『誰であれ、何者であろうと』

 ごめんなさい、と彼女は俺に向かって頭を下げた。長い髪が横顔に垂れ下がり、完全にうなだれている。気にしなくていいと首を振ったものの、彼女は頭を下げたままだ。


「気にしなくていいよ。カナンの第一印象が悪いのはいつものことだからね」


 石喰いが人聞きの悪い言葉を投げかける。否定はできないけれども、この場でその言い草はひどくないだろうか。赤くなっているであろう額に触れると、やはりなんとなく痛い。やり場のない思いを庭に向けても、呑気に鶏の親子が餌をついばむだけだ。


「いいえ、本当にごめんなさい。まさか、おばあさまのお客様だとは思わなくて……最近は物騒だから、驚いてしまったんです。あの、あなたには申し訳ないことを……」

「そこの石喰いではないが、気にしなくていい。親切にしていただいたとはいえ、それに甘えてしまったのはこちらだしな。まあ……カゴを投げつけられたのは驚いたが……」


 つい本音を口にしてしまった。すると彼女はさらに深くうなだれてしまう。リンドウが肘で脇を突いてきたが、いちいち反論する気力もない。


「ごめんなさい! 痛かったですよね……なんとお詫びしてしたらいいか」

「いや大丈夫だよ……俺は頑丈だからな。あの程度の打撃じゃ、簡単に倒れないから」

「でもっ!」


 堂々巡りだ。思わず天井を仰いだ瞬間、軽く手を打ち鳴らす音が響く。驚いてし首を巡らせると、いつの間にか入り口にハナさんが笑いながら立っていた。


「——ほらほら! お客様が困っているでしょう? ミズキ、いつまでもネチネチしないのよ。許してくださると言うのだから、ありがたく受け取りなさいな」

「おばあさま……」

「カナンさん、リンドウさん。ごめんなさいね、落ち着きのない子で。この子……ミズキは、私の孫なのですけれど……年頃になってもいい人の一人もいなくて」

「おばあさまっ‼︎」


 軽やかな笑い声を響かせるハナさんに、彼女——ミズキは顔を赤くして叫ぶ。


 俺の方はといえば、曖昧に笑うくらいしか出来ない。こういう時、女兄弟が多いかつての友人なら上手く返すのかもしれないが。あいにく俺の家族は皆、男ばかりでその辺りの機微には疎い。リンドウは……そもそも家族がいるのかどうかすら。


「仲がよろしいのですね」


 いつもの笑みよりもどこか楽しげに、リンドウは笑っていた。あまり笑顔を崩さない石喰いの表情の変化を、どう呼べばいいのだろうか。どうも今日のリンドウはいつもと違う気がする。まさかまだ腹が減っているわけでもあるまいに。


「ええ、たった一人の家族ですもの。そのうち増えてくれれば嬉しいのですけれど」

「……おばあさま……!」

「ほほ。さあさあ、この子のご無礼のお詫びに今日はここに泊まっていってくださいな。お部屋を準備しますので……ミズキ? それまでお二人に村を案内して差し上げなさい」


 え。と言ったのは誰だったろう。泊めてもらえるのはありがたい。しかし、そこまでしてもらう理由がないのも事実なのだ。


 辞退しよう。俺が口を開こうとした時だった。リンドウがおもむろに俺の肩を叩き、実に石喰いらしくない笑顔を浮かべて言う。


「カナン」

「……何だ?」

「私たちは一文無しだ」

「だから何だ」

「……屋根のあるところでご飯を食べるのと、寒空の下で草を食べるのどちらがいい?」

「…………」


 何という二択だ。そんな選択肢を突きつけられて、わざわざ後者を選ぶほど酔狂ではない。しかし結局断れば、まだ冷え込む夜を外で過ごす羽目になるのだ。自然の中で草を食む。牧歌的な気もしないでもないが、俺は人間である。断じて牛ではない。


 まあ、つまり。後者を選ぶだけの理由がないのだ。だからと言って、親切をそのまま受けてしまえるほど、俺の面の皮は厚くない。そこで俺は考えた。考えて考えて、一つの結論にたどり着いたのだが、それを口にするのはもう少し後のことだ。


 とりあえず今は、ハナさんの提案をありがたく受けることにしたのだった。


 ミズキはひどくうろたえていたが、それは当然のことだろう。当然にしてもいろいろ種類はあったのだが。リンドウの笑みに押し切られ、追求することもなく俺たちは歩き出していた——。


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