第11話 オシレイオン

 セバヌフェルに続きアルウがセティ神殿の南側の出口から外にでると、焼け付くような陽射しの中に、古より語り継がれてきたオシリスの墳墓があった。

「オシレイオンです」

 墳墓はまるで古墳のように盛り上がっていて、全体を沢山の緑の木々が覆っていた。

「これが夢にまで見たオシリスの……」

 アルウは目の前の砂漠の墳墓を見上げ、その場に立ち尽くした。

 エジプト文明が興る遙か太古の先史文明に建造されたオシレイオンは、セティ一世が王様になった頃は既に地中深く埋もれ、その存在は人々の記憶から完全に忘れ去られていた。ところがオシリスがセティ一世の夢に現れ、この地に神殿を建てるよう命じると、セティ一世は夢のお告げに従ってこの地に神殿建設を始めた。神殿の建設が進行すると、ほどなく地中深くに地下神殿が埋もれていることを発見。それがオシリスの墓であるオシレイオンだと気づいたセティ一世は、すぐにその遺構を発掘して改修させた。こうしてオシレイオンが再び人々の前に姿を現すことになったのだ。

 オシリスの墓オシレイオンの地下神殿は、地中およそ十五メートルあり、地下水源に最も近いところに建設されていた。使われた花崗岩は百トンを超え、その構造は北から南に向かって延び、建物全体が巨大な長方形の石棺のような形をしていた。地下神殿で最も広い大広間は島と呼ばれ、奥行き三十メートル、幅二十メートルの巨大ホールとなっている。そのホールにオシリスの空墓となる石棺が祭られているのだ。

「……」

 アルウとセバヌフェルはオシレイオンを並んで見上げた。

 陽射しは強かったが、なぜか二人が立っている場所だけが精妙で涼しく優しく感じた。

「行きましょう」

 セバヌフェルはアルウを促した。

 二人が石の階段をおりると、地下神殿の大広間に通じる入り口が見えた。

「足下に気をつけて下さい」

 セバヌフェルは石の床を指さす。

 地下水源から湧き上がる聖なる水の湿気で、石の表面が滑りやすくなっているからだ。

「はい」

 アルウは滑らないように慎重に足を運ぶ。

「ここが島です」

 二人はついに島と呼ばれる神殿の大広間に入った。

「ああ、美しく繊細で力強く。これぞ神の間だ」

 アルウは体全身に雷が走るような衝撃を感じる。

 そこに、精妙で柔らかな波動に包まれた、神秘的な空間が広がっていた。

 長方形の赤い花崗岩で造られた大広間には、分厚い石の屋根を支える巨大な四角柱の石の柱が左右に五本ずつ天井に向かって伸びていて、外壁には十七の部屋があり、外壁と島の間には幅が二メートルほどの深い運河が地下水で満たされていた。

「ここを過ぎればオシリスの部屋です」

 セバヌフェルの言葉にアルウの口元が引き締まる。

 二人は大広間を通り、オシリスの墓と呼ばれる石棺の間へと歩く。

 大広間には二人の足音と地下水が沸き上がる、ブクブク、という音だけが反響した。

「あなた様が献上した黄金のオシリス像がこの部屋に祭られています」

 石棺の間の入り口付近でセバヌフェルは立ち止まった。それからアルウの方を振り返り、彼に先に入るよう促した。

 促されるままアルウが石棺の間に足を踏み込むと、

「あ、……」

 彼の目に光り輝く黄金のオシリス像が飛び込んできた。

 ほとんど光のない暗い石の広間でありながら、外から鏡を使った巧の技で太陽光を取り込み、オシリスを光で浮き上がらせていたのだ。

「オシリス」

 アルウが跪き頭を下げてオシリス像に祈りを捧げると、彼のすぐ斜め後ろでセバヌフェルも跪き祈りを捧げた。

 しばらく祈りを捧げた後、アルウは立ち上がり子供の頃に起きた、オシリスの像に纏わる不思議な出来事をセバヌフェルに語り始めた。

「幼いころ、夢の中にオシリスが現れ、ナイル川のある場所に黄金のオシリス像が埋もれているので見つけよとお告げがありました。そこで半信半疑の父と一緒に指定されたナイルの川底を捜してみたところ、この像が本当に見つかったのです。オシリスは見つけた像を王様に預け、オシレイオンに祭るようにとわたしに指示しました。しかしどうやったら王様に会えるのかわかりませんでした。ところが悩む必要などなかったのです。なんとその時、偶然、王様の隊列が私たちの近くを通りがかったのですから」

「王様もあなたもオシリスに導かれたのですね」

「わたしもそう思います。わたしは躊躇せず王様の隊列に向かって走って行き、この黄金のオシリス像をオシレイオンに祭って下さいとお願いしました。すると王様はすぐに私の提案を受け入れて下さり、オシレイオンに黄金のオシリス像を祭ろうと約束してくれました。その代わり王様は、わたしにエジプト一のオシリスの職人になるよう命じたのです。もちろんわたしは誓いました。そして、その時、王様は黄金のオシリスの代わりにこの指輪をわたしに下さったのです」

 アルウは子供の頃の不思議な体験を話し終えると、祭壇に祭られている黄金のオシリス像を手に取った。

 その瞬間、父親が戦死した悲しい思い出や、家を失い路頭に迷って盗みを働いた辛い思い出が彼の脳裏をよぎった。

「お辛い経験をなされてきのですね」

 セバヌフェルの言葉が確信に満ちていたのでアルウは狼狽した。

「まるでわたしの人生の一部始終を見てきたようなお言葉ですね」

「アルウ様はオシリスに愛されし者」

「……」

「宇宙には記録の図書館というものがあるのです」

「宇宙の図書館?」

「はい、図書館にはこの世界のことは勿論、宇宙のすべての歴史が記録されているのです」

「その図書館に、人間、一人一人の人生の記録も保管されているというのですか?」

「お察しのとおりです。ですが厳密には人生の記録というよりも、過去から未来における、魂の転生の記録と言うべきでしょう」

「魂の転生の記録」

「わたしはイシスの巫女として修行を積み、宇宙の図書館に入ることをイシスさまから許されました」

「ではあなたは、わたしと話している時、その図書館でわたしの記録を見てきたのですね」

「そうです、一瞬にして」

「ならばあなたには誰も嘘はつけませんね。そして隠し事も」

 そう言ってアルウは苦笑した。

「図書館は誰に対してもオープンなので、アルウ様も入ることが許されるはずです」

「誰から許されると」

「ご存じのはずです」

「オシリスから」

「神々の神からです」

「神々の神?」

「神々の神はオシリスでもありイシスでもありアテンでもあるのです」

「それはさっき王命表の前で話して下さったことですね」

「ええ。あまり難しく考えなくてもいいのです」

「……」

「ですからオシリスが許可するとも言えます。オシリスはあなたをとても愛して下さっていますから」

「どうしてそうはっきりと言い切れるのですか?」

「アルウ様は感じているはずです。オシリスの大きな愛を」

「たしかにいつも危険な目に遭うと、もう駄目かと思った瞬間なぜか助けが入り難を逃れてきました」

「オシリスがその黄金の像をあなたに探させたことも、その後あなたが様々な苦難に遭いながらも、オシリスがそれらを乗り越えるよう導いて下さったことも、全てはあなたの魂をより光り輝かせるために必要な経験だったのです」

「魂をより輝かせるために必要な経験」

「そうです。あなた様の魂は様々な苦難を克服して光り輝いていらっしゃる。そして、いま、このオシレイオンで黄金のオシリスを手に取っている。その意味をおわかりですか?」

「……」

「あなた様の人生の第一幕は終わりました。これから人生の第二幕が始まったのです」

「これまでは第一幕、これからが第二幕……オシリスがそう告げているのですか?」

「はい、わたしは神々の霊媒でもあるので」

「ならばオシリスにお尋ねしたいことがあります」

「どういったことでしょう」

「セティ一世神殿の礼拝堂やオシレイオンに納めるオシリスは、どのようなデザインで制作すれば喜んでいただけるでしょうか?」

 アルウの質問を受け、セバヌフェルは目閉じた。するとすぐに彼女はトランス状態になって言葉を発した。

「愛しい我が子よ、神殿のレリーフもオシレイオンの像も、おまえが手にしているわたしの黄金の像に似せて造りなさい。その像がおまえの名を永遠の時に刻むであろう」

 ほどなくしてセバヌフェルはトランス状態から目が覚めた。

「セバヌフェルさん、ありがとうございます」

 感激したアルウは、手に持った黄金のオシリス像を改めて見つめ、像の細部に至るまで自分の目に焼き付けた。

「オシレイオンと神殿の礼拝堂に、アルウ様のオシリスが祭られる日が楽しみです」

「魂を込めて制作します」

 手に持っていた黄金のオシリス像を、アルウは丁寧に祭壇に戻すと、再び跪き頭を下げて祈りを捧げた。 

 アルウはオシレイオンで九年ぶりに黄金のオシリス像と再会を果たすと、彼はその翌日からアビドスの職人町の中に特別な工房を与えられ、スタッフ達と共にオシレイオンの大広間に納めるオシリス像の制作にとりかかった。アルウの天才的な閃きと驚異の技を目の当たりにした周囲の職人達は、昔、ティアがアルウの手を見て予言したとおり、アルウの手を神の手と褒め称え、その才能はアビドスの職人集団に認められた。

 アルウはオシレイオンのオシリス像の制作を進めながら、その一方で、神殿内のオシリス礼拝堂とそのさらに奥にあるオシリスの間やオシリス復活の部屋のレリーフ制作にも取りかかった。アルウを長とする彫刻師や絵師の職人グループは、どんなに難しい描画や色彩でも完璧に表現し芸術性も高かったので、アビドスの職人集団や職人頭からの信頼はますます深まり、アルウの天才ぶりは瞬く間にアビドスはおろかテーベや王家の谷の職人社会にまで鳴り響いたのだ。

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