尊大な探偵と死にたがりの助手

真夜中 芒

名探偵のペテン

   導入 ~チェスと簡易スライハンド~


「シツレイします」

「失礼するな。帰れ」


 部室では、僕のセンセイが何やら小難しいタイトルの本を読んでいた。机に長い足を乗せて椅子にだらしなく腰掛けている。僕が教室に入ってきたのをチラリとだけ見ると、興味なさそうにすぐに本に視線を戻す。字が細かいのだろう、普段はかけていない眼鏡をかけて、眉間にしわを寄せいている。ぱっと見だと怒って見える。

 センセイがあまりにも不遜な態度でいるものだから、ここは彼の私室なのかと見間違うが、ここは僕たちの所属する『ミステリ研究会』というサークルの部室だ。センセイは大抵ここか、使用許可をおそらくとっていないあろう、適当な空き教室で本を読んでいることが多い。

「授業はどうした一年坊主。さぼると成績に響くぞ」

「休講になったので。というか、センセイには言われたくないです」

 この不遜な彼は名前を潮目しおのめ真偽まぎという。僕と同じ大学に通う院生で、僕より年上なのは確かだが具体的に、いくつかはよくわからない。頭はいいはずなのだが、本人の気分のむらが激しいのか、卒業に興味がないのか、ダブりまくっている。

 一見だらしない経歴だが、彼は僕のセンセイだ。

 先生と呼ばれる職にも様々なものがある。教師、医師、弁護士、作家。センセイはこのどれでもない。世にも奇妙な彼の肩書は、この大学の七不思議のひとつに並び、眉唾な噂として学生の間でまことしやかに語られる。第二科学棟には、「探偵」がいる…と。

 この「探偵」とは、浮気調査やペット探しに従事するあの探偵ではない。名探偵シャーロック・ホームズ、明智小五郎、フィクションの住人にして、ミステリの支配者、その探偵だ。嘘みたいな話だが、彼の元には自然と事件が集まるし、彼は自身の能力でそれらの問題を解決する。性格に重篤な障害を抱えているので、法外な依頼料を毟る上、場合によっては真相すらゆがめるときもあるが、それでも彼は探偵だ。

 僕は一応、形式上は助手、ということになっているので、表面上だけでも敬意を示すために、彼の事をセンセイ、と呼んでいる。というか、彼は自身の名字を気に入っていないらしく、潮目サンと呼ぶと嫌がる。いわく、さわやかすぎる、と。彼のこだわりはよくわからない。下の名前で呼ぶよりは、と考えた結果、『センセイ』に落ち着いた。


 僕は意識を目の前の人物へと戻した。相変わらずこちらには関心なさそうに本の文字を目で追っている。本には大学の付属図書館からの返却期日を知らせるしおりが挟まってた。返却期日は今日から2週間後。おそらく今日貸し出し手続きを行ったのだろう。しかし、先週読んでいるところも見かけていた。ということは、今日律義に借りなおしているのだろうか。

 妙だな、と思う。僕の知っているセンセイというのは性格が悪く、性根が歪んでおり、自分の都合に合わせて平気で真実を捻じ曲げる独裁者だ。そんな彼でも、図書館の本の貸出期間は守るらしい。なんだかイメージとは合わない気がした。


「センセイって、意外とルール守るんですね」

「世の中に存在するたいていのルールは合理性に基づいて定められたものだ。合理に逆らうのは不合理だ。違うか?」

「…よく考えてみたら、その、報酬的な意味で、あまりうまみがないといいますか。そういった依頼でも受けるとき、ありますよね」

 学食でも順番をちゃんと待つらしいことも同時に思い出した。彼が食堂で並んでいるのを見たときは俗っぽすぎて逆に夢かと思った。そもそもゼリー飲料以外食べれたんだと感動したものだ。思考を戻して僕は言葉をつづける。

「犯人とかも、直接脅したほうがお金を手にできるのに、警察にちゃんと引き渡しますし…」

 センセイはようやく興味を示したのか、片眉がピクリと動く。本に向けていた視線を上げて僕を一瞥した。開いていた本にしおりを挟み、閉じると机の上に重ねる。

「お前、そんなこと考えてたのか。とんだ悪徳だな」

「センセイならそう考えそうだなって思っただけです。僕は興味ないですよ」

「世界は秩序を重んじるべきだ。犯罪者をどいつもこいつも野放しにしてたら、そのうち秩序が崩壊するだろうが。」

「え、その方がいいんじゃないですか」

 僕は秩序が崩壊した世界でディストピアを築き上げて、国民をいたぶって楽しんでいるセンセイを思い浮かべた。…高笑いをするところまで容易に想像できる。当の本人はメガネを外して眉間を指先でもんでいる。

「はあ?秩序が崩壊してみろ、世紀末だぞ、世紀末。お前なんか、ここからでて二歩でもあるこうものなら、有り金巻き上げられて身ぐるみはがされて死ぬだろうな」

「いえ。僕は住みたくありませんが。センセイは世紀末のほうが息をしやすいのではないでしょうか」

「口を縫い合わせるぞ、カス」

 シンプルに口が悪い。舌打ちまでしたのを僕は聞き逃さない。

 センセイは突然、尊大な足を机から降ろすと、部室の棚からチェス盤を取り出して、先ほどまで足を乗せていた机に広げ始めた。昔、まだミス研にもう一人メンバーがいたころ、彼が年上のその先輩とチェスを指していたのを思い出した。先生は駒を一つずつ所定の位置に並べていく。僕もなんとなく黙り込んで、彼の指先を見つめていた。静かな教室に駒の並ぶコトコトという音が耳に心地よい。


「俺は善良な一市民だよ。ルールは守るべきだと心得ているとも」

 すべての駒を並べ終えたセンセイは口を開いた。同時に頬杖をついて、e2にある黒い歩を僕の方へ一マス進めた。歩じゃなくて、ポーンだったか。これもまた意外と定石通りだ。チェスは何度か指したことがある程度だが、将棋と似た部分もある。初心者よりは強いと思う。センセイの暇つぶしの付き合いくらいにはなるだろうか。僕も白いポーンをひとつ前へと進ませる。

「センセイとルールを守ることって結びつかないです」

「とことんまで失礼だな」

「スミマセン」

 僕の謝罪を皮切りに、部室はまた静まり返ってしまった。退屈そうなセンセイは、頬杖をついている。時折僕とセンセイが駒を動かすコツコツという音だけが聞こえる。


 ゲームが始まって十分ほど、勝負は中盤。駒が半分近く減り、僕から見て盤面の右側あたりで攻防が繰り広げられている。基本的な定石どおりに対局が進んでいるように思う。センセイだし、トリッキーな勝ち筋を探してくるものだと思っていたが、拍子抜けした。もしかして、手を抜いているのだろうか。僕がそう聞こうと口を開いたタイミングでセンセイもまた、口を開いた。

「イカサマは知っているか?言葉の正しい意味の話じゃない。ギャンブルや勝負事において行うズルの話だ」

「…ええと…わかります。特定の出目しか出ないサイコロとか、八百長とかですよね」

「まあそんなとこだ」

 …何の話だろうか。困惑する僕にはお構いなしで、センセイはルークを中央に進める。あまりいい手とは思えないが…。僕も彼のルークを抑えるためにポーンを前に進める。

「おっと、いいのか?」

「なにがですか…。…。え…?あれ?」

 なぜか僕の白のキングがいつの間にか、盤面の中央に鎮座していた。さっきまでは自陣の一番奥でほかの駒たちに守られていたのに、なぜこんなど真ん中に?それにここは黒のルークの射程範囲内だ。そして次は先生の手番…。あれれ、と思っている間に、僕のキングがコトリと音を立てて盤上に転がった。センセイのルークが白のキングを倒してしまった。白のキングを手元に引き寄せ、指先でそれをもてあそんでいる。白のキングが奪われた僕は負けになるんだろうか。センセイは呆然とする僕の視線に気が付くと、馬鹿にしたように喉で笑って、悪びれる様子もなくキングを僕の手元に戻した。

「手元がお留守だったので悪さしてしまった。失礼」

「いや…。え?」

「イカサマにまつわる問題を出そうじゃないか。答えがわかればお前もギャンブルで一儲け。一攫千金、大金持ち、だな?」

「今センセイがやったのはイカサマっていうか、いたずらですケド」

 センセイは口を開いて愉快そうに笑った。



   出題 ~無欠のイカサマ~


 先生はチェス盤をそのまま横によけて、トランプをチェス盤と同じ棚から取り出して持ってきた。ミス研というよりアナログゲーム研究会のようなラインナップだ。雑然とした机を挟んで、僕とセンセイが向き合う。

「仮定の話をしよう。どんなゲームでもいい、お前は勝ち負けのある、とある勝負事を行う。…そうだな、ややこしいルールだと問題が複雑になるから、ババ抜きにしよう。

 前提1,お前はこの勝負ごとに勝ちたい」

「別にセンセイに勝ちたいとか、ないです」

「相変わらず欲のないやつだな。

 前提2,お前にはイカサマのノウハウと技術があるため、お前がゲーム中におこなうイカサマは誰にも見抜かれることがない。」

「僕にそんな技術ないですよ。それにバレないイカサマって…。ディーラーや第三者にはバレそうなものですけど」

 センセイはあきれたようにため息をつく。

「仮定の話だといっているだろうが、頭の固い奴だな。」

「はぁ…。」


「では出題だ。前提1,お前はこの勝負に勝ちたい。前提2,お前がゲーム中におこなうイカサマは誰にも見抜かれることがない。以上の前提条件の中でババ抜きを行う。お前が必ず勝つためにはあとどんな条件が必要か。簡潔に述べよ」

「…またクイズですか。飽きないですね」

「謎と新しい知識に触れない日々は退屈だ。お前もどうせ暇だったんだろう。その足りない頭を絞って考えるんだな」

「…。そうは言われても。誰にもバレないイカサマができる時点で、勝ったようなもののような気がしますけど。」

「いいや。負ける場合がある。その条件でも運次第では勝つかもしれないがな。」

「…。少なくとも先生は相手にしたくないですね。」

「発想は良い。なぜ俺を相手にしたくないのか、ちゃんと考えろ」

「…先生は性格が悪いから、としか…。…イタイっ!」

 つま先が痛い。何事かと足元を見たら、センセイがかかとで僕の足を踏みつけていた。性格も悪けりゃ足癖も悪いというわけだ。センセイはすました顔をしている。


 センセイはトランプケースからすべてのカードを取り出して僕の前にざっと並べた。

「実演だ。まずは確認しろ。このトランプには種も仕掛けもない。」

 エースからキングの13枚が、ハート、ダイヤ、スペード、クローバーの4スート分の54枚。プラスジョーカー2枚の56枚…が過不足なく並んでいる。裏表を確認して、特徴的なしるしや傷が入っていないことを確認する。マジックで使うカードのような仕掛けや、ヘリに仕込みの入ったカードがないかも確認したが、問題なさそうだった。使い込まれているような様子もない。ほとんど新品同様だ。

「こういうのいつも持ち歩いてるんですか?」

「そんなわけあるか。さっきそこから持ってきてたろ。ここの備品だ」

「…勝手に使っていいんですか。」

 センセイは僕の言い分を黙殺した。二枚のジョーカーのうち、一枚をカードケースに戻し、わきによけると、もう一枚を僕の前に差し出す。

「次にこのジョーカーの裏面にしるしをつけろ。どんなペンでもいい。」

「ふつうのペンで書いたらセンセイにも丸見えですけど…。さっきから言ってますけど、それ、センセイのじゃないんですよね?」

 センセイは人の話を聞かない。僕を完全に無視して、僕のペンケースから勝手に油性のペンを取り出して、カードの裏の角にバツ印を付けた。油性だともう消えないし、買いなおす気は…ないんだろうな。

「今回は実験だ。俺は気が付かないふりをする。意図的にしるしを隠す動作をしないし、お前の手札にジョーカーがある場合は…。そうだな、一番右から引いていこう。」

「…右利きの人間は右からカードを引きやすいってやつですか?」

「よくご存じだな。正確には自分の利き手の近い位置にあるカードを引きやすい、だ。お前が行うイカサマの方法では、自分の手札にジョーカーがあるのは最も避けたい事態のはずだ。一番引かせやすい右側に寄せるのがセオリーだろう?そして対戦相手の俺は、何にも気が付いていない『設定』だ。こうするのが一番自然だ。違うか?」

 僕はしばらく考えた。カードに書き込まれたしるしを観察する。油性だし、こすろうが何をしようがもう消えないだろう。僕の手元にジョーカーがあるなら、右側から引いていくセンセイに合わせて一番右にジョーカーを配置しておけば、センセイにジョーカーを渡すことができる。確かにこれならば前提2の条件を再現できている…。のかもしれない。そしてあとは僕がしるしを確認して、しるしのついていないカードを引き続ければおのずと勝つことができるはずだ。


「じゃあ…。そのルールで。…これ、負けることありますかね。」

「さあな、あとはお前の運しだいだ。」

 運があろうとなかろうと、このルールでは僕が勝ってしまうんじゃないだろうか。負け嫌いのセンセイが、実験上のゲームだったとしても勝ちを譲るんだろうか。



 ゲーム開始 ~賢い利己主義~


「あとはお前がやれ」というセンセイの指示に従い、広げられたカードをまとめて、シャッフルし、また一つにまとめて配り始める。その間も気を抜かずにカードの仕込みを調べたが、やはり何の変哲もないトランプカードに過ぎなかった。センセイがジョーカーにいれたしるし以外、何も妙な部分はない。

 センセイは僕が配る様子を椅子に寄りかかって黙って見ている。僕は交互に一枚ずつ手札を配布しながら、いい加減こらえくれなくなった疑問をぶつけた。

「あの、これって、何の意味があるんですか?なんで僕がセンセイ相手にイカサマをすることになってるんでしょうか。僕は先生がなぜ秩序を重んじてるのかって聞いてたんですけど」

「それは最後にわかるからだまって配ってろ……ん?」

「あ」

「ははは。こりゃマヌケだな」

 センセイの書いたしるしのあるカードが先生の手元に現れた。センセイは「まぬけなイカサマだなァ…」と、自分でやり始めたことだというのに、小ばかにして鼻で笑っている。カードを配る段階でもうすでに僕の勝ちが確定したようなものだが、センセイの余裕にほころびはない。本当に何を考えているのかわからない人だ。


「話を戻しますね。センセイって利己的な人間だと思うんです。センセイは割と、自己の利益のためなら人を陥れますし。ルールを守るセンセイには違和感を覚えます」

「お前が俺をどう認識しているのか、よくわかったよ」

 カードを配り終え、お互いの手札から、そろっているものを捨て始める。センセイは面倒くさそうだ。今更だが、普段の性格的にも、ババ抜きに真剣になるセンセイというのはなかなかシュールだ。それこそさっきまでやっていたチェスのほうが、彼には合っている気がする。あとはポーカーとか。捨て札の山が増えていき、会話も進んでいく。

「得もないのに人を害することはないので、他者の不利益を求める『悪』というくくりとはまた違いますよね。やっぱり、利己的なんじゃないですか?」

「利己主義者がルールを守ることがそんなに不思議か?」

 お互いカードを捨て終わった。センセイは六枚。僕は五枚。じゃんけんで引く順を決めようとする僕に、センセイは先を譲った。顎をしゃくって先に引くように促す。態度のでかさはともかく、僕に先を譲るのは珍しい。猛烈に怪しい…。が、僕が負ける理由も思いつかないのでそのまま従う。センセイの手札からカードを一枚抜き取る。当然、しるしのないカードを選ぶ。そろったカードを捨てて、残り四枚。手札が着々と減っていく。

「はい。利己主義って自己の利益を最大化することに重きを置いた考え方じゃないですか。ルールを守ることで損をすることもありますよね」

 究極的に考えれば、学食で並ばずに抜かしたほうが効率的だし、探偵の業務だって、支払いの良いものを優先したほうが、金回りもいいはずだ。もちろん僕は学食の列を抜かさないし、お金だけでモノを考えていない。だが、僕や一般的な人たちの話で、センセイもそうだ、というのはなんだか納得がいかない。もっと傍若無人な人間だろう。アンタは。


「俺は確かに俺の得になることしかしない、それはほとんど真実といって差し支えないだろう」

「ですよね」

「だが」

 センセイはそこで言葉を止めた。足を組み替え、カード越しに僕を値踏みするように、目を細めた。

「短期的な損得しか考えずにふるまう利己主義者、それはただの馬鹿だ」

「…………」

「仮にこの世の中に法も秩序もなかったとしても、だ。己のために略奪を繰り返す奴は、利己主義者じゃなくて、馬鹿だ。おそらくそんな奴がいたら、他の奴らが結託して、悪さができないように捕まえるなり、遠くに追い出すなりするだろう。ある程度知恵のあるこざかしい奴はある程度周りと協力して、より大きな利益を求める」

「センセイは賢い利己主義者ってことですか?」

「お前の言う利己主義は馬鹿の利己主義だ。お前に俺は馬鹿に見えているのか?」

「いいえ」

「賢い利己主義者は短期的に見れば時に不利益を被るが、長い目で見ればより大きな利益につながる行動をとる。俺が利己的ならば、世の中の規範や秩序を重んじる行動をとるのもまた不思議な事じゃない。お前は俺のことを利己的だと思っている。これで説明できるだろう?」

 僕は一瞬納得しかけて…そして思いとどまった。この人、途中で論点をずらしたな…?

「…いえ。今、論点ずらしてましたよね。僕はセンセイの話をしてました。アンタがしたのは利己主義の話です。僕はセンセイが利己的だといっただけで、センセイに利己主義の思想について説明をお願いしたわけではないです」

「猿は猿でも頭の使い方を覚えた猿は、扱いにくくて困ったものだ」

 舌打ちをしてセンセイはため息をついた。口先で言い含めるのは、探偵というよりも詐欺師に近いような気がしたが、僕は黙っておいた。


 僕の手札は残り二枚。センセイの手札は残り三枚だ。センセイが僕の手札からカードを一枚引いた。ハートの2だ。二人でのババ抜きなのだから、当然そろう。センセイの手札が一枚減り、二枚になる。僕のカードはキングが一枚。センセイのカードは二枚で、そのうち片方のカードにはしるしが付いている。

 センセイは指先で机をたたき、僕の手札を指さした。僕は手元に視線を落とす。

「さあ、俺は残り二枚。あとはジョーカーじゃないほうのカードを引いて、お前の勝ちだ。よく考えて引けよ?」

「ジョーカーにはしるしが入ってるんですから、ひくわけないですよ」

 僕はしるしのついていないカードを引いた。僕のキングとペアとなるキングを迎えて、そろえて捨てたら僕の勝ちだ。しかし、僕の目に飛び込んできたのは思いもよらないような光景だった。


「え?」


 それは本来であれば、立派な髭をたくわえた王のイラストが刻まれたカードのはずだった。しかし、僕の手のひらにあるのは、不気味な笑みを浮かべながら玉乗りをする、ピエロのカード…。

「どうした?まるで、思ってもみなかったカードを引いた、そんな顔をしているな」

…」

「さ、俺が引く番だ。カードを出せ」

「え、え」


 センセイは迷いなく、僕の二枚の手札から、ジョーカーではないほうのカードを引き、僕の鼻の先で掲げた。


 スペードとクラブのキング…。


 僕の手元でジョーカーが笑っている。センセイの手から、ひらりと二枚のキングが捨て札の山へと舞い降りて、彼は高らかに宣言した。口角がかすかに上がっている。

「俺の勝ちだ」

 僕は確かにしるしのないカードを引いた。しるしが隠されていたわけでもなかった。だというのに、いったい、なぜ?

 ジョーカーが、マヌケな僕をケタケタ笑っている。



  思考中 


「僕はまじめに勝とうとしました」

 僕はゲーム中の様子を思い出す。対話とともに繰り広げられたカードゲームの顛末。僕は決して負けるような動きはしなかった。そもそも、僕がしるしのついたカードを選びさえしなければ、これは絶対に負けないゲームだ。

「そうだな。本来なら勝てた」

「僕は正しくイカサマを行いました。しるしのついたカードはセンセイが持っていましたし、僕はそのカードを見失いませんでした」

 センセイは約束通り、カードのしるしを隠すようなことをしなかった。ほかにしるしのあるカードもなかった。

「そのとおり」

「先生もルールをちゃんと守っていました。しるしを隠すようなそぶりはありませんでしたし…。…いや。………」

「……」

 センセイは黙っている。笑いもしない。先生は確かに前提2を成り立たせるためのルールを守っていたけれど…。…彼は本当にルールを守っていたのだろうか?

 僕の手元で笑うジョーカーをひっくり返す、そこには。僕はもう片方のジョーカーがおさめられているはずのカードケースの中をのぞいた。《《そこにジョーカーはない》》。あるはずのものがない。ジョーカーに付けたはずのしるし、そしてしまったはずのジョーカー。明らかに矛盾している。何かを勘違いしているのだ。

 賢い利己主義について話すセンセイを思い出した。賢い利己主義は、短期的には損したとしても、長期的に見れば得をする…。確かにそれはその通りだ。でも、それはセンセイの生き方じゃない。センセイは、短期的にも長期的にも、常に得をしたい。そういう人だ。センセイという人は、性根が腐っていて、どうしようもなく性格が悪いんだ。彼は負け戦をしない。自分の得にならないことをしない。


「センセイ、あなたもイカサマをしたんですね」

 僕はセンセイのシャツの袖をつかんだ。ポロリと一枚のカードが零れ落ちる。裏に僕のつけたしるしのあるジョーカー。

「解答をどうぞ?探偵役」

「イカサマで勝利するために必要な条件、それは、『』です」

「…正解。よくできた助手だ。ご褒美が必要か?」

 センセイは薄ら笑いを浮かべた。相変わらず笑った時の人相が最悪だ。



   

   幕間 ~探偵のルール~


「……。案外単純な事でしたね」

「ほら、なにひと段落着いた顔をしているんだ。探偵役だろ」

「ちゃんと答えたじゃないですか」

「まだ覚えてないのか、探偵とは…」

「物語の説明役、ですよね。犯人を指摘し、トリックを解明し、その解説を読者におこなう」

「わかってるじゃないか。やれ」

「……。僕、探偵じゃないんですけど」

「役っつったろ。ロールしろ。役なんだから。真相解明の時間だ」

「わかりましたって。はあ…めんどくさい」

「何か言ったか?」

「いえ。それでは僭越ながら、僕が解説役を務めさせていただきます」


「―――さて」




   真相解明


「今回のポイントは二つです。一つ目は、センセイにババ抜きそのもののルールを守る気はなかったということ。センセイも、前提2,僕がゲーム中におこなうイカサマは誰にも見抜かれない、のために作ったルールは守っていましたけどね。逆に言うとそこしか守っていないというか。二つ目は、イカサマの方法ですね」

「二つ目が重要だろ」

 僕にイカサマを指摘されているというのに、センセイは悪びれもしていない。

「これは……。ちゃんと手元を見ていたわけではないので想像の部分もありますが…」

「ああ。いいよ、それで?」

「先生は僕に最初にトランプに仕込みがないかどうか確認させて、そしてジョーカー二枚のうち、一枚は僕にしるしをいれさせて、もう片方はカードケースにしまいました」

「そうだな」

「その時、カードケースにしまったんじゃなくて、

 僕の意識はしるしをいれるほうのカードに向いていたし、カードケースの中までは検めなかった。なにより、センセイは口も足癖も性格も悪けりゃ、手癖も悪い。僕は僕のチェスの駒をちょろまかした彼の手つきを思い出す。あれもわざと定石通りのシンプルな手で盤面を操り、右側に注目を集めて、その間にキングの位置を変えたのだろう。やりかねない。

「それで、ゲームが始まって、まずは普通にプレイします。そして、とあるタイミングで、ジョーカーでないカードと服の袖にしこんだジョーカーとすり替えます」

 プレイ中、センセイは妙なタイミングで僕の手札を指さした。僕はつられてうっかり先生の手札から視線を外した。あれは、今思えば僕の意識をそらしていたのだろう。

「『センセイ』の手癖を疑うとは、嫌な助手だな」

「まっとうな疑いです。これ、僕が残り一枚で、センセイが残り二枚の状態。この時にスキをついて普通のカードとジョーカーを入れ替えます。センセイの手札は二枚ともジョーカーで、僕はジョーカーを絶対に引くことになりますよね。勝ち確じゃないですか」

「まあな。だが、逆だとかなり厳しい。お前が残り二枚、俺が残り三枚の状態で、お前が引く場合は三分の一で負けるな」

「そこは最初にケロッと調整してたんです。そろっているカードを捨てて、引き合いを始めるタイミング、そこで、。今回、センセイがジョーカーをもち、その手札の枚数は偶数でした。センセイが先を譲るだなんて、怪しいとは思っていたんです」

「さっきから失礼な奴だな」

「それで、僕がジョーカーを引いてびっくりしている間に、手元のしるしつきジョーカーとええと…。今回はキングでしたね。それを入れ替える。そしたら僕の手札はキングとジョーカー。先生の手札はキング。あとは先生が僕からキングを引いたら勝ちです。…どうせ隠し持ってたジョーカーに折込でも入れてたんでしょ」

「あんなでかい目印をつけてもバレないなら俺もそうしたがなァ」

「…言い出したのはアンタですよ…。…ジョーカーをもう一枚隠し持っており、僕がもう一枚を引くように仕組んだ。これがセンセイの行ったイカサマの全貌です」

「ふはは。正解だ。花丸でもやろうか?ん?」

「けっこうです…はあ…」

「ただ、最後、お前に引かせたジョーカーにいれた折りこみはかなり見えにくいから、見えるか見えないかはほとんど運だ。あと最初の引く順決めにお前が乗ってくるかもな。ある程度は運勝負ってのは間違ってなかっただろう」

「それは確かに…そうかもしれないですけど…。でも僕が絶対に勝つはずの勝負から、センセイにかなり分がある勝負に変わっていました。もしも僕がイカサマをしていなかったら、僕が勝つのはもう不可能に近いでしょうね」

「理解したか?イカサマで確実に勝つには、絶対に勝てて、絶対にばれないイカサマを用意したうえ、絶対にイカサマをしない対戦相手を選ぶ必要がある。お前がどんなイカサマを用意したとしても、相手もまたイカサマをしていたらどうなる?ギャラリーに俺の味方が仕込まれていたら?お前の手元が隠しカメラで撮影されていたら?もっと品がなく、見抜きにくく確実なイカサマは山ほどある。勝つのはより難しくなるだろうな」

「秩序の保たれたゲームでなければ、イカサマは思ったように機能しない…ってことが言いたかったんですか?」

「そうだ。全員がルールを守るお約束を果たして初めてイカサマは優位に働く。よかったな、絶対に勝てる方法を教えてもらえて。これでゲームは負けなしだ。」

「そもそも絶対に誰にもバレないイカサマを用意する時点で無理です。何が一攫千金ですか」

「ははは。ともかく、正解だ。おめでとう」



   終幕 ~スペードのキング~

   


 出題を終えてたセンセイは、また退屈そうな顔をして、わきによけたチェス盤を引き寄せた。頬杖を突きながら、また駒を並べなおしている。

「まあそれはもういいんです。それで、イカサマの話が、センセイが秩序を重んじる話にどうつながるんですか。真っ先に軽んじてるじゃないですか」

「俺が秩序を重んじるんじゃない。世界は秩序を重んじるべきだといったんだ」

 センセイがチェス盤の上の駒の位置を整えていく。ぐちゃぐちゃだった盤面が整理され、ルール通りの配置に、秩序ある盤面が彼の手によって作り出される。

「細かい話はいいです。メンドイので」

「……」

 センセイは深くため息をついた。


「今の出題で分かったはずだ、イカサマが当然のようにはびこれば、ババ抜きのようなシンプルなゲームですら崩壊する」

「…そうですね」

 だまし討ちのように倒された僕のキングを、そして場に二枚あったジョーカーを思い出す。彼が丁寧に整えたチェスの盤面ですら、今僕が癇癪を起してテーブルごとひっくり返してしまえば、やはりゲームとしては成り立たない。

「…センセイは、ゲームを正しく楽しみたい、ということですか?」

「俺はな、常に勝ちたいんだよ。どんなゲームでもな」

「…」

 センセイはチェス盤の上で整列する駒の中から黒のキングを選び、指先で撫でた。舐るようなその手つきが気味悪くて、僕は声も出せない。


「イカサマで勝つのは俺一人でいい」


「他に誰もイカサマをしなければ、センセイは絶対に勝つことが、できる」

 ルールを守る賢い利己主義者、それさえ食い物にしてやろうというのが、センセイだった。整然と並ぶ駒を黒のキングでひとつずつ倒していく。突然の王の襲来に、兵士は何の抵抗もできずに地に伏していく。

「ふはは…。世の凡夫どもがせこせこルールを守り、秩序を重んじているから、ずるが、イカサマが、ルール違反が、俺の有効なカードとして機能する」

「………」

「勝つのは俺一人でいい」

 センセイの持つ黒のキングは同じ色の黒い駒も余さず倒した。すべての駒が、秩序ある最初の配置から、一歩も動かずに倒されてしまった。すべての兵士が倒れ伏し、黒のキングが盤上を制した。

「つまり、センセイがイカサマで勝つために、秩序は保たれるべきだ、と…?」

「そうだ」

 センセイは合理的な秩序を重んじる。それは、ルールを守る大勢を出し抜くために。彼がはみ出し者を許さない。それは、正義や平和のためではなく、彼以外のイカサマを排除するために。利己主義すらも食い物にするこの人は悪という言葉すら生ぬるい。

「…サイッアクじゃないですか………」

「最も悪い、ならいい称号じゃないか。甘んじて受けいれよう」

 厭味たっぷりにそういった先生は、チェスの駒をいじるのにも飽きたのか、黒のキングの足元にすべての駒が転がるチェス盤をそのままに立ち上がった。また退屈そうな顔をして伸びをし、首を鳴らしている。イカサマで勝負に勝ったことに対する罪の意識は感じられない。

「………」

「ああ、負けたんだし、カードとチェス盤、片付けとけよ」

「はいはい…」

 僕はカードを片付けようと捨て札にふれ…。そして、一番上にあるカードをなんとはなしに手に取った、クラブとスペードのキング。センセイの上がりのカードだ。


「これ…。もしかして、最後にあがるカードも調整してたんですか?」

 部室から出ていこうと、扉に手をかけていたセンセイは、眉をひそめてこちらに視線だけをよこす。顎に手をあてて、しばし考えるしぐさをする。


「トランプにはスートごとに意味があるんだ。知っているか?」

「いいえまったく」

「ハートは愛、ダイヤは金、クラブは知恵。クラブのキングはさしずめ、知恵の王か?」

 知恵の王を最後に手元に置いたセンセイ。いかにも天才を自称する彼らしい精神性だ。恐れ入る自信だ。恥とかはないらしい。

「では、スペードは?」

 センセイは、扉にかけていた手を下ろして、ゆっくりと振り返った。机のそばまで来ると、センセイは僕の手にある二枚のカードを奪い取る。クラブのキングを僕につき返すと、スペードのキング、その模様をじっと眺めた。その横顔は悪事を企むようにも、じっと事件の経緯を考察している姿にも見えた。

 しばらくの沈黙の後、彼は僕に視線を移した。

「ジャックもクイーンもキングも、目をそらした姿で刻印されるスートが一つある。誰もが、王ですら畏れ、目をそらしたスート」

 センセイはスペードのキングのカードをゆったりとした動作で、僕の首筋にあてた。


「スペードのスートは、死を意味する」


 スペードが僕ののどを切り裂かんと、その切っ先を向けていた。少し視線を上げると、センセイの視線とかち合う。黄金にも近い光彩をたたえた瞳が、じっとこちらを見つめている。知恵と死の王を気取る名探偵の瞳だ。心臓を刃で撫でられるような心地がする。背筋に走るひやりとした感覚とは裏腹に、僕の心臓は高鳴りを覚える。

 死、僕の人生の最後に与えられる報いにして、罰にして、歓び。僕はこの人に殺されたい。否、僕に死をもたらすのは、この尊大な探偵でなくてはならない。彼はこの僕の愚かなたくらみに気づいているのだろうか。


「センセイ、アンタは」

「なんてな。偶然だ。そこまで考えてねえよ」

 力を抜いた彼の指の間から、スペードのキングが滑り落ちる。第二科学棟の探偵は静かに目を伏せた。

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