日本電気鉄道

 官僚と言えど根っからの小役人である私には、還暦を迎えれば年の功しか使い道がないと感じ、大正7年に退官を願い出た。

 かつての仲間たちは代議士や私鉄の役員として活躍していたが、そんなつもりは微塵もなく慎ましくも悠々自適に余生を過ごすと決めていた。


 旧知の仲である仙石貢も羽織ゴロツキから足を洗えずにおり、ひまを見て私を訪ねてきては、何やかんやと不満をらして帰っていった。

 私などには話を聞くので精一杯、役に立つ言葉など思いつきもしなかったが、頭が回る仙石には余計な進言など不要。かえって私のような聞き役が貴重だと言ってくれる。


 そんな付き合いを続けていた大正13年。加藤高明内閣の下、鉄道省大臣に仙石貢が就任した。

 再び鉄道の頂点に立って早々、鼻息荒く訪ねてきたので、どうしたんだ? と尋ねると、仙石が問いを返してきた。


「立川勇次郎を覚えているか?」


 覚えているも何も、退官を申し出た年に大風呂敷を出願して、鉄道院に「またか」と頭を抱えさせた男だ。


 またか、と言わせた大風呂敷とは日本電気鉄道である。

 遡れば明治40年、安田善次郎や雨宮敬次郎などの財界人が立ち上げた計画で、まだ走り出したばかりの電車を用いて東京〜大阪間を6時間で結ぼうと建設免許が申請された。

 思い出してもらいたい。この年は、仙石が社長を務めた九州鉄道国有化の翌年だ。

 鉄道国有化が推し進められる中、壮大な私鉄計画が認められるはずもなく、あっさりと却下された。


 さて、走り出したばかりの電車に長距離を高速運転をさせようなど、財界人だけで思いつくものだろうか。

 もちろん、これには真の立案者が裏にいる。


 まずは、藤岡市助。

 明治11年、銀座木挽町で行われたアーク灯点灯実験に参加してから電灯や電力事業に関わった、電気に精通した技術者である。

 明治23年、上野で開催された内国勧業博覧会でアメリカから持ち込んだ電車を走らせている。


 そして、立川勇次郎。

 博覧会で走った電車に目をつけ、京都、名古屋に続く電気鉄道を明治32年、川崎の六郷橋から大師まで開業させた。

 これが次第に線路を伸ばし、井上勝の墓参りで仙石が激昂した京浜電気鉄道となる。


 大正7年に藤岡がこの世を去ると、その遺言を読み上げるように、立川によって再出願がなされたのだ。


「日本電気鉄道だろう? 退官した年の出願だ、忘れないさ。その立川がどうした?」

 京浜電鉄で、そして日本電鉄で鉄道省に喧嘩を売る相手だ。また激昂するかと思いきや、仙石は顔には収まりきらない笑みを、ニンマリと浮かべていた。


「一蹴してやった。もう諦めるだろう」

「一蹴だと?」

 日本電鉄は、立川にとって藤岡の弔い合戦だ。

 東海道線の輸送力が逼迫している中、昨年の大震災復興に奔走させられている。

 そんな折に東武鉄道の根津嘉一郎が電鉄計画に参加したことで、超然主義の清浦内閣が許可するのでは、と見られていた。


 清浦内閣が猛烈な批判を受けて早々に退陣し、議会や政党の意思を内閣へと反映すべく加藤高明内閣が成立。そこで仙石に白羽の矢が立ったわけだ。


 議論好きの仙石が相手であっても、立川があっさり引くとは思えない。

 どう諦めさせたのか尋ねてみると、武勇伝でも語るように意気揚々と話しはじめた。


「まず電気鉄道など贅沢だと、却下してやった。鉄道のためだけに電気を使うなど、けしからん」

 確かに、震災復興が進むに連れて電気の需要は増えるだろう。そんなとき、鉄道に大量の電気を食われるなど、もってのほかと言われかねない。


「東海道線の逼迫が背景にあるだろう? 元鉄道官僚として競合を歓迎するつもりはないが、それで清浦内閣が許可する直前にまで至っただろう」

「鉄道省は、東海道線の輸送力増強に取り組んでいる。これが完成すれば、日本電鉄は対抗出来るのか? それでも採算が合うのか? だから競合路線には免許せん、そう言ってやった」


 話の流れで、日本電鉄を擁護する立場になってしまうのは不服だが、仙石の話を引き出すために苦々しくも立川勇次郎に成りすますことにした。


「日本電鉄は高速電車だ。そもそも、東海道線に対抗するのが目的だろう」

「ふん。輸送力増強が完成した暁には、鉄道省が総力を上げて捻り潰してくれるわい」


 これには、元鉄道官僚の私までもゾッとした。数々の路線建設や改良に携わり、鉄道会社を経営した仙石が本気になって潰しにかかれば、太刀打ち出来るはずがない。


「ただ、幾度となく出願された計画だ。かつてのものは震災で燃えてしまったが、確か5度目だ。日本電鉄を認める代議士だって、いるだろう」

「ああ、鉄道網完成のためならば私鉄が予定線に出願したら認めるべきだ、とな」

「どう言い返したんだ?」


 ようやく「偽立川」から「私」に戻れて肩の荷が降り、仙石の活躍に胸を躍らせることが出来る立場になれた。ついさっきまで顔を強張らせていたが、今はいやらしく笑っている。


「すべて門前払いするつもりはない、いざというとき困るからな。国有化前提だが近い将来に建設することがなく、計画が具体的であり、開業しても省線と私鉄の双方に差し支えないのであれば、私鉄にやらせるかも知れん」


 面倒臭い回答に、笑ってひっくり返ってしまいそうになった。まるっきり羽織ゴロツキの答弁ではないか。

「そんな私鉄があるものか!」

「許可しないとは言っておらんだろう」


 確かにそうだと笑いながら、隙間風が私の胸をぎった。

 鉄道を作った者は名を残すが、却下の英断は名を残さない。ならば鉄道敷設免許の乱発を防いだ仙石は、井上のようにはなれないだろう。

 これだけの仕事を成し遂げながら──。

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