第10話 段柳邸


 豪奢な一軒家が並ぶ区画の奥に段柳の家はあった。

 周囲の家もさることながら、この家は輪をかけて大きい。当時も初見ではだいぶ驚かされたが、こうして数年が経って改めて見るとまた驚かされる。和洋折衷の三階建て家屋は、三世帯でも四世帯でも充分に収まりそうなほどで、庭にはちょっとした小山と六畳くらいの池もあって、それは当時のままきちんと残されている。


 そうだ。これだ、記憶の通りだ。これが段柳家の豪邸だった。

 忘れていた細部が蘇り、忘れていた往時が瞬時に思い出される。

 当たり前だが数年で変わるものは少ない。ただ十年も経って変わらないとなると、ノスタルジイの気分で、何だか愛おしくすら感じられる。

 

 二階の手前の窓が段柳祐介の部屋だった。いまは電気が点いていないから、もしかすると病に伏せているのか、別の部屋にいるのか。

 その窓を見ていると、あの日の情景が蘇って、そこから十年の歳月が巡ったなんてちょっと信じられないという気がする。

 あの日々が目の前に浮かぶ。学校帰りにそのままこの屋敷に直行する自分の制服姿、段柳祐介のニヒルな笑い方、皮肉交じりの発言や、どこか物憂げになるきれいな瞳。

 あの二階の窓にはいつも電気が点いていた。それは、彼が一日中あの部屋で過ごしていたからだった。

 その部屋の電気が今では点いていない。黒い四角でしかない。

 

 あまり外観ばかりを見物している暇はない。僕は思い出して歩を進めた。

 あの電話の女の声が僕を急かすのもあるが、降り出した雨の中うろうろしているのはいかにも不審者然として気が引ける。

 叩きつけるような激しい豪雨に押されて、僕は門の呼び鈴を押した。

 すると自動で鉄柵門が片側だけ横に動いて、「どうぞお入りください」と女の声が言った。電話の時の声の主だろうか。そんな気もするが、果たしてどうかは分からない。


 門から蛇行している道を上って、玄関扉にたどり着くと、こちらの様子をうかがっていたようで、待っていたとばかりに扉が開いた。ニスのきれいに塗られた分厚い一枚扉である。


「お待ち申し上げておりました。こんな悪天候の中を、奥様に変わって感謝申し上げます」


 そう言って出迎えたのは六十歳後半くらいだが、色艶のいい小太りの女性だった。

 腰から長い丈のスカートを履き、前にエプロンをしているから、余計に寸胴に見える。

 家事代行業者、家政婦。そういう類いの人なのだ。

 僕は彼女の姿を一目見て、どれほど懐かしいと思ったことか。


 この家に遊びに来たときは、いつでもこの女性がまず出てきて、段柳の部屋まで案内し、菓子やジュースを用意してくれた。物静かで無駄口はまったくないのだが、よく気が回るところをみると世話焼きなのだろう。職業上、口の堅さは高評価される点だから自然とそうなったのかもしれない。

「お久しぶりです。辰巳さん」

 僕は懐かしさのあまりにそう呼びかけてみた。


「ええ、大変お久しぶりです。井上さま。お坊ちゃまのご親友さま」

 にっこりと微笑んで頭を下げた。


 こちらの名前を覚えているとは驚きだったが、もしかすると来客があるから事前に覚え書きかなんかに目を通していたのかもしれないとも思った。 これだけの豪邸ならば、頻繁に来客なんかもあり、従者ならばそれらをきちんと捌いていく素養はあって当たり前なのかもしれない。


 それにしても、「ご親友さま」と言われると、なかなか複雑な心境にならざるを得なかった。「いいえ違います」と申し開くのも変だから、曖昧に誤魔化していたら、そんな僕には気にも留めないで、「こちらへ」と言って先導して歩き始めた。


「このお部屋でお待ちください。すぐにまた参ります。それと、お飲み物はいつものジンジャエールでよろしいですか?」


「あ、ええ。そうですね。ありがとうございます。そんなことまで覚えていていただいて……」


 辰巳さんはまたにっこりと微笑んで、頭を下げたなり引き下がった。


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