第11話

☆☆☆


上履きを洗って乾かしてようやく自分の部屋に入ると、私はすぐにスマホのアプリを起動した。



そこで初めて、お気に入りの運動靴を捨てる羽目になっても心が動じなかったのはこのアプリがあるからだと気がついた。



これさえあればどんなことでもそっくりそのままやり返すことができる。



それは私の心の平穏を保つ要因となっていた。



だけど不思議なもので、アプリを起動して今日の出来事を思い出していると、怒りと憎しみだけは次から次へと湧き上がってくるのだ。



辛いとか悲しいのではない。



ひたすら夕里子にやり返したいという強い思いだ。



その思いに突き動かされるようにして指先に力を込めて夕里子の名前を記入する。



「絶対に許さないから」



私は画面を睨みつけて、毒をこぼしたのだった。


☆☆☆


翌日、私ははやる気持ちを抑えることができずにいつもより10分早く家をでてしまった。



足元にはパープルの運動靴。



それが軽快に地面を蹴り上げて学校へと近づいていく。



下駄箱まで来て夕里子の靴があるかどうか確認したけれど、まだ来ていないようだった。



チッと舌打ちをして自分の運動靴を下駄箱へしまう寸前で手を止めた。



まさか、今日も同じことが起きたりしないよね?



そんな不安が浮かんできて、下駄箱に入れようとしていた運動靴を手にもったまま教室へと向かうことにした。



イジメを行うヤツらの行動はワンパターンだ。



こっちが少し頭を使って隠しておけば気がつくことはないはずだ。



私は教室に入ると自分の体操着袋の中に運動靴を隠したのだった。



「あれ、有紗来てんじゃん」



10分ほどして夕里子たちが教室へ入ってくると真っ先にそう言った。



「ほんとだー。靴がないからついに休んだのかと思ってたよ? 来てくれてよかった。今日も沢山遊んでねぇ?」



由希はそう言っておかしそうに笑う。



夕里子も平気そうな顔をしているので、私は一瞬眉を寄せた。



膝の上に隠してスマホを確認してみても、まだ完了通知は来ていない。



昨日はあんなに早く実行されたのに……。



アプリへの不信感が生まれたとき、真純がまっすぐにこちらへ向かって歩いてきた。



私はすぐにスマホをポケットに隠す。



このアプリの存在だけは知られるわけにはいかない。



「由希の言う通り、今日も沢山遊んでね?」



わざわざ近づいてきた真純は私の耳元でそう言い、ついでに私の耳たぶを引きちぎれるほどに引っ張って自分の席へと向かったのだった。


☆☆☆


どうして今回は時間がかかっているんだろう?



トイレの個室でアプリを起動してみてもその理由はわからなくて、徐々に気持ちが焦り始める。



本当に今回も実行されるんだろうか?



私、なにか入力に失敗でもしたんだろうか?



浮かんでくる疑問を解決する方法はなにもないし、誰にも相談できないまま、3時間目の体育の授業がやってきた。



私は体操着袋から運動靴を取り出して下駄箱で履き替えた。



偶然私の隣にいたクラスメートがその様子を見て怪訝そうな表情を浮かべたけれど、なにも言ってこなかった。



そしてグラウンドへ向かおうとしたときだった。



他のクラスの女子生徒が慌てた様子で近づいてきて、夕里子の前に立った。



「夕里子ちゃんごめん! 私、さっきの授業で間違えて夕里子ちゃんの靴をはいちゃったの!」



そう言って頭を下げながらその子が差し出したのは泥に塗れた夕里子の運動靴だった。



白かったそれは見事に土色になっている。



それを見た瞬間夕里子の表情が険しくなった。



「はぁ? 履き間違えたってどういうこと!?」



「わ、私の下駄箱、反対側の、夕里子ちゃんと同じ場所で、だから」



夕里子がそんなに怒鳴るとは思っていなかったようで、女子生徒はしどろもどろになり周囲に助けを求める視線を向けている。



しかし、同じA組の生徒たちは夕里子の性格を知っているので成り行きを見守るばかりだ。



「それで? なんでこんなに泥だらけなわけ?」



そう言ったのは由希だった。



由希は夕里子と同じように女子生徒を睨みつけている。



「ドブにはまちゃって……」



その言い訳に笑いそうになってしまい、慌てて手で口をおおった。



「なにそれありえないんだけど!?」



「ご、ごめんなさい!」



「ちゃんと洗ってきてよ。放課後までに乾かして、それで返して!」



「わ、わかった」



女子生徒は夕里子たちに怯えながら走って行ってしまった。



「体育どうする?」



「休むしかないじゃん」



由希からの質問に夕里子は腕組をして仏頂面でそう返事をしたのだった。

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