第8話 陰謀

 アルウがアメンナクテのところに来て、瞬く間に三年が過ぎた。

 十七歳となったアルウは、祖父から職人としてのあらゆる技法と知識を学びつつ、子供の頃、目に焼き付いたアマルナの石像とその技法を密かに研究していたので、彼の腕前は工房の中で群を抜いた。王宮や神殿でもアルウの作品は高く評価され、王族や貴族や神官でさえも彼の作品の質と独創性を褒め称えた。

 弱冠十七歳とはいえ、ついにアルウはエジプトの職人芸術家として押しも押されぬ存在となったのだ。

 アメンナクテはというと、相変わらず職人長ではなかったが、彼は孫のアルウの成長を誇らしげに思い、むしろそのことで幸せに満たされていた。しかし彼が職人長として復権するのは時間の問題だとテーベ職人の誰もが思った。

 一方、そんなアルウ達家族の幸せを心良く思わない一家がいた。アメンナクテからまんまとテーベ職人長の座を奪った親族のパネブ一家だ。

 パネブはアメンナクテと彼の孫、アルウの活躍の噂を聞く度に、毎朝、機嫌が悪く周囲に当たり散らすことが多くなっていた。アメンナクテが工房を再開すると、大きな仕事は西テーベ市長レクミアの指示で、アメンナクテの工房へと優先的に振られていたからだ。

「不愉快だ! レクミアめ、職人長の俺を無視しやがって」

「あなた、ほっとくつもり?」

 妻のヘムシラがヒステリックに声をあげた。

「このまま黙ってるわけにはいかない」

「それなら、すぐに何とかすべきでしょ。あなた、このままじゃ職人長を解任されるわよ」

「な、なんだと!」

 ヘムシラの挑発的な言い方にパネブは禿げた頭を真っ赤にして苛ついた。

「レクミアはアメンナクテの親友よ。彼ならいつでもアメンナクテを復権できるわ」

「あのおいぼれを……馬鹿な!」

「だからあんたは甘いのよ」

「きさま!」

「副総理のペンタウェレトに賄賂を贈ってレクミアを失脚させるの」

「な、なに!」

「将来の禍根は早めに刈り取るべきよ」

「おまえの言うとおりかもしれん」

 パネブは機嫌が良くなりヘムシラを抱きしめ、副総理のペンタウェレトに賄賂として十三人の奴隷と麦を贈り、アメンナクテの工房を閉鎖に追い込むと約束した。

 賄賂を届けた数日後、パネブはペンタウェレトから極秘裏に呼び出された。密会の場所はテーベ郊外にある副総理の愛人の家だった。

「例の件だが」

 ペンタウェレトはパネブの顔を見るなり、いきなりきりだした。

「如何でしょうか?」

「アメンナクテの背後には市長のレクミアがいる。だがレクミアを左遷できても、アメンナクテの排除はかなり難しい」

「と、いいますと?」

「セティ王がアメンナクテを信頼している」

「職人長はわたしでございます!」

「だがおまえは信頼されているのか? セティ王はおまえに声をかけてこないだろう」

「……ですが」

「アメンナクテには弱みも無い」

「あります」

「どんな?」

「アルウという、あ奴の孫です」

「その子供がなぜ弱みなのだ?」

「泥棒をしていた過去があります」

「子供のしたことであろう」

「まぁそうですが……」

「おまえは甘い!」

「な、なんですと!」

「フフ、そのアルウがいるから余計アメンナクテはセティ王から可愛がられているのだ」

「どういう意味ですか……」

「理由はわからん。だがアルウは王家の紋章が刻印された指輪をセティ王から直々にもらっている」

「そんな馬鹿な! それこそ王家の墓を荒らして盗んできたのではないですか」

「あの子供がどうしてそこまでセティ王から信頼され、可愛がられているのか、私も部下に命じて調べさせた。はっきりしていることはセティ王の落とし胤ではないということだ」

「ならばどうして。あんな泥棒小僧を特別に可愛がるのか理解に苦しみます」

「これは噂だが」

「噂? どんな?」

「神官たちの間で広まっている噂だが、アルウはオシリス神から守られているらしい」

「え、いま、なんとおっしゃいました? ワハハハ」

 パネブは思わず声を上げ笑い出した。

「副総理臣ともあろうお方が、なにを言い出すかと思いきや」

 パネブはペンタウェレトを頼った自分が間違いだったと激しく後悔した。

「パネブ」

「なんですか副総理」

「だからおまえは愚かなのだ」

「何をおっしゃいます。オシリス神が子供を守ろうと、そんなことがどうしてセティ王から可愛がられる理由になるのです?」

「神官達はアルウに一目置いている」

「ますますわかりませんな」

「オシリス神の神託を受けたのだよ」

「泥棒小僧がですか?」

「オシレイオンにその証拠があるという」

「なんですと!」

「オシレイオンの地下に黄金のオシリス像が祭られているのだが、そのオシリス像をセティ王に献上したのがあの小僧なのだ」

「そ、そりゃあの泥棒小僧が王家の墓から盗んできた像を、セティ王に渡したんじゃありませんか」

「オシリス神がアルウに与えたそうだ」

「そ、そんな馬鹿な」

 ペンタウェレトがあまりにも真剣なので、パネブもそれ以上揶揄することが出来なくなった。

「つまり一番面倒なのはアメンナクテではなく、あの泥棒小僧というわけか」

「そうだ、あのアルウという小僧はセティ王から絶対の信頼を受けているうえに、神官達もアルウはオシリスの神託を受けた少年として敬われているのだ」

「たしかに面倒ですな」

「面倒だ。こんな面倒なことをあんな安っぽい金額で何とかしようとして、俺もずいぶん貴様から見くびられたものだ」

「め、滅相もありません!」

 パネブは恭しく手をもみながら作り笑いをして機嫌をとった。

「面倒には巻き込まれたくない」

 ペンタウェレトは腕を組んだ。

「あの小僧はティアという小娘と付き合っています。その小娘を手にかけると脅したら小僧も大人しくなると思うのですが」

 そう言ってパネブが薄ら笑いを浮かべた。

 ペンタウェレトはすくっと立ち上がり、

「こざかしい」

 そう言ってパネブを鼻で笑った。

 するとパネブはニタリとして、

「実はあの小娘は……」

 ペンタウェレトに耳打ちした。

 するとペンタウェレトは、

「何だと!」

 パネブの情報に思わず声を上げた。

 それからペンタウェレトは窓まで歩いていき、両手を後ろに回して広大な砂漠の景色を黙って眺めた。

 ちょうどその時、ペンタウェレトの愛人トゥイがヌビア人の女召し使いを伴って部屋に入ってきた。

「今日はまた険しいお顔をされて。美味しいワインでも飲んで気分転換をして下さいな」

「おお、おまえはいつもよく気がきくな」

 テーブルの席に戻ったペンタウェレトは白ワインをパネブにもすすめ、自らも口にすると一気に飲んだ。

「さっきの話し間違いないだろうな」

 ペンタウェレトはパネブを鋭く睨みつけた。

「間違いありません。我々職人組合のルートから入った情報ですから」

 パネブは渡された白ワインを少し口にして、語気を強めた。

「あと女奴隷十人連れてこい」

 ペンタウェレトは、パネブの肩を叩き露骨に賄賂を要求した。

「あと十人ですと!」

「あんなはした金ではリスクが高すぎてわりに合わん」

「必ずアメンナクテの一族を追放して下さるというのですね」

「そうだ」

 その時、二人の会話にトゥイが割り込んできて、

「パネブさま、よかったですね。副総理が承諾したのならあなた様の地位も名誉も安泰ですわ」

 そう言ってパネブのカップになみなみと赤ワインを注ぐと、パネブは一気に注がれたワインを飲み干した。トゥイが笑いながらもう一杯赤ワインを注ぐと、パネブはそのワインも煽るように飲んでみせた。

「まぁ、パネブ様の飲みっぷりは男前ですわ」

 トゥイが口元に手をあてて高笑いする。

「いゃ、それほど男前じゃありませんよ」

 禿げ上がった頭に手をあてながらパネブも高笑いをした。

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