第27話 責任感

 逃げたみたいに思われてしまっただろうか。


 事実、昨日の今日でとても顔を直視なんて出来ずに逃げ出したのだけれど。


 瀬尾せおくんは何一つ悪くなんてない。


 訊ねられたとはいえ私が一方的に事の起こりを話し、あわよくばと期待して、やっぱり思うような手応えが得られず勝手に失望し、まるでそっちが悪いみたいな言い草で立ち去ってしまったのだ。


 勢いに任せるまま「さよなら」なんて突き放すみたいな言い方をしておきながら、昨日の自分のそんな有様を思い返すだけで、いたたまれなくなってとても平静でいられず、結果、逃げ出してしまった。いや、逃げ出すことしか出来なかった。


 ――全てを諦めた風を装って、そんなことを言ったくせに。


 全部、ぜんぶ、私のせいで、後から怖くなってしまうって、わかりきっていたくせに。


 岡林おかばやし先生に指示された校舎裏にたどり着き、立ち止まり、祈るみたいに目を固く閉じて、一度だけくるりと振り返ってみる。


 そろそろと開いた目の前に広がるのは、たった今、歩いてきた校舎裏の風景。ただそれだけ。


 頬を撫でるように吹き抜けていく風が私の髪をさらうだけ。


 わかっている。追ってくるはずなんてないって。


 他の誰でもない私自身が突き放しておきながら、それでもなお、瀬尾くんが追って来てくれるんじゃないだろうか。瀬尾くんの方からやって来てくれて、瀬尾くんの方から声をかけて、昨日の「さよなら」の続きを望んでくれるんじゃないだろうか。


 さよならは元々、「左様であるならば」という意味の接続詞だと以前読んだ本に書かれていた。接続詞は、前と後の関係を示す役割を担っている。だからきっと「さよなら」の後も関係を示すべき何かがあるんじゃないか。


 そんな理屈っぽいことをこね回しながら、ちいさくため息を零す。


 考える端から恥ずかしくなりそうな、自分にだけ都合の良い御託ばかりを並べ立てて、自分の責任から目を逸らして正当化しようとしている。


 自分のふてぶてしさが空恐ろしい。


 なんて往生際の悪さだろう。


 勝手に逃げ出しておいて、都合良く追いかけられることを望んでいるなんて、そんなのはもはや狂気の沙汰でしかない。


 そうしてきっとまた私は、私の意識の外で底知れぬ迷惑をかけてしまうんだろう。

 この数日間で嫌というほど思い知ってしまった。

 瀬尾くんだけに留まらず、私がどれほどまでに無自覚に周りを巻き込んで迷惑をかけてしまっていたのかを。


 

 そもそも今朝は目覚めから最悪だった。


 元々、貧血気味で朝に強くはないのだけれど、そこに寝不足が祟ってしまい、普段にも輪をかけて体調が優れなかった。

 寝不足の理由は言うまでもなくもちろん、昨日の瀬尾くんとのやり取りを思い返して、自責の念に駆られてなかなか眠れなかったからなのだけれど。


 枕元に置いた目覚まし時計がコチコチと時を刻むわずかな音でさえ気になって、針が午前四時を指していたことは辛うじて記憶にある。


 そんな体調不良のせいで、ほとんどふらつきながら起床してきた私の姿を見かねて、さらに昨日の自宅謹慎の件まで重なり、はつゑ御婆様は学校まで送り届けると申し出てきた。


 せめて私が無事に登校する姿を確認しないことには、とても生きた心地がしないと縋るように言い張って聞かなかった。さらに許されるならば、一日中教室の後ろから授業を見守り、片時も離れずに私に悪い虫が付かないよう目を光らせていたいくらいだとも息巻いていた。


 そんな風に御婆様を心配させてしまったのも私のせいなので、強い否定も、ましてや拒絶なんて出来るはずがなく、わたしは困ったみたいに曖昧な笑顔を返すしか出来なかった。


 おととい、学校から自宅謹慎処分となった連絡を受けたはつゑ御婆様は、私が帰宅すると居間の欄間にロープを通してブツブツとお経を唱えながら首を吊ろうとしていた。


 ――衝撃の光景だった。


 間一髪、あわてて引きずり下ろして、御婆様のせいではないと懇切丁寧に説明してなんとか納得してもらい事なきを得た。けれど思い返すまでもなく、帰宅するごとに大なり小なり問題を起こしてくるのだから、御婆様には心安まる暇もないのだろうと本当に申し訳なさでいっぱいになった。


 それで一段落付いたと思っていたけれど、御婆様の責任感の強さは私の想像を遙かに超えていた。


 自宅謹慎に伴い、学校からの保護者呼び出しを受けて、お昼過ぎにわざわざ御父様がやって来ると、


「このたびのみさをお嬢様の不始末、この私奴の不徳の致すところにございます。かくなる上は、自刃にてお詫びいたします……」


 いつのまにか浅葱色の着物に着替え、顔面蒼白で額を床にこすりつける土下座で謝罪しながら、いったいどこにあったのか時代劇でしかお目にかかれないような短刀を鞘から引き抜こうとしていた。


 ――前日以上の衝撃の光景だった。


 こんなことがあるだろうか。青天の霹靂とはまさにこんな状態を指しているのだろう。衝撃が強すぎて逆に冷静にそんなことを思い浮かべてしまった。


 御父様と二人がかりで止めに入り、学校から指定された時間ギリギリまですすり泣く御婆様を懇々と諭すことになった。


 御婆様を諭しながら、本来無関係であるはずの人に、自分がどれだけの迷惑をかけてしまっていたのかを思い知ることになった。


 そんな衝撃のやり取りがあった翌日の起き抜けに、体調不良で朝ご飯もろくすっぽ食べられない私を見て、御婆様がとにかく心配してしまうのは当然といえば当然だった。


 私はどこで何をしていても、人に迷惑をかけずにはいられないのかもしれない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る