第26話 わだかまり

 翌朝はばっちり寝不足だった。


 昨日の放課後に惣引そうびきから言い放たれた「さよなら」の意味をずっと考えていたら、ものの見事に眠れなくなってしまった。


 いわゆる挨拶としての「おはよう」「こんにちは」と同じ意味合いの「さよなら」だったのか、それともボクとの関係性を絶つことを意味するところなのか、一晩中悶々と考えていた。


 考えていた、というよりは、後者ではないことを祈る気持ちだった。


 明け方近くになって、どうして関係性を絶たれないことを祈っているのかわけがわからなくなって、気が付いたら寝落ちていて遅刻寸前に目が覚めた。


 アイツとの関係なんか、きれいさっぱり絶ってしまえるなら願ってもないはずなのに。


 ただでさえボクはこの見た目のせいで黙っていても悪目立ちするのだ。


 そこに、体中にダイナマイト巻き付けて嬉々として火に飛び込んで来るみたいな、いてもいなくてもトラブルを巻き起こすやつが自ら去って行ってくれたんだから、本来だったら諸手を挙げて喜んで然るべきはずだった。


 なのに、心の底のさらに隅っこに、見過ごしてしまいそうなくらいに小さくこびり付いたわだかまりが、「さよなら」の後からずっとチリチリ燻っている。


 それは決して、惣引みたいな美人の方からどんなに迷惑だろうと、わざわざ構ってくれていた状況をみすみす失ってしまった口惜しさとかでは断じてない。


 ボクは見た目はこんなだけど、そんなに女々しい男じゃないからな!


「うわっ、ユリちゃん寝顔メッチャかわいー! 撮ろ。おっはよー。どーかしたのー?」


 遅刻寸前で辛うじて教室に飛び込んで机に突っ伏していたら、隣のギャルの周防すおうが心配してなのか声をかけてきた。


 ピコンッとスマホのシャッター音が聞こえたけれど、ちょっと相手をしてる元気はなかった。挨拶を押し退けて本音が前に出過ぎだよ? あと勝手に撮らないで?


 昨日に引き続き、休憩時間ごとにも昼休みの時間にも、噂を聞きつけてボクの姿を一目見ようと廊下で渋滞を起こす生徒たちは後を絶たなかった。


 けれど今日は当然と言うべきなのか、こうして放課後となって更衣室で着替えを済ませた今になっても、ついに惣引が姿を見せることはなかった。


 昨日みたいに自宅謹慎で確実に学校にいないとわかりきっているならまだしも、あれだけ他人の迷惑を顧みずに猪突猛進してたのに、ぱったりと姿を見せないとそれはそれで気になって気になって仕方ない。ほんっとになんなんだよアイツ……。


 自宅謹慎は昨日一日だけで、今日からは普通に登校出来ると言っていたのだから学校には来ているのだと思う。けれど、昨日の別れ方も相まって、ここまで姿を見ないとなると本当に登校してるのか疑わしかった。


 だからといって本当に登校しているかわざわざ確認に行くのは、なんだかボクが戦いに敗れて白旗を振ってしまったみたいな気がして結局できなかった。そもそも誰とも何も争ってなんていないんだけど、負けられない戦いが、そこにあったんだ! ボクの中だけに!


 そうは言っても、惣引は隣のクラスなのだから休憩時間にたまたま通りがかった風を装いながら、チラリと覗くことだって出来なくはなかった。


 なかったんだけど、結局のところ出来なかった。


 ただ言わせてもらうと、ボクの姿を興味本位で見学に来てる生徒たちで廊下は渋滞してたし、なにより今日は移動教室がなかった。そのうえ購買にも、ほとんど使わない学食に向かうにも、もっと言えばトイレに行くにしても、移動教室がない以上、各施設の配置的に隣のクラスの前を通る必要がないのだ。


 もはや奇跡的な教室の配置としか思えない。実際はただ単に、ボクの教室が校舎の端に位置してるだけなんだけど、こうも徹底的に隣のクラスがガードされてるみたいに感じてしまうと、どんな理由の元にクラス分けが行われたのか担当した教師を呪いたくもなってしまう。


 そんなこんなで惣引が学校に来ているのかどうかわからないまま、悶々と放課後の清掃活動の時間になってしまったけど、集合場所であっさりと鉢合わせてしまった。


 もちろんボクと同じくジャージ姿の惣引は、物憂げな表情で手にした箒を振るでも掃くでもなくゆらゆらと揺らしていた。


 心ここにあらずとはこのような状態です。と教科書に載ってそうなお手本みたいにぼんやりしていたけど、ふっと気配に気付いたのかボクと目が合うなり、ただでさえ大きな目を見開いてバツが悪そうに視線を逸らしてしまった。


 ちゃんと登校してたんだな。それがわかれば一安心だよ。

 これで休まれてたりしたら、ますます気を揉んで清掃活動どころじゃなかっただろうから。視線を逸らされたくらい、ど、どど、どうってことないし。……強がりじゃないからね?


 二人で無言のまま待っていると、集合場所にやって来た岡林おかばやし先生から、今日で予定していた清掃活動は終わりなので最後までしっかり頑張ってね、と伝えられた。

 

 やっと入学後から続いていた、見せしめという名の罰から解放されるのだ。

 ただ冷静に思い返して、まともに清掃作業をしたのなんて昨日一日だけな気がするのは気のせいなのかな? 主にボクの隣で、徹底的に目を合わせようとせずに俯いてるやつのせいで。


 それでもたとえわずかとはいえ日々の繰り返しとは恐ろしいもので、校内のゴミ箱の側にきちんと捨てられずに転がっている空き缶など目にしようものなら、「どうしてすぐそこにゴミ箱があるのにきちんと捨てないんだよ!」と腹の底で悪態を吐きながら、わざわざ拾ってゴミ箱に捨てるくらいには清掃意識が染みついてしまっていた。


 美化委員とかから有望株としてしつこく勧誘とかされたら本当に迷惑だな……。


 そんな無駄なことを考えているうちに岡林先生から今日の担当場所を指示され、ボクたちはそれぞれ別の担当場所へと向かった。


 もちろんこの間も、惣引は頑なにボクを見ようとはせず視線が交わることはなかった。


 うーん。嫌われちゃったのかな。

 まあ、仕方ないといえば仕方ないか……。

 わかりきっていたことだけど、やっぱり昨日の「さよなら」はボクとの関係性を絶つ意味合いだったってことか。


 なんて未練がましい感じになってるけど、だからといって別にボクに何か不利益が生じるわけじゃない。むしろこれでボクに対する悪目立ち加減も、ボク自身の見た目に関わることだけになる分、少しはマシになるってことだし。


 いや、どちらかといえば惣引の悪目立ちの方が遙かに度を超えているんだから、ただ少し、ほんのちょっぴりだけ見た目が女の子っぽいだけのボクに対する興味なんて、すぐに下火になってくれるに決まってる。


 うん。考えれば考えるほど良いことずくめじゃん!


 寝不足になるほど一晩中うだうだと、こんな時にばっかり寄りかかられてさぞや迷惑してるだろう神様に祈りを捧げていたのが馬鹿らしくなる。


 ――それなのに、ボクの腹の奥底で燻り続けるこのわだかまりはなんなんだろう。


 こんなにせいせいした気持ちでいるのに。

 今の今まで軽快に動かしていた箒を持つ手は、いつの間にか止まっていた。


 本当はわかっているんだ。

 集合場所でボクと鉢合わせた時に見せたバツの悪そうな顔に、視線を逸らしたあの態度。


「さよなら」って言い放ったのはそっちなのに、どうしてそんな全てを奪われた人みたいな絶望の色を滲ませているんだよ。


 ここからは見えないけれど、グラウンドの方から運動部特有の声出しだろう、何部のものかなんてわからない低く野太い声が遠く響く。校舎側からは、これは吹奏楽部のものに違いない管楽器の間延びしたような音合わせがうすく反響する。


 惣引の邪魔もなく、一人静かに作業していた昨日は気にもならなかった雑多な音が、なぜだか今日に限ってやけに耳について気になって仕方ない。


 いや、はっきりいって何でも良いはずの理由が見つからなくてイライラしてるせいだ。


 きちんと伝えたい、伝えるべきことが言えてない。


 何か、何でもいい、理由でも言い訳でも口実でも何でも……。


 あ、そういえば岡林先生がアイツに指示してた清掃場所は、昨日ボクが一人で作業させられた校舎裏の近くだった。


 アイツは昨日、自宅謹慎でいなかったから、もしかするとボクがもう済ませた場所を気付かずに掃除してるかもしれない。

 うん。それは良くない、二度手間になっちゃうし。これは一大事だ。きちんと確認しないと!


 アイツが二度手間で真面目に掃除してなかったみたいな誤解を招いて、結果、連帯責任で二人とも明日からも引き続き清掃活動するよう言い渡されたりしたら大変だ。


 うんうん。これは必要な確認作業なんだ。アイツが自宅謹慎になんてなるのが悪いんだ。圧倒的善意だし、自分自身の保身でもある。


 うん、うんうん。


 これは仕方ない、他の誰にも出来ない確認だから。


 誰に説明するでもなく自分自身に言い聞かせて一人納得して頷きながら、ボクの足はもう歩みを進めていた。


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