第8話 最終話

 木枯らしが吹いている。

 冬の足音が近づいてくるのを、去年と同じベッドの上で、俺はぼんやり観察していた。


 ずっと昔、もう半世紀よりも前。

 動物病院のポスターを目にして、彼女は何歳まで生きるのか疑問に思ったことがある。


 20歳が限界だろうか。

 いやいや、元人間だから100歳まで生きるか。


 答えはもうすぐ出る。

 俺も彼女もすっかり衰えて、次のお正月は越えられそうにない。


 悪くない人生だった。

 男が独身で、金のかかる趣味も持たず、新卒で拾ってもらった会社に最後までいた。

 定年を迎える頃には十分すぎる貯えができていた。


 あと、恋をした。

 相手はかわいい黒猫。

 指輪の代わりに首輪をプレゼントしてあげた日のことを、昨日のことのように覚えている。


 挙式もやった。

 小さな教会で、笑っちゃうような話だけれども、神父様の前でキスをした。


 だから、悪くない人生だった。

 思い出の詰まったマンションは売り払ったし、遺産はすべて慈善団体に寄付されるし、自分の選んだ老人ホームで最後の日を迎えられる。


 腕の中の彼女をなでてあげる。

 数年前から視力の劣化がはじまって、足を踏み外すことが増えた。

 俺の呼びかけに反応しないこともあるから、耳だって遠くなっているだろう。


 食欲だけは旺盛おうせいで、1日3食きっちり食べていた。

 それも今年の夏場からめっきり量が落ちている。


 皮肉なものだ。

 終わりが近づけば近づくほど、彼女は俺の側にいたがる。

 そんなことされたらお別れが辛くなるじゃないか。


 甘えん坊のおばあちゃん猫。

 大好物はホットミルクとおやつチュール。


 彼女にはたくさんの幸せを分けてもらった。

 いくら感謝しても足りないくらい笑わせてもらった。


 1日でいいから彼女より長生きしたい。

 ささやかな願いが、老いさらばえた俺の体を今日まで生かしてきた。


「君の毛、カサカサになっちゃったな。オナラはぷっぷぷっぷ相変わらずだけれども、ほとんど無臭になっちゃったな。君のことだから、あっちの世界でも満喫するんだろう。向こうで再会した俺に、観光案内してくれるんだろう」


 まだ温かさの残っている小さな額に、俺はそっとキスを落とす。


 記憶の彼女がひとつ、にゃ〜おと鳴いた。




《作者コメント:2022/01/28》

読了感謝です!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫になった君へ ゆで魂 @yudetama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ