はこん棒で自分の左の脛を打ち砕いてしまった。

 こうして刑の執行人が足を骨折したことで、これ以上刑を続行することが困難となり、またしてもアルウの右手は奇跡的に助かった。

 アルウが牢屋に戻されると、セバヌフェルは差し入れをアルウの独房に密かに持って行こうとした。ところが今度は監視の目が厳しくて容易に彼に近づく事が出来なかった。

 刑の翌日、異例の早さでアルウは神殿から連れ出され、ヌビアの金の鉱山に奴隷と変わらない扱いで送り込まれた。

 ペンタウェレトは刑が執行された二日後、何食わぬ顔でアビドスの神殿にやってきて、王子からの書簡を大神官のブテハメンに渡した。大神官のブテハメンはその書簡を読むと「オシリス像の制作総指揮の責任は免れ得ないのです」と返事をしたためた。

 コンスとマーネは嫉妬と利権のために、ペンタウェレトは物欲のために、大神官ブテハメンと宗教警察は、自分たちの面子と保身のために、アルウに罪を被せたのだった。

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