第15話 五・五事件

 あたしが写真に興味を持ったのは、中学二年の修学旅行から帰ってきてからだった。


 旅行先で素晴らしく綺麗な景色を目の当たりにしたとか、心動かされる特別な体験をしたとか、そんな大それたことではぜんぜんない。だって、帰ってきてからなのだから。


 どこの学校でもきっとそうだと思うけれど、修学旅行中は生徒たちにカメラの持ち込みを禁止する代わりに、旅行中の撮影を一手に担う専属のカメラマンが帯同していた。


 先に断っておくけれど、このカメラマンがなかなかのイケメンのお兄さんで、そのスタイリッシュにカメラを構える姿に見惚れて写真に興味を持った、なんて邪な理由ではない。カメラマンは学校近所の写真館のおじさんだったし。


 そんな、おじさんカメラマンが生徒たちの姿をまんべんなく撮影し、旅行後に職員室前に現像された写真がまとめて張り出される。


 写真にはそれぞれ番号が振られ、二年生は番号書き込み用の封筒を各自渡される。

 その封筒に自分の欲しい写真の番号と枚数を書き込み、総枚数分の金額を入れて提出すると焼き増しされた写真が届くシステムになっていた。たぶん、どこの学校でも同じように単純なシステムだろうと思う。


 しかし、そんな単純すぎるシステムのせいで問題が起こってしまった。


 多くの人は張り出された中から、大なり小なり自分が写っている写真を選び出して購入するのが普通だろう。


 大勢が写り込んでいる写真によっては焼き増し枚数に多少の偏りが起こることだってあり得るし、毎年のことなのだからそれくらい学校側も想定しているはずだ。


 もちろんあたしたちの年にも枚数の偏りが起こったのだが、それが問題となった。


 ――偏り方と枚数が尋常ではなかったのだ。


 たった一枚の写真に、修学旅行に行った二年生の生徒数を遙かに超える枚数の焼き増しが殺到したのだ。後から噂で耳にしたところ、全校生徒数より多かったらしい。


 55番と振られたその写真には、もはや言うまでもなく瀬尾せおくんが写っていた。


 けれど、瀬尾くんが写っているだけであれば他に数枚の写真があった。


 班ごとに分かれて観光中の瀬尾くん、宿泊したホテルの宴会場で大勢の中でご飯を食べている瀬尾くん、移動中のバスの中で少し見切れ気味に写り込んでいる瀬尾くん。


 そんななんてことない写真の中に、あろうことか奇跡の一枚が紛れ込んでいた。


 場所はほんの少しだけ照明の薄暗いホテルの廊下。


 そこで、お風呂上がりの濡れ髪のまま首からタオルを掛けて、おそらく友達か誰かに声をかけられたのだろう、振り返り様に笑顔を浮かべる瀬尾くんのバストアップ写真。


 しかも、ちょっぴり舌先を覘かせて、はにかむみたいな悪戯っぽい微笑みを湛えていたのだ。


 カメラという道具を扱う者にとって一生をかけて求めてやまない、決定的瞬間と呼ぶに相応しいタイミングでシャッターが切られていた。


 きっとコンマ一秒早くても遅くてもダメだったに違いない。


 ただ普通に撮影しても可愛い存在が、あまりにも無自覚にその可愛さの限界を突破させた、神々しいとさえ言い切れる瞬間が切り取られていた。


 後に、写真番号55にちなんで五・五事件と呼ばれることになる職員室前での張り出しで、その奇跡の一枚を目にしたあたしは卒倒しかけた。


 狙ってシャッターを切ったのかどうかはわからないけれど、おじさんカメラマンに届くはずのない賞賛の念を送るより他なかった。


 ――この写真は絶対に買う。


 自分が写ってる写真ではないし、この番号55を封筒に書き込むことで提出した際に担任にバレて、おかしな勘ぐりを受けてしまう危険があるのは百も承知だ。そんな危険を冒してなお、この瀬尾くんの写真の魅力は尋常ではなかった。


 そして当然ながら、そんな危険を冒すことを厭わない猛者たちが大勢現れてしまった。いや、大勢というよりむしろ二年生全員だった。


 問題になったのはここからで、職員室前に張り出されるということは修学旅行に行っていない一年生と三年生も写真を見ることが出来る。

 となると、55番の写真の前で、あたし以外にも卒倒しかける生徒が続出したのはもはや言うまでもない。


 システム上、写真を購入する権利を持っているのは二年生だけで、それ以外の生徒はどんなに欲しい写真があったところで手に入れることは出来ない。


 すると、極めて自然な流れとして代理購入の依頼が起こった。


 先輩、後輩たちから頼まれて55番の写真を一人で複数枚焼き増ししようとする生徒が大勢出現。

 焼き増し総数がとんでもない枚数になっていることを学校が把握し、焼き増しは一人一枚限りと異例の通達が発せられる事態となった。

 まあ普通はどんな写真であろうと一枚あれば事足りるのだから、わざわざ焼き増し枚数を限定する事態の異常さはうかがい知れると思う。


 ――しかし、限定してしまったせいで五・五事件は文字通り、事件となってしまった。

 

 じつにありがちな展開で、代理購入にあえなく失敗した生徒たちが、それでもその写真を求めて転売を申し入れ、市場にわずかに出回った数枚の写真が闇オークションにまで発展してしまったのだ。

 あくまで噂だが五桁の金額で取引されていたとか。ちなみに、職員室前の張り出し展示用の写真に至っては展示最終日には盗難にまで遭った。


 これが、あたしが写真に興味を持った原因だった。


 ――あたしも撮りたい。


 瀬尾くんの一番可愛い瞬間を切り抜きたい。


 心の底からそう思ってしまった。


 その月のお小遣いから貯金を開始し、お年玉や家事のお手伝いのお駄賃など諸々を含めて、ついに念願の一眼レフカメラを購入した。

 あのおじさんカメラマンが使っていたようなプロ仕様の機種にはとても及ばないけど、あたし史上、最高金額の大きな買い物に震え、同時にこれでついに瀬尾くんの最高の瞬間を切り取れるのだと心が躍った。


 瀬尾くんの進学する高校の情報は、幼馴染みの特権ともいうべき親同士の世間話に聞き耳を立てて極秘入手し、あたしは最後の進路面談で受験する高校を変えた。


 いきなり高校の偏差値を落としての変更だったせいで、担任は露骨に驚いて反対したしお母さんからもずいぶん説得されたけど、あたしの決意は変わらなかった。


 ――ここまでしたのだ。


 可愛い人、美しい人を撮りたい。具体的には瀬尾くんを撮りたい。


 それだけの思いで、それだけの思いだけでここまでしたのだ。


 だから、学校にカメラを持ってこなければ意味がないのは当然なのだ。


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