第4章 神の影
第16話 宝石ノ間
春霞と明虎によって半ば強制的に戦線を離脱した朱と冬嗣は、ひたすらに洞窟の奥へ向かって走り続けた。息が上がっても、後ろから聞こえてくる激しい音で足を止められない。
「――っはぁ、はぁ」
「あ、足つるっ」
冬嗣が先に音を上げ、激しく咳き込みながら足を止めた。手ごろな岩に手をつき、どうにか呼吸を整えようと深呼吸を繰り返す。
「大丈夫か、冬嗣」
朱は彼を置いて行くわけにもいかず、背中をさすってやった。すると衣ごしでも汗だくになっているのがわかり、初めて朱自身も息を乱れさせていることに気付く。
(走るのに夢中で、全然気づかなかった)
ドクドクと不自然に拍動する胸を押さえ、朱はようやく自分たちが何処にいるのかを確かめた。ぐるりと見回すと、無機質で暗い岩ばかりだった場所を抜けている。
二人が今いるのは、青や赤、黄、黒、白など様々色で溢れた空間だった。それらの鮮やかな色は、地面から顔を出した石の色だ。
色は上から降り注ぐ日の光に照らされ、輝いて見える。
「何だ、ここ……」
「綺麗だけど、なんか、違う世界に来たみたいだ」
言葉もない朱に代わり、冬嗣が思った言葉を紡ぐ。彼の言う通り、先程までいた泥くさい戦場とは空気から違う。
「――綺麗だろう? ここは、
「誰だ!?」
突然背後から聞こえた声に、朱は鋭く誰何する。振り返った彼に、男は肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
「そんなに警戒されると、傷付くなぁ。……私は、きみたちが探しているものを持っているというのに」
「探しているもの……なら、お前が元凶か?」
「四神の鏡、返してよ!」
低く唸るような朱の声と、子犬のように喚く冬嗣。二人に睨みつけられても、男は余裕の様子で背を向けた。
しかし、その背中に隙はない。不意打ちを狙い刀を抜きかけた朱だが、走り出した瞬間にこちらが斬られると察した。
「おや、来るかと思ったが……賢明な様だね」
男は立てかけていた刀を手に取ると、鞘から抜き放った。カランッと音がして、鞘が地面に落ちる。
「私の名は、月影。鏡を通じてこの日ノ本を望む世界とすべく、ここで仲間を集めている。そして、邪魔をするというのなら――子どもであっても容赦はしないが?」
「鏡を勝手に奪って行ったのはお前たちだろう? しかも、蔵を守っていた人たちを殺して……っ」
朱の頭に浮かぶのは、短い時を共に過ごした武士の者たちの姿だ。気軽に話をするような仲ではなかったが、それでも何となく自分を気遣ってくれている気配を感じていたのだ。
「彼らの無念が晴らされるわけじゃない。だけど……必ず取り戻すと誓ったんだ」
彼らだけではない。今の朱には、立ち止まることのない理由がある。自分と同じ四季の家の子である三人がいる。――もう、独りではない。
「冬嗣」
「うん、朱。明虎と春霞も戦ってるんだ。負けてられないよ」
二人は頷き合い、それぞれの得物を手に取った。
戦いに不慣れなのは、その構え方を見れば一目瞭然だ。それでも目的を達しようと懸命であることは、同様に明らかなのである。
「――相手にとって、不足なし」
月影は鷹揚に微笑むと、表情を変えた。突如として首領としての顔を覗かせ、見えていた日の光を覆う程に影を膨張させる。
明るく輝いていた色とりどりの石は色を失い、ぼんやりと青白く光るだけだ。
影は人の形から、徐々に変化する。その様相を見ていた朱は、あることに気付く。
「――朱雀!」
「本当だ、玄武!?」
「やはり気付いたか。流石は、夏と冬の家の血を引く者たちだ」
圧のある笑みを見せる月影は、自分の影が二つの姿に分かれていることに臆する様子もない。彼自身がそうしたからだ。
影は徐々に『朱雀』と『玄武』の姿を取り始め、やがて自由に動き始める。羽ばたく音と蛇のしなやかな動きを見て、朱と冬嗣は警戒を強めた。
「――四神の鏡は、この上にある」
月影が指差すのは、彼の背後にある大きな建物だ。都にあるような寝殿造りでもなく、かといって長屋でもない。岩壁を利用し、その中を掘って造り出した背の高い建物がそびえ立っていた。
未知の建物の最上の場に、鏡は保管されているのだと言う。
しかし、すぐにそちらへ行くことは出来ない。朱と冬嗣の前には、強大な敵である月影と『朱雀』『玄武』の影が立ち塞がっているのだから。
「アァ―――ッ」
「グルゥ……」
「さて、彼らもきみたちを痛めつけたくて疼いている。……精々、踊ってくれるか」
影とはいえ、二柱の力を真似た二頭の威圧感は半端ではない。朱と冬嗣は畏怖する気持ちを押し殺し、それぞれに向き合うべきモノたちへと顔を上げた。
(朱雀、待っててくれ)
(玄武、必ず助けるから)
月影の思い通りになるつもりは、一切ない。朱は冬嗣と息を合わせ、地を蹴り駆け出した。
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