第30話 衛生環境の為にも屑(ゴミ)掃除は大事

私は自室でヴァイス殿下が来るのを待っていた。

傍にはギルメールとヴァイス殿下が用意してくれた護衛二名がいる。部屋の外や邸周辺には何十人の護衛がいる。アリエスには見張りがついている。もちろん、アリエスには気づかれないように。

「スフィア」

部屋の外からヴァイス殿下が入室を求める声がした。

体中に緊張が走る。

私は深呼吸をして心を落ち着かせる。大丈夫だと自分に言い聞かせてヴァイス殿下に入室許可を出す。

ヴァイス殿下、護衛騎士、そして体中に蛇が巻きつきガタガタと震えるならず者たち数名と逃亡防止の為にその後ろに護衛騎士という順で部屋に入って来た。

まぁ、あの怯えようでは逃亡はしないだろう。どのようなことをヴァイス殿下がしたのかは分からないがならず者たちは逃亡する気力すら根こそぎ奪われているようだった。

「思った以上に多いんですね」

私一人相手にどうしてこんなに数が多いのだろう。

体の震えを止める為に私は自分の体を抱きしめる。

情けない。こんなにことで怯えるなんて。

「スフィア、俺がいる。大丈夫だ」

いつの間にか私の隣に来ていたヴァイス殿下が安心させるように私の肩を抱いてくれた。それだけでほっとする。

回帰前、繰り返し体に刻まれた暴力の恐怖。死ぬ前まで与え続けられたら最終的に何も感じなくなっていた。

人間はどんな過酷な環境でも慣れることのできる生き物だと思う。だから私も慣れたのだと思った。実際に回帰後、お父様に暴力を振るわれても何も感じなかった。それどころか、自分が有利になる為にわざと暴力を受けたりもした。でも、違った。

私は慣れたのではない。ただ麻痺していただけなのだ。麻痺していただけで本当は心はちゃんと感じていた。暴力により与えられる痛みも恐怖も。

仮に慣れていたとしても、慣れてはいけない。麻痺を受容してはいけない。

私はヴァイス殿下に支えられながら彼らを見据える。

「あなた方の目的は私ですか?」

「‥‥…」

「質問に答えろ」

「ヒィッ」

ならず者たちの首に巻き付いた蛇がヴァイス殿下の声に反応してシャーッと声を上げる。ならず者たちは情けない声を出して更に怯えた。

「わ、分かった。言うっ!言うから勘弁してくれよぉ」

恐怖に耐えられなくなったならず者の一人が泣きながら話し始める。

「この邸にいる令嬢二人を襲えって頼まれんだぁ」

監視していた者の報告によると伯爵夫妻はアリエスに私が雇ったならず者に襲われかけたと訴え、私を裁判にかける計画になっている。伯爵夫妻はそうアリエスに提案してならず者の手引きをさせた。

アリエスは私さえ追い落とせば自分が公爵家の跡継ぎになれると思っている。そう強く思うのはワーグナー殿下の婚約者だからだろう。王太子以外の王子は何も問題なければ公爵家に臣籍降下するからだ。

その時点でワーグナー殿下は条件に当てはまらないのだけどアリエスはそんなこと思いもしないのだろう。騒ぐ分家はワーグナー殿下の持っている権力で黙らせればいいと思っているのかも。

当然だけどあの強欲な伯爵夫妻がそんなことを許すはずがない。

実際の計画はならず者に私とアリエス両方を襲わせる気だったのだ。アリエスは口封じの為に確実に殺す方向で、私は傷物にして、社交界で爪弾きにさせて、精神的に追い詰めて自分たちの言いなりにさせる手はずになっている。

私に新たな公爵として伯爵を指名させ、その書類にサインをさせる為に。

何らかの事情で公爵を続けられず、跡継ぎもいない場合の次期公爵の任命権は現公爵にあるからだ。

「誰に雇われたの?」

伯爵夫妻は使用人を使って彼らに依頼していることも、その使用人もこちらで確保済みなのでこの質問は証言を取る為の作業でしかない。

「お、男だ。上品な服を着た。な、なよなよしていたかな?モノクルをつけてた。三〇代ぐらいの」

こちらで確保している使用人で間違いないようだ。

その使用人も口封じの為に殺されるようになっていた。使用人を殺すことになっていた男もこちらで確保している。

「ちょっと、放しなさいよ。私は次期公爵よ。こんなことをしてタダですむと思っているの」

部屋の外からアリエスは声が聞こえた。

彼女はもう自分が公爵になる未来を視ているようだ。そんな未来は絶対に来ないのに。

ヴァイス殿下の部下によって部屋に連れて来られたアリエスは私の姿を見て憎い仇でも見つけたかのような恐ろしい顔をするがすぐにヴァイス殿下の存在に気づき、従姉に虐めれるか弱い少女の面を被る。

もう既に手遅れなのに。そんなことにも気づかずに演技をする彼女の姿は滑稽であった。

「お姉様、どうしてこんなことするんですか。この人たちは何なんですか?私、怖いです。私をどうするつもりですか?」

ぐすん、ぐすんと涙を流しながらアリエスは必死に訴える。時折、ちらちらとヴァイス殿下の反応を確認している辺り本心ではないと語っているようなものだ。

視線を向けられているヴァイス殿下はアリエスの視線に気づいているはずなのに全く彼女を見ない。ここまでアリエスを無視する人も珍しい。前の人生ではそんな人いなかった。

特に貴族の男性は泣いている令嬢を無視したりはしない。周囲にどう見られるかを気にするからだ。必然的に泣かせた人間が悪人となる。

「アリエス、そんな演技をしても無駄よ。あなたが今夜何をしたのか私を含め、この場にいる人たちは全員知っているわ」

「な、何のことですかぁ。私、何も知りません。もうやだぁ、怖いわ。訳が分からない」

そう言って泣き続けるアリエス。傍から見たら本当に怯えているようだ。

「ヴァイス殿下ぁ、助けてくださいよぉ」

こんなに泣いているのに、こんなに怯えているのに自分を見もしないヴァイス殿下に痺れを切らしたアリエスが遂にヴァイス殿下に呼び掛ける。すると、ヴァイス殿下の目がアリエスに向いた。アリエスは喜色を浮かべる。何となく嫌だなと思っていると底冷えをするようなヴァイス殿下の声が聞こえて、すぐにヴァイス殿下がアリエスを見るということにもやっとしていた感情が霧散した。

「は?どうして俺がお前を助けなければならない?」

「ふぇっ!」

ヴァイス殿下の反応が予想外過ぎたのかアリエスは変な声を出して固まってしまった。

「俺はお前を殺したくてたまらない感情をスフィアの為に我慢しているんだ」

「な、何でですかっ!私が何をしたって言うんですかっ!」

面の皮が厚いというかなんというか、このならず者たちが私を襲うという恐ろしい計画に加担しておいてよくほざける。

「お友達なんだろ、こいつらと」

ヴァイス殿下は顎でならず者たちを示した後、アリエスに嘲笑を向ける。

「こんな夜遅くに招く友達なんだ。よっぽど親密な仲なんだろうな」

「なっ。し、知りません。こんな人たち」

「そりゃあないぜ、嬢ちゃん。お前が俺たちを邸の中に入れたんだろうがぁっ」

自分たちが犯罪者として裁かれることを受け入れたならず者たちは少しでも関係者を道連れにしようとさっきよりも口を軽くした。もちろん、それで黙るアリエスではない。

「変なこと言わないで。ワーグナー殿下の婚約者になれるほど私は高貴な血筋なのよ。アンタたち下民が気軽に口を利ける相手じゃないのっ!あなた達なんか知らない。本当です。ヴァイス殿下。信じてください」

目を潤ませながらアリエスは懇願する。

きっとヴァイス殿下が自分に冷たいのはならず者たちと自分が関係していると誤解しているからだと判断したようだ。

「きっと誰かが私を陥れる為に‥…あっ、まさか、お姉様が」

信じられない者でも見るような目でアリエスは私を見て来た。

「酷いわ、お姉様。どこまで私を恨んでいたんですね」

アリエスは両手で顔を覆い、号泣を始める。この場はアリエスの一人舞台と化していた。アリエス、自分の演技にのめり込む前にヴァイス殿下の表情を確認した方が良いわよ。

直視できないほど恐ろしい形相になっているから。きっとあなたが今必死に流そうとしている涙なんて簡単に引っ込むわ。

「アリエス、いいことを教えてあげる。あなたは私を害せば自分が公爵になれると思ったんでしょう。もしかして伯爵夫妻にも似たようなことを言われてその気になったのかしら?でも、残念ね。あなたは人を見る目がなさすぎるわ」

ワーグナー殿下を将来の伴侶として選ぶ当たり特にそう思うわ。

「伯爵夫妻の目的は公爵家の乗っ取り。私を精神的に追い詰めて意のままに操る計画を立てていたの。次の公爵の任命権は私が持っているからね。そして伯爵夫妻に協力したあなたは今日、そこの男たちに殺される予定になっていたの。そうよね」

私が確認の意味を込めてならず者たちに視線を向けると「そうだ」とみんなが口々に言った。

「嘘よっ!」

「嘘じゃねぇよ。アイツら言ってたぜ。お前のことを売春婦だと」

「なっ」

「お前は伯爵夫人の言うことを忠実に実行する犬なんだろ。良い捨て駒だって言ってたぜ。お前のこと、汚らわしい孤児だと」

「下民にも劣る身の程知らずだとも言っていた」

「初めっからお前を公爵家に迎え入れるつもりはなかったそうだ。そうとも知らずにのこのこと俺たちを手引きして。滑稽だったぜ」

「みんなで話し合ったんだ。お前みたいな馬鹿は最後に楽しもうって。自分の計画が成功したと確信させてから絶望に落とすのは最高に楽しいからな」

「嘘よっ!」

ならず者たちに引っ張られてアリエスは遂に白状に等しい言葉を発した。

「スフィアを始末したら私を伯爵夫妻の養女にしてくれるって言ったわ。伯爵令嬢なんて公爵令嬢に比べたら全然劣るから嫌だったけど、でも、すぐに女公爵にしてくれるって約束してくれたもの。だからそれまでの辛抱だと思っていたのに」

ある意味、純粋ね。

人の言葉をそのまま信じるのだから。

「アリエス、伯爵夫妻にはジュディという息子がいるわ。あなたを養女にする必要はないし、彼らが公爵家を乗っ取るつもりなら血の繋がらないあなたをその座に据えるよりも息子を据えさせるつもりよ。あなたは利用されていたのよ」

「‥‥‥そんな」

アリエスは顔を青ざめさせ、体を震わせた。今更ながら、自分が殺されていたかもしれないという事実に戦慄したのだろう。最も、こんな罪を犯した彼女を無罪放免にするつもりはないのでアリエスは貴族令嬢として完全に終わったけれど。

「馬鹿ね、アリエスは。あんな人たちに唆されて貴族令嬢としての地位を完全に失って」

「失う?」

壊れたブリキのような動作でアリエスが私を見る。

「ええ。貴族は罪を犯した者には厳しいの。共犯者だとみなされたくはないだろうからみんなあなたに近づきもしないでしょうね。ただでさえ、借金まみれで没落貴族のあなたに価値などないのに、自らその価値を底辺まで貶めた。あなたと付き合うメリットは完全に失われたわ」

まぁ、元からそんなメリット存在していなかったけど。

「お、お姉様、助けて‥‥‥助けて、くれるわよね。私は、あなたの可愛い妹でしょう」

ここまでしておいて、どうして私が助けてくれると思えるのかしら。じかも“可愛い妹”って馬鹿じゃない。

「‥‥‥私が助けを求めた時はいつだって嘲笑っていたじゃない」

私は何度も、何度も助けを求めた。

痛くて、苦しくて。いっそう死んでしまいたいと思った時もあった。だけど、あなたはいつだって優越感にまみれた顔で私を嘲笑った。

あなたは私から全てを奪った。公爵家も、ワーグナー殿下も、未来も。あなたが奪った物は返してもらう。ああ、でも、一つだけ要らないものがあったの。それはワーグナー殿下。あれは要らないわ。返されても屑籠に入れるだけ。再利用もできないし。だから、それだけはあなたに譲ってあげる。

「保釈金さえ払えれば減刑は可能よ」

「じゃあ」

希望に満ちた顔でアリエスは私を見る。私があなたに払うわけじゃないでしょう。自分を殺す可能性のある女を野放しにしておくほど私はお人好しじゃないもの。それにあなたは恩を仇で返す人種でしょう。尚更、無理ね。

「頑張ってワーグナー殿下に頼んで保釈金を払ってもらうのね」

アリエスの顔が希望から絶望に変わった。

人の不幸は蜜の味。今ならあなたを少しだけ理解できるわ、アリエス。だってあなたが絶望のどん底の追い落とされる姿は私に優越感を与えてくれるもの。私は今、とても幸せよ。

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