南満州鉄道

 無敵とうたわれたロシア帝国のバルチック艦隊を打ち破り、明治38年に日本は朝鮮半島の権益と中国北部の鉄道、鉄道付帯地や沿線にある炭田を手に入れた。明治40年、この鉄道は南満州鉄道と名付けられる。

 この設立委員のひとりにと白羽の矢が立ったのが、日露戦争に昼夜を惜しまず協力し、九州鉄道で実績を上げた仙石貢である。


 時を同じくして私鉄国有化により大きくなった鉄道作業局は改組され、帝国鉄道庁を名乗るようになった。

 相変わらず地道にコツコツ仕事をしている私の耳に、仙石の噂が入ってきた。

 几帳面にして豪放磊落ごうほうらいらくな話かと思ったが、そうではなかった。どうも委員会の場で、このようなやり取りがあったらしい。


  *  *  *


「戦争中、日本の汽車を用いたのでやむを得ないが、軌間が3フィート6インチ(1067mm)の狭軌に改められておる。ロシア軍が破壊した線路まで狭軌で復旧させた。どの汽車も冷寒な気候で疲弊しておることだ、これを機に全線4フィート8.5インチ(1435mm)の国際標準軌にしてはどうか」


 仙石の提案に、委員たちが眉をひそめた。

 周りの鉄道はロシアを除いて国際標準軌。その上、朝鮮半島の鉄道は日本の手によって建設され運営している。

 改軌が必要なのは重々承知しているが、賠償金を放棄して国民の反感を買ってしまい、予算獲得が困難だ。大蔵省からの委員は、渋い顔である。

 それに、狭軌への改軌を行った野戦鉄道提理部からも委員が出ており、すぐさま改軌となれば顔を潰す。


 そんなことはお構いなしに、仙石は普段どおり持論を展開した。

「満州は広大だ、汽車を速く走らさなければならない。標準軌ならば動輪間が空くので、太いかまを載せられる。そうなれば高速化も容易だ」


 言わんとすることは理解できるが、という委員たちの態度が仙石に火をつけた。

「また野戦鉄道には信号がない。兵員や軍事物資輸送だけであれば足りるが、客や石炭を運ぶには不足も不足。安全確保のため、信号の整備も急務ではないか」


 これについては渋々ながら理解されたが、改軌が最大の問題だ。そんなことをしなくても、汽車は走ることが出来るのだ。

「仙石さん。ロシア帝国の5フィート(1524mm)を狭軌にするのは軌間にレールを1本敷いて済んだが、狭軌を標準軌にするのは、どうするのか。まだ使える汽車があるのだぞ」


 そんなこと、とっくに考えている仙石である。

「標準軌に敷き直し、軌間に狭軌も敷くだけだ。標準軌の汽車が増える度、狭軌の線路を剥がせばよい」

 結局敷き直しかと委員全員が嘆息したが、ひとりだけが泰然としたまま問いかけてきた。


「仙石君。それは、どういうことかね?」

 後藤新平、南満州鉄道総裁である。

 以前は台湾総督府におり、土地改革や電気水道整備、学校教育に産業育成、アヘン中毒患者撲滅など、島がひっくり返るほどの近代化と同時に、統治に反対する勢力を厳しく取り締まった。

 他にも情報や交通の整備も行ったから、鉄道に関してズブの素人ではないはずだ。


「野戦鉄道提理部がしたことの、逆です。一方の線路は狭軌と標準軌の共用、もう一方には狭軌と標準軌。つまり3線の軌条を、1本の枕木に固定します」

 仙石め、簡単に言ってくれる。それを全線やるのだぞ。

 委員たちの視線がチクチクと刺さっているが、仙石はそれを跳ね除けんと、堂々たる態度を崩さなかった。


 動じないのは、後藤である。

「改軌はいずれ必要と委員の誰もが思っている。良案ではないか、段階的なら無理はなかろう」

 後藤のお墨付きに安堵したのもつかの間、続く言葉に仙石は眉をひそめて、顔が歪んでしまうのをグッとこらえた。


「ひとつ頼みがあるのだが、奉天ほうてん長春ちょうしゅんなどの駅を大きく作ってくれないか」

「満州にはうといのですが、そこには街があるのでしょうか?」

「いや、奉天は墓と塹壕ざんごうばかりで、長春は荒野が広がっている」


 墓!? 塹壕!? 荒野だと!?

 そんなところに巨大駅が、何故必要なのか!?

 驚きを隠しきれず目を丸くする仙石に、後藤は淡々と説明するのだ。


撫順ぶじゅん煙台えんだいの炭田を掘るには鉱夫が要る、大連だいれんから石炭を積み出す港が欠かせない、彼らを雇う会社が要る。勤め人の家が必要で、暮らしや経営を支える商店や銀行が要る。それらが暮らす町が要るのだよ」


 言わんとすることは、わかる。そう思ったのは仙石の方になり、委員各位が納得した様子で深々と頷いた。

「我らが得たのは鉄道付帯地、それほどに広大な土地を付帯地とおっしゃいますか!?」

「鉄道を使う人が暮らす土地こそが、鉄道付帯地だよ。君が甲武鉄道でやったことと、何ら変わらない」

 いさめるような後藤の口調に、仙石は呆気にとられて言葉を失った。


 そう、委員が集ったときから違和感があった。

 仙石など技師の他、渋沢栄一など財界人、外務省に大蔵省、官僚や議員、軍人までもが加わっている。

 これでは、小さな国家ではないか。

 大日本帝国は、南満州鉄道を鉄道として見ていない。満州を、そして東亜を統治する足掛かりにしているのだ。


 愕然とする仙石に、後藤が朴訥ぼくとつと声を掛けた。

「どうしたのかね? 仙石君」

「いえ、私は鉄道をやりに来たので──」

「思う存分やってくれ。他は私たちでやるから、安心したまえ」

 後藤の笑みを、仙石は呆然と見つめることしか出来なかった。


  *  *  *


 鉄道は、すっかり姿を変えてしまった。まさか統治の道具になるとは……そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 南満州鉄道は、国策企業なのだ。

「ここだけの話ですが、仙石さんを議員にしようという動きもあるそうです。臆すること意見したのが、同郷の議員に気に入られたそうで」

 仙石は政治という潮流に呑まれてしまうのか、それとも鉄道から政治に風穴を開けるのか。


 ふと仙石が家の壁に穴を空けたのが思い出されて、笑いが止まらなくなり、部下に怪訝な表情をされてしまった。

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