自殺した。でも現世に残った。

まろにか

1

 舗装されたアスファルトの上に赤い花が咲いている。その花弁はじわじわと広がって灰色の地面を侵食していく。


 私は、その中心にある自分の体を、何故か真上から見つめている。


 女子生徒から発せられる耳をつんざく悲鳴と、スマホカメラのシャッター音が響き渡る。

 一階は一年生のフロアなので、すぐそばの窓からは一年生の教室の様子が伺えた。

 男子数名が窓から顔を出して、「ヤバくね?」などと話しながら、私の醜い体に好奇の目とスマホを向けている。最近の男子は、インターネット上に転がっている無数のグロ画像を見慣れているせいか、人間の無惨な姿を見ても、気持ち悪さよりも先に好奇心が湧いて出てくるようだ。


 教室の奥の方では、震えている女子が数名いた。その子たちの視界に私のおぞましい姿が入らないように、自身の体で壁を作ってあげている子もいる。

 少し遅れて、一年生の担任の先生が廊下からやって来て「近づかないで!カメラもしまえ!」と怒号をあげた。

 

 休み時間なのに対応が思ったより早い。

 

 昇降口の方から四、五人の先生が駆けてくる。

 その中には、私の担任の先生の姿もあった。いつも昼休みは体育教官室でお昼のバラエティーを見ながら、ローテーブルの上に両足を乗せてカップ麺を貪っているあの醜い動物の。


 飛び降り自殺をしたにしては、私の体にはあまり損傷がなかった。

 四階の窓という中途半端な場所から飛んだからだろうか。

 私は今の事態を冷静に分析してみた。いわゆる「幽体離脱」というやつなのだろう。

 地面に衝突したショックで精神だけ外に出てしまったとか?


 そんなことがありえるのか?


 私はとりあえず、私の体の行方を見守ることにした。


 ※


 救急車に乗って運ばれた私の体は、市内の大きな病院に到着した。救急隊員によると、まだ完全に死んではいないらしい。

 救急車から私の体を乗せたストレッチャーが慎重に降ろされ、大きなガラスの自動ドアの中へと吸い込まれる。

 その両脇には、担任の先生と校長先生が居て、瞬きも忘れて必死に私の体に声をかけていた。「○○!」「死なないでくれ○○!」大声で私の苗字を叫ぶ担任。

 私を心配しているふりをしながら、本当はこれからの自分の立場だとか、周りからの責任追及だとかの心配をしているのだと思うと、「もうこれ以上私の体に唾をかけないでくれ」という感情しか湧かなかった。


 その後、緊急の手術が行われ、夜中の二時を回ったところで、私の体は集中治療室のベッドへと移された。手術を行った医者が、付き添いの校長先生と担任の先生、そして仕事場から駆け付けた母に言った話では、一命は取り留めたが意識が戻るかは分からないらしい。


 なんだよ、一命を取り留めたのかよ。


 母はその場に崩れ落ち、「良かった……。良かった……」と白いブラウスの袖を濡らしていた。私はそれを、チャリティー番組で涙を流している、ワイプで切り抜かれた芸能人を見るような目で見下ろした。


 その後母は、校長先生と担任によろめいた体を支えられながら、自分の車がある駐車場まで戻った。先生たちは「今は運転しない方がいい」と母に訴えたが、母は涙をぬぐいながら「大丈夫です。すぐ近くですので」と的外れな返答をしながら車に乗り込んだ。

 そして先生たちが見えなくなる距離まで車を走らせると、涙でくしゃくしゃにしていた顔をいつも通りの仏頂面に戻し、カーステレオでいつも聞いている洋楽を流し始めた。


 母はこういう人だ。


 家の外では、必死に「普通の母親」を演じているが、本心では誰よりも冷めた目で物事を見ている。

 父が母に「お前はおかしい」と言って家を出ていったときも、私が「新しいスカート買って」と言いながら、ビリビリに破れた制服のスカートを母の前に差し出したときも、器用に動く表情筋の下はどこまでも冷めていた。

 私のこの性格も、母の遺伝なのだろうか。


 私はそのまま病院を後にした。私の体を置いて。


 この魂だけの体は便利だ。空も自由に飛べるし、壁もすり抜けられる。おまけに睡眠欲も食欲もない。

 私は近くにあるショッピンモールの屋上で朝を迎えた。

 私の自殺(未遂)の次の日、学校は休みになったらしい。


 私は空にプカプカ浮かぶ体でいつも通りの町並みを観察した。

 慌ただしく歩くサラリーマン。

 スマホを見ながらベビーカーを押す若い女性。

 私が飛び降りたからといって、この町は何も変わらない。


 そんなことを思いながら商店街を飛んでいると、見覚えのある女子生徒たちを見つけた。

 私をいじめていた、同じクラスのカーストトップの女子たちだ。


 私は彼女らのせいで、安寧な学校生活を送ることができなかった。私はただ平凡な毎日を送りたかっただけなのに、彼女らは「そのすました態度がムカつくんだよ!」と言って私を蹴った。上履きを隠した。体操着を水浸しにした。


 私は彼女らの動向を少し観察することにした。


 彼女らは商店街を抜け、中央駅の駅ビルの中へと入っていった。昨日クラスメイトが自殺を図ったというのに、そんなのお構い無しに、オシャレをしてショッピングを楽しんでいた。

 そして一通りショッピングを終えると、近くのファミレスへと入店した。彼女らは、ありふれた会話を交わした後、私の話を始めた。私は向かいあわせで座っている彼女らの真ん中に立ち、見下ろす形で会話を聞いた。


「まじでラッキーだよねぇ。この前オープンしたばっかりのあの店、休みの日だとめっちゃ混んでるから、今日行けて良かったわー」


「それな〜。あいつ、今までクラスの害でしかなかったけど、最後に役に立ってくれて感謝って感じ〜」


 もう今更何も感じなかった。

 私は彼女らの顔面に一発ずつキックを入れて、その場を後にした。嫌いな人の顔面を、自分の足がすり抜けるのは、なんともいえない面白さがあった。


 ※


 私の魂が身体から抜けてから、三回目の朝が来た。今日から学校が再開するようだ。

 私はなんとなく自分のクラスへ行き、教室の後ろからクラスのみんなを観察していた。


 一限の授業が始まる前に、担任の先生がクラスのみんなに私のことを説明した。

 私が今、生死の境をさまよっているということ。

 自殺を図った原因は調査中だということ。

 みんなも精神的にショックを受けているだろうから、辛い時は無理せず早退しても良いということ。

 そのようなことを伝えて、酷くやつれた担任の先生は教室を後にした。


 先生が去った後のクラスメイトの反応は、主に三つに分かれた。

「学校始まるの早くね?」などと騒いでいる人たち。これは主に私をいじめていたヤツらである。

 私のことについて「心配だね」「大丈夫かな」などと口先だけの言葉で同調し合う人たち。比較的真面目な女子たちがそうだ。

 そして、いつもと何も変わらず、ただ淡々と学校生活に溶け込む人たち。クラスの大半がこれだ。普段から休み時間になるとスマホと睨めっこしているような人たち。


 私は少しの間教室の後ろでそんな様子を観察した後、「みんな死ね」と言って教室を出た。

 その時、小声で「待って」と言う声が聞こえた。私は思わず振り向いてしまう。すると、一度も話したことの無い、教室の一番後ろの席の女の子と目が合った。


 ……まさか私のことが見えている?


 私は、彼女に近づいていき、「私が見えるの?」と問いかけた。彼女は、私の目を見ながら一度深く頷いた。

 そして彼女は鞄からノートを取り出すと、シャーペンで何かを書き始めた。それを私が上から覗くと、「次の休み時間、特別棟四階の女子トイレに来て」と書かれていた。


 ※


 私はあらかじめそこで待機していた。一限終了のチャイムが鳴り、その約二分後に彼女は現れた。


「こんにちは、高山さん。あなたにどうしても伝えたいことがあったの」


 彼女は、入ってくるなり毅然とした態度でそう言った。


「ちょっと待って、なんであなたは私が見えるの?」


「私、生まれつき霊感が強いの。というか、そんなことはどうでもいいわ。あなたが成仏するという決断をする前に、一つだけ伝えたいことがあったの」


 私は彼女の真剣な眼差しに背筋を伸ばした。


 成仏……か。

 私は三日間の体感から、今私が自分の体に戻れば私の意識が蘇って生き返ることができて、反対に、「もういいや」と思えばこのまま成仏できる。そんなことを漠然と感じ取っていた。

 彼女はきっと、「生きていればいいことがある」とか「あなたも誰かに必要とされている」といった説教じみたことを言って、私を生き返らせるつもりなのだろう。


 正直、そんなことを今更言われたところで何も思わない。

 死ぬことに理由も許可も要らない。

 今この瞬間にも、愛し合う男女の愛の営みによって新しい命が無数に誕生している。その一つ一つの命に意味は付与されているのだろうか。

 例えば高校生のカップルが避妊に失敗して誕生した命は、明確な意味を持って生を受けたと言えるのだろうか。

 生まれてくる命全てに、正当で、祝福されて、然るべき意味がないのなら、死ぬことだけに意味を求めるなんてただのエゴにすぎない。

 私は冷めた目で彼女の次の言葉を待っていた。


「あなた、『Dazzling Light』 っていうアイドルグループ好きでしょ?」


「……へ?」


 彼女の口から発せられた言葉は、私の予想していたものとは似ても似つかない内容のものだった。

 ―― Dazzling Light《ダズリングライト》、通称ダズライは、私が今までの人生で唯一心の底から好きになった存在だった。

 17歳から23歳までの男子五人で結成された、神奈川を中心に活動するアイドルグループで、メディア露出は少ないが、地元のイベントやローカルラジオのレギュラーなどで着々とファンを増やしている。


 私が彼らを知ったのは中三の夏。


 汗と日差しが体にまとわりつくような炎天下の中、地元ショッピングモールの入り口。そこに設置されている屋外ステージで、彼らを初めて見た。

 汗だくになりながらも、決して笑顔を絶やさず、見てくれている数人のお客さんのために楽しそうに踊り続ける。

 ほとんどの人が、彼らなんて見向きもせずに早々とエアコンの効いた屋内へと入っていく中、私は暑さなんて忘れて、食い入るように彼らのパフォーマンスに目を奪われていた。


 そんな知名度の低いローカルアイドルの名前を何故――?

 彼女は私の表情を見て、ほんの少しだけ口角を上げたかと思えば、すぐに元通りの平静を取り戻し、話を続けた。


「うちのクラスの矢田さんってわかる? 窓側の席の、後ろから二番目の。その子もそのアイドルグループのこと、推してるみたいよ」


 彼女はそう言い終えると、踵を返して帰って行った。


 ――え? それだけ?


 私はわけがわからないかった。

 突然呼び出されて、私の推しアイドルを好きな人が他にもいるって言われて。

 それだけ言ったらその子は帰ってしまって。


「ちょっ、ちょっと!」


 私がそう発したときにはもう、彼女の姿は見えなくなっていた。


 ※


 彼女が去ってから少しの時間を経て、私は特別棟の女子トイレを後にした。

 五分ほど前にチャイムの音が聞こえたので、今はきっと三限の授業中だろう。

 私は渡り廊下を進み、私のクラスがある普通棟へと入った。わざわざ渡り廊下など使わなくても、空中を直線で突っ切れば辿り着くことができる。

 しかし、敢えて私は渡り廊下を歩いて行った。


 私のクラスの前まで来ると、中から聞こえてきたのは、語尾を伸ばして強調する話し方が特徴的な日本史の先生の声だった。

 私は後ろのドアを通り抜けて、教室の中へと入る。

 すると、先程の彼女が私を一瞥し、またすぐに教科書へと視線を戻した。

 私はひとまず、教室の一番後ろにプカプカと浮かび、教室全体を眺めた。


 ――あ、私の席だ。


 私の席は、教室の隅にどかされることも無く、規則正しく並んだ生徒たちの盤上に穴を開けている。

 後ろから教室の中を眺めていると、様々なことに気がついた。

 1番後ろの席で教科書で壁を作りスマホをいじっている男子がいる。

 色ペン専用の筆箱を持ってきていて、板書で何色もの色ペンを器用に使い分けている女子がいる。

 授業なんて聞かずに窓の外ばっか見ている窓際の男子がいる。


 私は、もっと近くで観察したいと思い、教室中を飛び回った。

 唯一私のことが見える彼女は、私が邪魔で気が散ると言わんばかりのしかめっ面をしてきたが、その瞳には確かに優しさが映っていた。

 数々の生徒を近くで見ると、私はこのクラスの生徒たちについて何も知らなかったと強く思い知らされる。


 生きていた頃の私にとって学校は、50分おきにいじめっ子たちから浴びせられる悪口に耐え、昼休みというお金と精神力を貪り取られるだけの時間に耐え、体育の更衣の際の、傍観者たちによる、私の胴体にできた痣の見て見ぬふりに耐えなければならない――そんな場所でしか無かった。

 私は、自分の心が削られないように、自ら感受性のツマミを絞っていた。それが私の生き抜く術だった。

 まあ、結果的にこうなってしまっているのだが。


 私は、問題演習の際に生徒たちの回答を覗きながら練り歩く先生のように、教室を一通り見て回ると、最後に窓側の列の後ろから二番目――トイレで彼女から教えてもらったダズライファンの子の席へと向かった。

 彼女の席の前までくると、私は彼女を中心にぐるぐると回りながら、隅々まで観察した。

 重たい前髪。

 決して良いとは言えないスタイル。

 変なシャーペンの握り方。


 私みたいだな――と思った。


 彼女が使っている筆箱を見ると、確かにダズライのファングッズであった。オンライン販売の、メンバーの手描きキャラクターが黒い布地にプリントされているやつだ。

 リュックに付けているアクキーも確かにファングッズだ。しかも自作。

 私のこの体では物に触れることができないので、ダズライのロゴプリントが入っている裏面しか見ることができない。恐らくこの表面には推しの写真が入っているのだろう。


 彼女の推しは誰なんだろう。


 そんなことを考えていると、三限の終わりのチャイムが鳴った。号令がかかり授業が終了すると、教室が一気に騒がしくなった。

 目の前の彼女はブラウスの胸ポケットからスマホを取り出した。

 その待ち受け画面を見た瞬間、私は思わず声を漏らした。


湊音みなとくん……」


 前から歩いてくる男子たちの足に当たり、机の横にかけていたリュックのアクキーが裏返る。やはりそこに写っていたのは湊音くんだった。


「……あはっ! まじかよ!」


 私は吹き出した。

 そして涙が出るくらい笑った。

 こんな狭い教室の中で、地方のローカルアイドルのことを好きな人が二人もいて、あまつさえ推しも同じなんて。

 飛び降りる前の私が、もっと周りの人に興味を持っていたなら。

 もっとクラスの人と会話をしていたなら。

 もっと自分のことを話せていたなら。

 今更飛び降りたことを後悔するつもりはない。ただ少しだけ、ほんの少しだけ私は思ったのだ。

 次生まれ変わったら、友達とやらを作ってみよう――と。


 空中で笑い転げる私を見ていた、私のことが見える彼女は、何事かとこちらに視線を向けている。

 私は彼女の方へと飛んでいき、笑顔で彼女に告げた。


「ありがと。これですっきり成仏できるわ」


 それを聞いた彼女は、口をポカンと開けて目をしばたたかせた。

 まるで、「え? 生き返るんじゃないの?」とでも言いたげに。


 私は窓から半身を乗り出し、彼女に笑顔で手を振ってから、上空へ向かって飛んで行った。


「……まあ私、同担拒否なんだけどね」


 教室の二人に向けて、私はそう呟いた。






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