第2話 ヤツは平等
春休み期間中、ヤツことXから私に連絡が来ることは一度もなかった。
人格否定・罵倒ラッシュから2ヶ月後の4月。初めてのゼミの日がやってきた。
またヤツのハラスメント攻撃をくらいかねないことを考えると、私は憂鬱な気分になっていた。
講義室に入り、私を含む学生20名ほどがヤツの到着を待った。
私の席の前には秋山さん、そして隣には山本さん。両者とも、大学に入ってから親しくなった友人だ。
ヤツはゼミ開始予定時刻から5分ほど遅れて、講義室に入ってきた。そして、私の姿をヤツ視認した瞬間に事件は起こった。
「おい、中村!
まだ生きてやがったのか!
俺はお前に、生きている価値がないと伝えたはずだよな!?
今すぐこの場でさっさと腹を切って死ね!」
大勢の前での私に対する死刑宣告である。
腹を切って死ねというフレーズが私の脳内でずっと、ずっと、リフレインしていた。
騒がしい私の脳内とは対照的に、しん、と静まり返る講義室。
「いいか、お前ら! 俺に逆らうと、中村のようになります。このゼミでは俺の言うことは絶対だ!
俺に逆らったら、単位は絶対にやらん! 逆らったやつに人権なんてないと思え! いいな!?」
逆らった覚えなど微塵もない。
ただ、ヤツの罵倒攻撃に反論もせずひたすら耐え続けていただけである。
おそらくだが、ヤツの中で私がYESともNOとも意思表示をしなかったことが癪に障ったらしい。
ああ、このまま私はこのゼミで孤立して、Xからは理不尽に扱われるのだろう。
そんなことを考えていると、いつの間にやらゼミ生の自己紹介がスタートしていた。
ヤツは、ゼミ生一人ひとりの自己紹介を聞きながら、必ず何かしらの人格否定や罵倒の言葉を言い放っていた。
ヤツのハラスメント行為のターゲットは私だけではなかったのだ。
この点に関しては、ある意味Xは平等だった。そんな平等はいらないんだけどね……。
たとえば、友人・秋山さんの場合。
「お前、趣味がネットを見ることってどういうことだよ? 性格悪そうだよなあ、お前って。ネットに悪口でも書いてるんだろ? あ、もしかして犯罪予告とかしちゃってる?」
公務員志望と自己紹介したある学生に対しては、
「公務員になりたい? はぁ? 寝言は寝てから言えよ!
バカのお前が試験に受かるわけねえだろ!
このゼミはなぁ! 公務員を目指すようなやつが入るゼミじゃねえんだよ! 普通に就活して、一般企業に入ることがこのゼミの目標なんだ! 公務員志望のお前がこのゼミにいるのは場違いなんだよ!
俺の方針が気に入らねえならとっとと辞めちまえ!」
などなど。
ヤツの罵倒のバリエーションは多岐にわたっていた。
そもそも、ヤツはゼミ紹介の際に、公務員を目指すこともできるゼミだと言っていたはずである。
私はすぐに察した。ああ、こいつは自分の言ったことに対して何ら責任を持たない人間なのだ、と……。
ヤツは公務員志望の学生に罵声を浴びせ続けた。
「まあ、お前がこのゼミを辞めたとしても他のゼミはお前のことを受け入れてくれないだろうがな!」
「どうしてですか?」
公務員志望の学生はXに対して物怖じせずに突っ込んでいく。
「理由なんて簡単だ。
お前はこの後、学生課に赴いて俺に暴言を吐かれたことをチクるんだろ? そんなことをしても無駄だ。普段から職員に愛想よくして付き合っている俺と、どこの馬の骨かもわからねえお前みたいな学生、どちらの意見を学生課は信用すると思う?
当然、教授の俺だろう? いくらお前が学生課に俺のことをチクっても無駄なんだよ! 立ち場が悪くなるのはお前の方なんだ!
わかったら、公務員志望なんて戯言を言うんじゃねえ!」
これはひどい。学生の退路を断っていくスタイルである。
初回のゼミで、一つわかったことがある。ヤツは時間を守らないのだ。ゼミの時間は通常1時間30分。
だが、ヤツは1時間30分を過ぎても、ずっと学生に書くこともためらうほどのひどい言葉を発し続けた。
ゼミが始まって2時間ほどが経過した頃。秋山さんが動いた。
「教授。次の講義が始まってしまったんですが……。
次の講義、必修科目だから遅刻はマズいんですけど……」
「必修科目? そんなもん俺には関係ねえよ!
お前、必修科目と俺の話、どっちが大切なんだよ!? 必修科目を受けられないなんてことは些末な問題だ。
今は俺の話のほうが最優先事項に決まっているだろ!? この世の中には俺の話以上に大事なことなんて存在してねえんだよ!
もしお前が、俺の話よりも必修科目の方が大事だと思うのなら、俺の目の前から今すぐ消えろ! お前なんてこの世界には必要ねえからよ!」
ひどい言いようである。私だって秋山さん同様、次の必修科目を履修している。
結局、秋山さんはXに逆らうことなくじっとしているままだった。
ヤツが満足して、我々学生を解放したのは、ゼミ開始から4時間後のことだった。当然ながら必修科目には出席できなかった。
ただ、私にとってはゼミが終わってからが地獄だった。目を輝かせた秋山さんが私に話しかけてきたのだ。
「ねえ。X教授に今すぐ死ねって言われていたけど、何かあったの?」
秋山さんだけではない。ゼミに所属する人間のほとんどが、私の周りに集まってきた。
羞恥に包まれた私は、生きている心地がしなかった。ヤツから受けた、セクハラや罵倒の数々をあらためて友人に説明するのが憚られたからだ。
「どうしても言いたくないことをされたってこと? じゃあ、私が今日の講義が全部終わった後にアイツの研究室に行って今日のことを抗議してくるよ!」
秋山さんは正義感あふれるとてもいい子なのだ。そんな秋山さんをヤツのもとに向かわせて傷つけるわけにはいかない。
「いや、ヤツの研究室に行くのは止めたほうが……」
私がそう言っても、義憤に駆られた秋山さんを止めることはできなかった。
「大丈夫、大丈夫! ちょ~っとだけ、教授に質問してくるだけだから!」
すべての講義が終わった後、秋山さんは笑顔でヤツの研究室へ赴いていった。私は、秋山さんの背中を見送ることしかできなかった。
翌日昼前。
とある講義に出席するために、私は大型の講義室へ赴いた。そこには、既に秋山さんが来ていた。
ただ、その秋山さんの様子が少しおかしかった。
目から光が消えていたのだ。
「昨日、ヤツのところに行ったんでしょ?」
私が尋ねると、秋山さんはぽつり、ぽつりと昨日の出来事を語っていった。
「研究室に入った途端に『俺に逆らったくせによくもまあ平気な面してここに来たもんだ。お前、俺に反論してきただろ? ムカつくんだよ! お前みたいな学生はよ!』って言われて……。
その後、アイツってばホワイトボードを思いっきり蹴っ飛ばしてめちゃくちゃにぶっ壊し始めたんだよね……。
あれ、どうかしてるよ、マジで……」
私や他の学生に対する暴言の次は暴力行為である。私は秋山さんが語ったヤツの行動に言葉に呆れて物が言えない状態となってしまった。
秋山さんから聞いたところ、ホワイトボードを破壊した後は、秋山さんに暴言のオンパレードをかましてきたそうだ。
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