第3話

 まさかあんなことになると思わなかった。

 私は、あのバカそうな子供にお仕置きしようとしただけ。

 彼が、あの子供に困っていたのは知っている。あんまり距離が近いから、つい嫌味を言ってしまったけど、彼があんな子供にひとかけらも興味がないことくらい、分かっている。

 あの子供は、どうしようもないビッチだ。

 本来の、嫌な女って意味じゃなくて、日本人がよく使う「下半身がだらしない、いやらしい女」っていう方の。

 あの子供と同じくらいバカそうな大学生くらいの男、家庭教師らしい。あれが関係を持ったのはその男だけではない。同級生にも何人もいるようだし、パパ活かなにか知らないけど、そういう売春行為もしている。

 ママが言ってた。

 結婚前に男の人がするセックスは、将来の、本当に結婚する人とするときの練習台。だから、結婚するまでに処女を失ってしまうような人は、本当の本命にはなれないって。

 私もそう思う。

 あんな、クソガキ。

 頭も悪くて、顔も大してかわいくなくて、結婚して専業主婦になるくらいしかできそうもないガキ(専業主婦だって真面目にやれば大仕事だから、あのガキはその役目すらまともに果たせそうにないけど)。

 それなのに、自分から、その道すら塞ごうとしている、いっそ哀れにすら見えるガキ。

 だから、私のお仕置きは、クソガキの目を覚まさせてあげることにもなるはずだ。

 あのガキ、彼を誘惑までして、さすがに我慢の限界だった。

 それなのに。

 どうして彼は、あのガキを庇ったりなんかしたんだろう。

 本当は、あのガキのこと、少しは意識していた? あんな、ゴボウの切れ端みたいな体に? だとしたら、ますます許せない。

 でも。

 あの時の彼は、いつにも増して素敵だった。

 普段はゆっくり、ゆっくり歩いている(花魁道中みたいに、その歩き方によって余計注目を集めていることには気づいているのだろうか?)のに、あのガキを助けに行ったときの素早さと言ったら。

 すらりと長い脚が地面を蹴って、うっすら筋肉の付いた腕が鞭みたいに速く動いた。

 本当に素敵だった。あの瞬間を映像にして、何度も観たい。

 でも、本当に、そのあと体勢を崩して落ちてしまうなんて思わなかった。

 私は戻って、クソガキをきちんと罰したあと、彼を助けようと思っていた。

 でもそれはできなかった。あのクソガキがぎゃあぎゃあ喚いたせいで、その辺を歩いていた人が彼を見つけてしまったからだ。その人も、倒れて血を流す彼を見て、一瞬息を呑んでいた。真っ赤な血が、彼の薄い白い色の皮膚に映えて、ぞっとするほど綺麗だった。あんなの、誰だって見とれてしまう。

 通報した人のことは恨んでいない。すべて、あのクソガキが悪い。でも、私が助ける役になりたかった。私はお姫様で、彼は王子様だから、ちょっと立場は逆かもしれないけれど。

 とにかく、邪魔が入ってしまった。

 彼は入院してしまったらしい。もちろん、お見舞いも行った。でも、彼自身がお義母さま以外と会いたくないって言っているから、病室も教えてもらえなかった。

 どうして? 私は妻なのに。

 指輪だって持ってるのに。二人の愛は永遠なのに。

 そもそも、私にこんなことをさせたのだって、悪いのはクソガキだけど、彼にも原因がある。

 なんで家に帰ってこないんだろう。

 この家はそんなに嫌かなあ。

 職場からだってすごく近いし、毎日掃除している。私はキレイ好きだから。食事が口に合わないってことはないと思う。だって、彼は私のご飯が美味しいって何回も褒めてくれたから。

 じゃあ何がいけないの、と独り言を言うと、ママが「あんたよ」と言った。

 睨みつけてもぼうっとした顔で黙っている。

「私の何がいけないって言うの」

 ママは私をちらっと見て、馬鹿にしたように笑った。

「何がいけないっていうことはないけど」

 ママは頬杖をついて、コップに注いだお酒をちびちび飲んでいる。

「あんたがあんただからダメなのよ」

 鼻の奥がツンとして、視界がにじむ。ママ、なんでそんなこと言うの。

「私が言わなくたって分かるでしょ、あんただからダメなの」

 喉の奥からうめき声のような醜い音が漏れる。ママはそれを聞いてますます笑っている。

 あなたに会いたい。はやく、あなたに帰ってきてほしい。

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