第19話 冬季ノ刀

 冬嗣は蛇の牙を躱し、地面を転がった。そして素早く立ち上がると、今度は『玄武』の踏みつけを跳び躱す。

「はっ、はっ……」

 既に体は傷だらけで、血がにじんでいる。衣は泥や砂にまみれ、所々破れている。幼い体は限界を訴えて悲鳴を上げ、冬嗣自身も許されるならここから逃げ出したかった。

「でも」

 乾いた唇を舐め、冬嗣は刀を構える。彼に襲い掛かるそれは冬嗣が助けたい存在の影なのだ。

 再び、ドスンと『玄武』の前足が傍に落ちて来る。それに踏み潰されれば、ひとたまりもない。

「──っ、やあっ!」

 隙を見て『玄武』の体に跳び掛かると、蛇の攻撃を躱しつつ本体の首へ迫る。蛇は目ざとく冬嗣の姿を見付け、なかなか近寄らせてはくれない。

 何度も蛇の首にぶつかり、刀を取り落としそうになる。その度に指に力を入れ、持ちこたえた。

「冬嗣!」

「こっちは大丈夫だよ、朱!」

 押され気味の冬嗣を案じたのか、朱の声が届く。彼もまた、今『朱雀』と戦闘中なのだ。遅れを取らずに立ち向かう姿に背を押され、冬嗣も痺れ始めた手に力を籠める。

(僕が取り戻す、そう決めただろ)

 飛び出した蛇の舌を斬り、更にその喉に刃を突っ込む。喉から鮮血に似た黒煙が上がり、蛇が冬嗣の手をそのまま飲み込もうとした。

 その前に刀を引き抜くと、冬嗣は大きく一歩後ろへ跳ぶ。蛇の首は狙いを外し、悔しげに消滅した。

「よし。……って、訳にもいかないか!」

「グオゥッ」

 巨大な亀に絡みつく蛇は一匹ではなく、もう一匹が爛々と瞳を閃かせて飛び出す。その

 牙からは紫色の液体が染み出し、滴り落ちる度にジュッという嫌な音をたてた。岩が溶け、決して触れてはならないものだと知る。

 冬嗣は衣の裾を一部犠牲にしてその蛇を紙一重で躱し、掻い潜って『玄武』の本体へと迫っていた。

「グォッ」

「やっぱ、違うよお前。……玄武じゃない」

 『玄武』は心外だとばかりに目をすがめるが、冬嗣の意見は変わらない。禍々しいとでも形容される力を蔓延はびこらせた『玄武』に、神聖さは皆無だ。

 息苦しさを感じつつも、冬嗣は『玄武』から目を離さずに深く息を吸い、吐いた。そして、刃零れを恐れずに一歩踏み出す。

 亀の硬い甲羅は斬れないかもしれないが、体の柔らかい部分を狙う。首を引っ込めるなら、何度でも斬り付ける。

(僕は諦めない。だから、玄武も諦めないで!)

 心の中でそう呼び掛け、冬嗣は大きく跳躍した。

「おおぉぉぉっ!」

 冬嗣の刀が『玄武』に迫る。『玄武』は無事な蛇を真っ直ぐに向かわせ、対抗しようとする。更に初めて口を開き、溢れ出る水流を撃ち込んできた。

「まずっ」

 水流を躱そうと体を傾けた直後、体の均衡を失い落ちる。万事休すかと覚悟し、衝撃に備えて目を閉じた。

 その時、小さな水音と共に唸るような低い声がこだました。

『──諦めるのか、小童こわっぱ

「え……──?」

 冬嗣が目を開けると、大きな蛇が自分を体で受け止めていた。その蛇がくいっと頭を振る。

 蛇の示す方向を見ると、更に大きな亀が黒曜石のような瞳でこちらを見詰めていた。深い闇色の甲羅を持つそれを見て、冬嗣は息を呑む。

「……玄武?」

『……』

 そうだ、と言うかのように頷く玄武。そして『グォウ』と吼えた。

「……わかった。僕だって、諦めちゃいないよ」

 頬を手の甲で擦り、冬嗣はにやりと笑う。刀が刃零れしていないか確かめるために腕を上げると、そこにあったのはあの古い刀ではなかった。

「これ……っ」

 冬嗣の手にあったのは、黒水晶のように透明感のある刃を持つ新たな刀だった。しかし手触りは変わらないことから、以前のものと元は同じものだとわかる。

 まるで今ようやく目覚めたかのように、刀は輝く。冬嗣を鼓舞する味方の光だ。

 玄武の足を撫で、ありがとうと呟く。聞こえたのか、玄武は少しだけ柔らかい目をした。

「──がぁぁぁっ」

 ハッと気付くと、『玄武』の吐き出した水流が迫って来ていた。冬嗣が躱そうと体を動かす前に、玄武が口を開く。

 水と水がぶつかり合い、拮抗する。

「玄武!」

 とどまることを知らない水の勢いは止まらず、周囲はずぶ濡れになっていく。

 冬嗣は自らも濡れ鼠になりながら、玄武から目を離さない。そして不意に、自分を濡らす水が『玄武』のものだけであることに気付く。本物の玄武が放つ水は、全て冬嗣を避けて落ちる。

「……水は、僕らの味方だ」

 冬嗣の呟きに呼応するように、水の玉がふわりと幾つも浮き上がる。それらを刀に集め、冬嗣は『玄武』を見上げた。

 本物に攻め込まれ、苦しげに身をこわばらす。それでも抵抗を試みる『玄武』は、自分を見上げる冬嗣の存在を認識した。

 格好の人質とでも思ったのか。まだ生き残っていた蛇を、冬嗣に向かわせた。「シャーッ」という鳴き声と共に、真っ赤な口腔が迫る。

「──やられる、かよ!」

 冬嗣は蛇との距離をギリギリまで近付け、蛇がより大きく口を開けた瞬間を狙った。水の力、玄武の力をまとわせた刀を振り下ろし、蛇の頭と胴体を裂き斬ったのである。その時、冬嗣の手の甲に水飛沫のような文様が浮かび上がっていた。

 ──ザシュッ

 肉を斬るのに似た音がして、蛇が断末魔を上げる。『玄武』もまた、怒りの声を響かせた。

「……やった、のか」

 肩で息をする冬嗣は、『玄武』がこちらを睨み据えるのを見た。そして気を引き締め直し、玄武と共に見返した。

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